第四四話 叫べ!(4)

「ところでミコトくん」


 日和沢から向けられる視線がめつけられるように細くすぼめられる。


「なんだよ」


 おれはへろへろなせいでどこかに吹き飛ばされてしまいそうな声音で応える。

 数メートル向こうのステージでは、未だ昆虫食部(仮)がその魅力を必死に説き、バッタ試食のため、眼下の聴衆をステージ上に引っ張りあげようとしている。

 日和沢は器用にも声を潜めながら荒げた。


「あたし、軽音部がトリだって聞いてないんだけど!」

「あぁ、そーいや、言ってなかった、っけか。わり、言い忘れてたわ。……おまえ、トリだから。頑張れ」

おっそ! 言うのおっそ! なんか余計なプレッシャーが増えてるんだけど!」

「そうは、言ってもな。軽音部と、昆虫食部、どっちが、トリに相応しいか、くらい、おまえにも、わかるだろ?」

「昆虫食部だよ!」

「軽音部だよ!!」


 そんなに自分がトリを飾るのがプレッシャーか!

 そのあまりな寝言に自身の現状が念頭から吹っ飛んだ。

 こいつの目を覚ますには、今にも意識が落ちそうなおれの状態なんて気にしている場合じゃない。

 おれは体力と意識の残りかすを振り絞ってツッコミに……もとい、日和沢の意識改善に神経を注ぐ。


「最後が昆虫食部じゃオチとしてもズレてるわ! 大体アレを見ろ!」


 おれが指差した先には顔色を青くし、焦点の定まらない虚ろな瞳で何だかよくわからない呪詛のようなものをうわ言のように垂れ流し続ける生徒会役員、鏡華先輩の姿。


「何か動いてた何か動いてた何か動いてた何か動いてた何か動いてた何か……」


 その様は口から何かが抜け出ていこうとしているのが見えそうなほどだ。

 おそらくは件の昆虫食部の出し物のことを呻き漏らしているのだと思われるが……あれ? 予定ではバッタの炒め物を振る舞うはずで、動くような食い物は何もなかったと思うんだけどな。

 ともかくおれと日和沢はSAN値がヤバイことになっている鏡華先輩に揃って同情の目を向けた。


「あんな被害者を出したまま説明会を終わらせる気か? アレを吹き飛ばすようなパフォーマンスで説明会を締めてやれよ」

「それは……うん、まぁ、言いたいことはわかるけど」


 おそらくは鏡華先輩だけでなく、ステージ前に居並ぶ観衆の中にも似たり寄ったりの生徒はいるはずだ。こんな後味の悪さを持ち帰らせるのも気が引ける。


「ミコト、あまり興奮しないで。身体に障る」


 密着するほどの真後ろから心配そうな声が降ってきて、おれは首を持ち上げることもせずに返す。


「……悪い、つい血が騒いじまった」


 ツッコミ師としての血が。

 しかし、そうやって一息ついた途端、意識と全身に鈍重な負荷が戻ってくる。……そーか、これが途中で呼吸を切り替えたことによる反動か……!

 いや、これはもう冗談抜きで全身動きそうにない。

 この調子だと、今夜は久々に家で寝ることはできなさそーだなと嫌な予感を覚えつつ、おれは休憩がてら日和沢の反論に耳を傾ける。 


「でもさぁ、それって普通の軽音部だった場合の話でしょ? 軽音部って言っても音痴あたしだよ? 余計気分悪くさせちゃうんじゃないの!? 結局少しも巧くならなかったんだからさ!」


 不安から来るプレッシャーのせいで日和沢の興奮度合いはよりいっそう増し、アドレナリンを分泌させる。その取り乱し様は、まるでデスマ真っ只中の社会人のようにも見える。

 確かにそう、そんな状態でここまで来てしまった。

 来てしまったものはしょうがないし、現状で出来ること、揃っているもので全力を尽くすしかない。

 日和沢が懸念しているように、それで本当に上手くいくのかという不安要素はある。

 一つのミスもなく無事にステージを終えられるのかという不安も否めない。

 目的は観衆に考えを変えてもらうこと。

『軽音部に入部するには問題がある』から『それでも軽音部に入部したい』へと。

 そのためには、ある程度以上に観衆である一年生を魅了する必要がある。

 問題は、今のこいつの歌唱力でそれが出来るのかということだが……。

 緊張がぶり返してきたのか、もはや日和沢は自棄やけでも起こしたかのように平常心を乱していた。

 再び感情任せに喚き散らし始めた日和沢を、篠崎たちがどうどうと宥めている。

 そう、感情だ。

 大事なのは感情に任せること。

 おれは軽く修羅場っている日和沢周辺のいさかいに割り込み、取り乱している日和沢に告げる。


「音程は気にしなくていーんだ」


 そんなおれに一斉に視線が集まり、打って代わって静寂が瞬時に広がった。

 無理もない。これから一曲披露するってのに音程を気にしなくていいなんてどういう了見だっつー話だからな。

 しかし、無言の内に突きつけられるそんな視線を意に介することなく、おれは続ける。


「しっかり歌おーと思うな。正解を気にして正しく歌おーと思うな。おまえはヘタに音程を合わせよーとするからつたなく聴こえるんだ。とにかくおまえは、歌詞に込めたメッセージとか感情とか歌ってるその瞬間に思ってることなんかを思いっきり体現することに全霊を注いで観衆にぶつけることだけ考えて歌え」


 その時、クラッと頭が眩んで意識が飛びそうになった。心なしか、脇の下を支える美夜の腕に力が増した気がする。

 懸命に意識を繋ぎ止める。

 一息にそれだけ捲し立てても、何言ってんだこいつ、みたいな周囲の視線と沈黙は変わらなかった。日和沢もきょとんと眼を丸くして数学の難問でも突きつけられたかのような顔でおれを見下ろしている。

 やれやれ、しょーがねーな。もう少し補足してやるか。


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