第四四話 叫べ!(2)

 身体中から芯が、筋肉が、神経が。

 ごっそり抜き取られたかのように指先一つ動かせなかった。

 かろうじて動くのは思考だけ。

 だがそれも既に薄れて遠退きつつあった。

 ガラクタ。ポンコツ。役立たず。

 やっぱり、どう考えても生きるのに向いていない身体だ。

 もどかしい。鬱陶しい。イライラする。

 行きたい場所があるのに、もう少しなのに、やりたいことがあるのに、それなのに立つことすらままならない。


 なんだよ心臓こいつ、こんな肝心な時に限って非協力的な態度取りやがって。必要な時に限って邪魔してくる相棒なんていらねーんだよ。


 ……あぁ、むしり取りたい。えぐり出したい。こんなポンコツとはとっとと縁を切って自力で生きていきたい。そんな衝動に駆られる。


 ……けど、無理なんだよなー。こいつがないと、おれ死んじまうんだよなー。

 なんだよそれ。そんな理不尽な話があるか。

 なんでそんなもんがおれの動力源なんだよ。なんでおれだけそんなロースペックなんだよ……。

 こんな欠陥品が相棒とか、ハンデきつ過ぎるだろ。

 本当にもう嫌になるなこれ。全部、投げ出したくなる。


 身体はダウン状態。しかし気持ちだけは立派に前に進もうとする。

 新設組の出番は最後のほうに回されており、予定通りに進行していれば、そろそろ昆虫食部の出番に差し掛かる頃合いだ。缶コーヒー部は参加申請書が出ていなかったので、それが終われば日和沢が軽音部(仮)としてトリを飾ってこの説明会に幕を降ろすことになる。

 どうせなら昆虫食部こそ辞退しろよと思ったのが記憶に蘇り、乱れに乱れた呼吸の中にも思わず苦笑が漏れた。昆虫食部の参加申請書によると、ヤツらはバッタを醤油で炒めたものを希望者に振る舞うらしく、その概要に目を通した鏡華きょうか先輩のげんなりした顔が頭から離れない。


「これ、コンプライアンスとかでアウトにできないかしら……」

「無理じゃね? それがアウトなら料理部の肉料理もアウトにしなきゃいけねー気がするし」


 どちらも生き物という点では変わらないわけだからな。豚や牛は食えてどうして虫には嫌悪感を催すのか、という話になるからだ。もちろん、それが論理的に説明できるものでもなく、大多数の人間の一般的且つ生理的な感覚を優先されてしまえば通ってしまう話でもあるのだろうが。


 つーか、それを食したいと思う希望者ゆうしゃが現れなかったらどーすんだろーな。いや、たぶん壇上に上がる馬鹿な男が一人はいるだろーけど。


 そしてそれが終われば……軽音部の出番だ。

 結局、どれだけ特訓してもあいつの歌唱力はマシにならなかった。

 おれの選び出した改善法が的外れだったのかもしれない。

 そもそも門外漢であるおれがそれをどうにかしようなんていうのが手に余る難題だったのかもしれない。

 そんなヤツにそそのかされて、今頃日和沢は、やっぱり説明会になんて出るべきじゃなかったなんて思っているかもしれない。

 それでも……どれだけ逆風をぶつけられてもあいつは折れようという気はなかった。

 生徒会長であるおれの姉にビラ配りを禁止された時も。

 先代軽音部が起こした事件を明かされ、部員集めが暗礁に乗り上げた時も。

 その事件を起こした際の相手と遭遇し、因縁をつけられた時も。

 歌唱力に改善に兆しが見られなかったこの一週間も。

 そもそもが才能がないというハンデを抱えていても。

 そんな人間を前に、ただ何もせず指をくわえて見ているだけなんて、おれには――。

 そんなふうにめまぐるしく脳裏に甦ってくる映像に、ふと気付いてしまった。


 ……あれ? なんかこれ、走馬灯っぽくね?

 おかしーな。昔はこれくらいのことはよくあったのに。


 身体が出来てきたことを考えると、もう全然これくらいの無茶はイケると思っていたのに。

 心なしか、意識がふわふわとしてきたような気がする。

 気づけば全身の倦怠感や苦痛も消え失せており、この身にあるのは、ただただおれの中の何かがどこかに飛び去っていってしまいそうな浮遊感。


 ……いや、だから。

 ふざけんなって――。

 言ってんだろーが!


 意識にぐっと力を込めて持ちこたえる。

 と、同時にどこかに飛び去りそうになっていた何かが戻ってくるものの、途端に全身を蝕む倦怠感や苦痛も戻ってくる。

 しかし、先程よりかは幾分いくぶんかマシになった。

 ああやって身体が動かなくなってしまった時には全力で全身の回復作業に入る。

 幼少の頃に幾度となく経験したこのダウンで悟った対策、次善策。

 といっても身体の回復なんて意識の問題でどうにかなるものでもないだろうから、こんなのは気休め、ほとんとプラシーボ効果のようなものだろうけど。

 ちょっと回復した、気がする。

 そんな錯覚めいた言い聞かせで、あるいは思い込みで、おれは廊下に両の手をついて上半身を持ち上げた。右の膝を立てる。

 上半身を起こして膝立ちの状態になり、壁に手を付けて、足腰に力を込める。ゆっくりと、膝を震えさせながらも立ち上がる。

 首を持ち上げる力も不足しているせいで下半身がよく視界に映るが、その様は何ら誇張なしに生まれたての小鹿のようだった。

 が、いける。

 壁に手をつけて身体を預けながらではあったが、おれの足はゆっくりと体育館に向けて進行を再開した。


 ……頼む、間に合ってくれよ……。


 遅々とした足取りながらも本校舎を出る。その後に伸びる十メートル足らずの渡り廊下を抜ければ体育館だ。

 ただ歩くだけの動作ではあるが、一度限界が来てしまった身体にはそれだけでも重労働だ。本当はもっと休めるところで横になっていたほうがいいのだろうが、それどころじゃない。

 今にも力が抜けそうになる足腰に喝を入れて、渡り廊下も渡りきる。体育館へ続く扉に手を掛けたところで、しかしなぜかその扉はびくともしなかった。

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