終章

第四五話 ツケと清算(5)

 その日の晩からは久々の外泊となった。

 宿のグレードはまぁ、中の上といったところか。壁や天井は通路も客室も意匠の一つもない至って簡素なベージュで統一されており、調度品も無駄なものはほとんどない。それでも中の上。

 こっちの希望を聞くまでもなく通されたのは大部屋で、五人の先客がいる六人目としておれはそこに押し込まれた。

 今回の宿泊でおれがあてがわれたと思われるベッドに案内されてついていくと、そこにはなぜか、既に横になっている先客の姿。

 おれに気づいたその先客はするするとベッドから降りると、折り目正しく頭を下げて挨拶してきた。


「お久しぶりで御座います、ミコト様。ご壮健そうで安心致しました。今夜からミコト様が来られると伺って一足早くベッドを暖めさせて頂きましたので、どうぞごゆるりとおくつろぎ下さい」

「壮健だったらまたここで過ごすことになってねーと思うんだけどな。あとおれは織田信長じゃねー」


 その仲居の、相変わらずのバカ丁寧な言葉遣いと奇怪な行動に、おれは額を押さえた。

 およそ一年ぶりくらいに見る顔だった。前回ここに泊まったのがそれくらいなので、必然的にそうなる。


「何分、急なご連絡でしたので、あまり満足のいくご用意ができていないと思われますが……」

「あー、いーよいーよ別に。どーせほとんど寝てるだけだ。暇潰しの道具も持ってきてるしな」

「さすがです、ミコト様。こちらも可能な限りご要望にお応え致しますので、何なりと申し付け下さいませ。また、私が何か粗相をした際には容赦なくお仕置きを……罵倒を……いえ、お叱り頂きますよう、よろしくお願い致します」


 今、何か聞き捨てならない単語がいくつか聞こえたような気がしたが……まぁいい。およそ一年という疎遠期間があってもこの女も相変わらずだということだ。


「つーか、おまえ、まだ研修期間なのか? 前にここで顔を合わせたのはもう一年以上も前だったと思うんだけど」

「いえ、ミコト様が前回お泊まり頂いたすぐ後に研修期間は無事に終え、この春から晴れて正式採用の身となりました。これからは明くる日も明くる日も誠心誠意お仕えする所存ですので、何卒よろしくお願い申し上げます」

「いや、おれ別にここに住むわけじゃねーから……。毎日は無理だろ」


 その間、仲居のその女はずっと頭を下げたままだった。それでもおれよりも頭の位置は高く、伏せた面差しは十分に視認できてしまう。

 いまいち華に欠けながらも清楚な顔付きのその女は顔を上げると、またまた、と口元に手を添え、どこか上品な笑みを浮かべておれの言葉を否定してきた。


「ミコト様は本当にご冗談がお得意でいらっしゃいますね。今日からミコト様はここで暮らすと聞き及んでおりますよ」

「誰からだよ! 本人が聞き及んでねーんだけど!」


 寝耳に水のその発言はさすがに聞き過ごすことはできず、静かにすることを義務付けられているこの宿泊施設の中にあっても思わず怒張した声を響かせてしまった。


「ミコト様の担当医である、あの野郎からで御座います。いけ好かない言動や振る舞いの目立つ下衆では御座いますが、一年に一度くらいは賢明と評してもいい判断をするものですね」

「あの野郎!」


 と、おれが確認と抗議のためにそいつの元へと押し掛けてやろうとしたら、何ともタイミング良くこの大部屋に本人が現れてくれやがった。

 顔を見せたおれの担当医は、年齢不相応の若い顔立ちに好青年然として笑みを浮かべて言う。


「やぁやぁミコト君。久しぶりの外泊おめでとう。もう君がここに泊まることはないと思ってたんだけど、さすがだね。一体どんな無茶をしたんだか」

「んなこたぁどーでもいーんだよ! 何でおれがここで永住することになってるんだ!? おれ何も聞いてねーんだけど!?」

「何だその話か。いや、そんなの冗談に決まってるじゃないか。こっちとしては、せっかく快方に向かっていた君をまた段階を戻して看ていくことになるんだ。皮肉や嫌味の一つくらい言いたくなるだろう?」

「……いや、まぁ、それに関しちゃあ、ちょっとくらい悪いと思ってなくは……ねーよ?」


 おれが声を落としてそう言うと、担当医は鳩豆な顔を見せてからくすっと吹き出す。


「気にするななんて口が裂けても言わないけれど、強く咎めるつもりもないよ。どうせまた放っておくことのできない誰かが身近にいたんだろうしね」

「は? 何言ってんだ? そんなヤツいねーし? おれは自分のことを一番に考える男だぞ」

「自分のことを一番に考える男はまたここに来ることになったりしないんだよ」


 それを言われると事実その通りなので、おれは返す言葉に詰まらざるを得なかった。


「ツンデレ乙です、ミコト様」


 おれの折り畳みピコハンが猛威を振るった。


「ありがとうございますっ!」


 なぜか恍惚とした笑みで礼を言われた。

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