第四四話 叫べ!(3)

 色々と試してはみるが、押しても引いても、横にスライドさせても一ミリも動かない。

 あれ、おかしーな。鍵でも掛けてんのかな。

 だとしても理由がわからねーけど。

 想定外のタイムロス。

 刻一刻を争っている状況でこれは痛かった。

 気持ちが焦れながらも更なる抵抗を試みるが、一向に扉が動く気配は見られない。他の出入り口に回ることも考え始めた時だった。

 横合いから手が伸びてきて、扉の取っ手を掴んだ。手はそのまま向こうへとその扉を押し開く。

 ……なんだ、鍵が掛かってたんじゃねーのか。おれが非ヘボかっただけか。

 もちろん普段だったらこんなことはおれでも容易にできる。が、今はヘロヘロの状態だ。筋肉なんてほとんど機能していない。

 未だ整わない呼吸で手が伸びてきたほうを見上げると、そこにいたのは先ほどまでまぁまぁ壮絶な舌戦ぜっせんを繰り広げていたおれの姉だった。

 どこかもの悲しげな双眸そうぼうがおれを射抜く。

 その原因がおれの現状にあることは簡単に察しがついた。


「そんなに急いでたならおねえちゃんがおぶって行ってあげたのに」


 ……でも、おまえ、そんな精神状態じゃなかったじゃねーか。

 心中でそう返すも、未だ荒ぶる呼吸が邪魔をして声にはならない。


「ミコトの健康には代えられない」


 それは、まるでおれの心の声を読み取ったかのような言葉だった。

 嫌だわー。姉弟って嫌だわー。

 一緒に過ごしてきた時間が長過ぎるせいで声に出さなくても思っていることが伝わってしまう時がある。そりゃあ、四六時中そんな以心伝心というわけでもないのだろうけど、それは確かに楽でもあり、場合によっては障害にもなり得る。

 幸い人目はなかったわけだし、おれとしてはこいつにアシを頼むのもやぶさかではなかった。おれがこうやって無茶をするから、こいつも弟離れできないっつーのもあるんだろーしな。あれだけこいつに色々言っておいて、おれが変わらないわけにはいかない。

 だから、そんな顔すんなって。

 これからは最大限自重するから。

 ……たぶん、きっと、おそらく、めいびー。

 それが伝わっていたかどうかはわからないが、ともあれ、おれは姉に肩を支えられて体育館の扉をくぐった。体育館のある棟は柔道場や剣道場も設えられているせいで、入り口を潜るとまずは短い廊下が伸びる。

 数メートル先の分かれ道を右に折れずに突き当たりの扉を開けば、そこが体育館だ。

 スライド式になっているそのドアも当然のように美夜が開くと、そこはステージを左に捉える体育館の側面だった。

 普段は運動による活発さを見せる体育館が、今日この時間は打って変わって別種の喧騒を見せている。

 歓声が……いや、悲鳴がおれの鼓膜をつんざいて、思わず顔をしかめる。 

 そーか、今は昆虫食部のアピールタイムだった。

 おれたちは普段の集会時と違ってコートに横這いに整列している一年生の脇を通り抜けてステージ袖へと向かう。

 しばし歩いてステージ上とは相反して薄暗くなっているそこに顔を出すと、さほど広くないそのスペースに詰めていた生徒たちの視線が一斉におれたちへと集まった。

 鏡華きょうか先輩や、この一週間でそれなりに言葉を交わすこともあった生徒会役員たち。

 一般生徒から募った有志の手伝い要員。鏡華先輩はどこか様子がおかしいが……まぁいい。

 そして次に出番を控えている軽音部(仮)の関係者――篠崎やクラスメイトの女子が数人、そしてもちろん、日和沢那由ひよりさわなゆの姿もある。

 どうやらこいつがステージに出る前には間に合ったようで、おれは人知れず胸を撫で下ろした。


「あ! ミコ……トくん、どうしたの? 顔色が……」


 軽音部(仮)の関係者一同は一瞬だけおれの遅刻を咎めるような視線を向けてきたが、それもすぐに怪訝けげんな面持ちへと取って変わった。

 似たようなおれの現状を以前に目撃したことのある日和沢だけが、口に出した疑問とは裏腹に、おそらく内心では既に見当をつけている。

 だからそれは、おそらくはただ確認のための問いかけだと思われたが、しかしおれの口から出るのはもはや癖のような虚勢だった。


「別に、何でも、ねーよ……」


 ようやく少しだけ落ち着きを見せてきた呼吸の最中さなかに、言葉を途切れさせながら。

 おれはいつの間にか背後に回った美夜に両脇から抱え上げられるようにしてようやく立っている状態だった。もはや自力で立つこともままならない。こいつが手を離したらこの場で崩れ落ちる自信がある。

 それを悟られないよう、おれは精一杯平静を装った。


「んな、ことより……調子は、どーだ?」


 もう数分もしない内に、こいつはステージにその身を晒すことになる。まったく成長の芽を見せなかった歌唱力を携えて。

 日和沢はそんな現実を思い出したかのように声を張り上げた。


「緊張してるよ! 決まってるじゃん!」


 不安を全面に押し出して落ち着きなくサイドテールを振り乱す日和沢になだめるような言葉を掛けたのは篠崎だった。


「大丈夫だって那由。お前ならうまくやれるって。気負わずにやれ!」


 まるで根拠のない気休めだ。

 つい先日までは日和沢がステージに立つことに反対していたのに、事ここに至ってはさすがに割りきることにしたらしい。ま、もう後戻りできねーしな。

 このステージで披露するのは、日和沢が提案したオリジナルの一曲だけ。ほとんどの楽器パートが事前に用意した音源で流されるが、ギターだけは日和沢本人が演奏を担う段取りになっている。この一週間で何度か確認のために聴かせてもらったが、人前で演奏するには申し分のないものだった……と思う。

 あまり場数を踏んでいるわけでもない身でそれだけ一人で請け負うとなれば、確かにその不安と緊張も一入ひとしおだろう。

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