第四五話 ツケと清算(6)

 とりあえず変態は放っておいて、おれは先刻の皮肉に関して抗議させてもらう。


「にしてもこいつにそーいうこと言うのやめろよ! 真に受けるだろーがよ!」


 おれがここに永住するとかいうデマの話だ。

 おれは仲居に指を突きつけて声を荒げると、その女は恍惚とした顔で神に感謝するシスターのように手を組んで天を仰いだ。


「その朗報を聞かされた時はまさに天にも昇る気持ちで御座いました」

「……そのまま昇ってくれ」

「はぅあっ! ……さすがミコト様、わたくしが見込んだ主様です。厳しいお言葉で御座いますね。しかしそこはではなくと命令して頂いて構いませんのに。先ほどから罵倒の言葉にキレが見られず、一年ほどお目に掛かることができなかった間に少し丸くなってしまわれたような気が……はっ! なるほど、そういうことで御座いますか。一年というブランクがあるからこそ最初は手慰み程度に、そして徐々にギアを上げていこうという心積もりで御座いますね。お見それ致しました」


 そろそろ手に負えなくなってきた感が湧いてきて、おれはぼふっ、とヘッドからベッドにダイブした。

 このやり取りを目の当たりにしていた五人のルームメイトの視線が、まるで生まれて初めて昆虫食を前にしたかのようで痛々しく、枕に顔を埋めずにはいられなかった。

 ……詰まるところ、説明会を終えたその晩からおれは、検査のための入院をすることになったのだった。説明会で離反した意識が戻った頃には、既にナギが運転する車の中だった。そして外泊先とは、既にこの身に馴染んだいつもの病院のことで、バカ丁寧な口調で奇怪な言動を口走るこの女は仲居ではなく、あらゆる患者の回復に寄与することを生業なりわいとする看護師に他ならない。

 ……もう一度言おう。

 看護師なんだ、これでも。

 それは身に纏う純白の着衣からも裏付けられる。

 看護師というよりも給仕かシスターのような振る舞いを見せるこの女。そして人を食ったかのような態度がデフォの担当医。

 そんなヤツらのいる病院が、おれが昔から世話になっている医療施設だった。

 先ほど奇異な視線をこちらに向けてきたルームメイトたちはきっとモグリなんだろーな。おそらくこの病院での入院経験は少なく、また、その期間も極めて短いんだろう。ここはこーいう場所だっつーのに。

 そんなところに、おれは舞い戻ってきてしまったわけで。

 ……ま、ショッピングモールの件から始まり、先代軽音部の残していった負の遺産のせいで絡まれて発生したケンカ沙汰、そして説明会で日和沢の出番に間に合わせるべく生まれて初めて全力疾走した件といい、最近色々あったからな。正直、自分でも胸の内側が収縮するような、あるいは圧迫されているような鈍痛を感じてはいたし、それに美夜が気付かないはずもない。

 とはいえ、飽くまでも検査入院。身体の状態を確認するべく、念のためにいくつか検査をする間に入院する程度なので、あまり重いものでもない。……いや、検査の結果次第ではそうも言っていられなくなるが、担当医の飄々とした態度を見る限り、それほど大事おおごとにはならなさそうだと、星名家は判断していた。

 

「まぁそんなに腐るものでもないよ。なんと最近、病院食にラーメンが導入されたんだ」

「なん……だと?」


 おれはガバッと顔を上げ、そんな驚天動地の事実を告げた担当医を見上げた。

 病院食と言えば至って質素で味気ないものであることで定評があるはず。患者の健康と栄養接種を一番に考えられたものなので仕方ないのだが、精進料理かと突っ込みたくなる味をしているのをおれは知っている。


「長年に渡る超常連であるVIPに対してもう少し何か優遇してくれてもいーんじゃねーかと思ってたものだけど、ついにか!」


 と喜び勇んでいたら、続いた担当医の言葉に肩透かしを食らうハメなった。


蒟蒻こんにゃくで製麺された健康志向のものだけどね。むしろ超常連のVIPにまともなラーメンなんて出せるわけないじゃないか」

「ふざけんな! おまえわかってんのか!? それはラーメンに対する冒涜だぞ! 断固B級ラーメンを要求する! B級! B級!」

「はいはい」

 

 おれがデモに参加する反抗勢力ばりに拳を突き上げて猛抗議すると、担当医は薄い笑みを浮かべて軽く流しやがった。

 ま、別にいーけどな。どーせおれの望みが叶うことなんてねーんだし、ダメ元で言ってみただけだ。悪足掻き、子供のワガママを。

 こいつも、おれが本気で口にしていないことくらいわかっている。


「じゃ、数日間ちゃんと大人しくしてるようにね」

「あいよ」

「それではミコト様、何かあれば遠慮容赦なくナースコールを押してくださいませ。秒で馳せ参じますので。……ではまた、夜に」


 そして看護師であるはずのその女は、そんな不穏な言葉を添えて何故か頬を上気させた。


「夜に!? 夜に何なんだよ!?」

「必要な物は既にそこのサイドボードの開きに用意してありますので」


 そんなふうに言い捨て、こちらの疑問も完全に無視して病室を出ていった二人を尻目に、おれはすかさずサイドボードの開きを開けた。

 そこにあったのは、あまりのこの場に似つかわしくない品の数々。

 ムチ、猿轡さるぐつわ蝋燭ろうそく、手錠、etc……。

 これがこの部屋にあってはならないものだと瞬時に悟ったおれは、すぐに美夜を呼んで処分させた。

 まったく、ここは大部屋なんだぞ……。

 いや、個室だったら応じていたっつー話でもないが、相変わらず療養になっているのかいないのかわからない気苦労がこの身に降り掛かりそうでげんなりしてくる。

 ……ともかく、予期せず発生してしまった数日のいとまだ。

 全集中常中の修行でもするか。

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