四章
第三三話 求められる水準
リビングのテレビが音楽番組を流しているのを前に、ダイニングでは粛々と夕食タイムが進行していた。
明日は月曜という、憂鬱感漂う日曜の夜。
そのせいか、家族四人が
一見、寂しく見えるが、だからといって家族関係が冷えきっているというわけでもない。以心伝心とは言わないまでも、そこには言葉や会話を必要としない信頼や思い遣りが存在することをおれは知っていた。
その恩恵を最も強く享受しているのは、間違いなくおれだろうから。
星名家の食事風景に過度な言葉や会話は必要ない。
代わりと言っては何だが、スキンシップが多かった。……主に姉弟間での。
食事中のスキンシップってなんだ。
四人掛けのダイニングテーブルに、父さんと母さんが隣同士に、おれと美夜が隣同士に、それぞれペアで向かい合って座るというレギュラーポジションだが、この配置では星名家の姉が弟に距離を詰めてくるのは自明の理というものだった。
それも、いつぞやの昼休み同様、おれの右腕を封じる形で、という鬼畜の所業。その隙におかずを摘まんだ箸を差し出してくるわけだ。……が、今日は
それでも懲りずに右手封印のステータス異常とおかず突き出し攻撃を繰り出してくる
個人的にはあまり視聴する機会のない、星名家では主に母親が好むジャンルだ。美夜はそもそもテレビに興味がない。
おれも最近まで興味の欠片もなかった音楽番組だけど、ここ数日は気が付くといろいろな番組を視ている事が多かった。
今夜は母親と一緒になってそうしていると、番組はトークコーナーやミニコーナーの後に、ゲストであるアイドルやシンガーたちのパフォーマンスへと移るという流れを何度か繰り返す構成らしい。
今も何組目かのゲストが、自ら作り出した作品世界に
それをステージの客席に入れられた聴衆が手を挙げて振りかざし、幾度となく軽快に跳び跳ねながら曲を盛り上げる一端を担っている。
このゲストは、ワイドショーでも見ていればおれでも自然と見聞きする機会の多い、音楽業界では間違いなく第一線で活躍していると言っていいシンガーだ。
確かに曲は軽快でアップテンポ、そこに乗せている詞も人の心の機微を表現した叙情的なものとなっていて、聴衆の様子を見るに盛り上がっているステージではある。
が、おれにはどうしても首を傾げずにはいられないことがあった。
「なぁ母さん。この歌手の歌は上手いのか?」
普段から音楽番組に目がない母親にそれを訪ねると、テレビから聴こえてくる曲に体を揺らして箸をタクトのようにふりふりしながら、
「そりゃあ歌手なんだから、上手いに決まってんだろ」
と、それはもう上機嫌に答えてくれたが、どこに因果関係があるのかよくわからない。
歌手だから上手いに決まってるのか?
そりゃあ実力がなければテレビで披露するような立場にまで登り詰めることは不可能だろうけれど、おれにはイマイチ得心しかねた。
あまり参考になるかはわからないけれど、おれは母親に向けた疑問を、ダメ元で隣にいるヤツにも向けてみた。
「おまえはどう思う?」
「『おまえ』じゃなくて『おねえちゃん』。興味がないから知らない。それよりミコト、このムニエルはおねえちゃんが作った。口を開けて」
ダメだった。
案の定、返ってきたのは何の参考にもならなさそうな答えだった。
おれは故意に明後日の方向へ顔を逸らし、美夜が箸で摘まんで差し出してきたムニエルから逃げる。自分の箸でこれ見よがしに同じものをほぐし取って口に放り込んだ。うん、美味い。味の薄さを除けば。仮入部巡りの料理部で高上が調理して見せた肉じゃが並みに美味い。もうおれのメシはあいつに作ってもらおーかな。
……こいつも長所はあるんだけどなー、と、おれは姉を
画面の中では相変わらず
ついこの間、カラオケを初体験した程度の門外漢では上手く言葉にできないが、少なくとも数年前に聴いた藍沢の歌声のほうが、もっとビブラート? などを利かせていて曲に強弱や波を感じることができた。
あれは……そう、聴いた人間の心に染み入ってくるような、砂漠のど真ん中に湧いたオアシスのような音色だと感じた。
今、画面の中で歌っている歌手にはそれが感じられない。男性で、声質の問題もあるのかもしれないが、ただ音程に乱れがないだけ、という感じがする。
感情の込め方と詞の内容。そしてリズミカルで濃淡のある曲調。
その辺りはやっぱり、「なるほど、これがプロか」と思わされるものだ。
それが素人との確かで大きな違いで、それが出来るからこそのプロなのかもしれないが、歌い方自体にはやっぱり違和感を覚えてしまう。それは飽くまで違いであって、好みの問題であって、もしかしたら優劣の問題ではないのかもしれないけれど。
……やっぱこんなのは、素人考えなのかねー。
どちらにしろ日和沢なんて、ほんの少しマシに聞こえたこの間のカラオケ時点と比べても、このシンガーの足元に及ぶべくもない。あいつと比べるなんてプロに失礼だ。
けれど今、画面の中でで歌っているこのシンガーを基準にして考えると、日和沢にもここまでとは言わないまでも、もう少しだけレベルアップしてくれれば、という儚い願望が生まれる。
……いや、いけるか?
僅かなりとも特訓期間もある。
どれだけ改善できるかは未知数だが、最初に音楽室で盗み聞きした時から先日のカラオケの時までの進歩具合を考慮すると、なんとか形になるような気がしなくもない。
最終的には本人任せになるし、成功率としては試算で五割もなさそうな
それに、成功率が百パーセントと確定してしまうのも詰まらない。
叶うかどうかわからないからこそ燃えてくる、とも言えるのだから。
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