第十三話 旧友からの電話(2)

 その日の夜、ぽつねんと寂しげに机の上に放置されていた携帯が着信を知らせてきた。

 こんな時間ともなれば家族は全員家にいるし、それ以外にこのケータイを鳴らす人間はそうそういない。

 思い当たるのは、テンションの壊れた性格の悪いあの女。


 不審に思ってケータイの液晶を覗き込んでみると案の定、そこに表示されていたのは藍沢蒼あいざわあおいという発信者の名前だった。

 確かにまた連絡するとは言っていたが、こんな短いスパンで電話を掛けてきたことなんて今までなかったはずだ。

 洗ってもなかなか落ちない油のような引っ掛かりを覚えながらも、おれは耳から三十センチほど受話口を離して通話ボタンを押した。


『おっすミコトー! 久しぶりー!』


 予想を寸分と裏切らないその大音声だいおんじょうを聞いてからケータイを耳に当てる。


「久しぶりじゃねーよ。ついこないだ掛けてきたばっかじゃねーか」

『そうだっけ? まぁ細かいこと気にしてんじゃないわよ。せっかくあたしが直々に電話してやってるっていうのに。未来のハイパーミリオンヒットシンガーであるこの藍沢蒼様が!』


 もはや耳タコな痛々しい決まり文句は右から左へと聞き流し、おれは先を促す。


「で、今日は一体何の用だよ。今までこんなピッチで掛けてきたことなんてなかっただろ」

『や、そういえばあんたどこの高校に進学したのか聞いたことなかったなーって』

「聞いてどーする」

『ただの興味本位よ。瀬木せぎ高?』

「知ってんじゃねーか。つーか何で知ってんだ」


 おれが怪訝に思って問い返すと、藍沢はどこかクスクスと抑えたような笑い声を漏らす。


『ただの勘よ。にしても、へぇ、瀬木高ねぇ。ふぅん、へぇ』


 明らかに含みを持たせたようなリアクションだ。ニヤニヤ笑いを浮かべながら話しているだろうことが容易に想像できてしゃくに障る。


「ったく……。だからなんだってんだよ。そこから話膨らませられるんだろーな?」

『なんか面白いことあった?』

 

 こちらの質問に答えているのかいないのかよくわからないその応対に、おれは眉を潜める。


『ほら、委細漏らさずゲロしなさいよ』

 

 楽しそうに弾んだその言葉におれは、返答を保留するしかなかった。

 何せ、面白いことなんて何もない。

 平坦な高校生活の立ち上がりでないことは確かだが、確実に面白くはない。


 ただ、こいつにとっても面白くないかどうかは別だ。

 つーか、今日あったばかりの一騒動なんて、こいつにとっては格好のネタだろーな。電話の向こうで腹を抱えて笑い転げるビジョンしか見えない。

 そんな良質なエサを与えるのも癪なので、おれは話をはぐらかす。


「いや、何もねーよ」

『何もない? ホントに? へぇ~? 何もない、ねぇ?』


 なんだ? さっきからこいつのこの応対は?

 気にはなるものの、先ほどからお茶を濁されてばかりであることをかんがみると、たとえ問い詰めたところではぐらかされるのがオチだろう。


「ったく、大した用がねーならもう切るぞ」

『待った待った! それはちょっとツレないんじゃないの? お互い久しぶりなんだし、もっと話すわよ』

「おまえホントどーした? これまで『何でもいいから話そう』みたいなことなかっただろーが」

『別にいいじゃない。とにかく何でもいいから話しなさいよ。あんたの高校生活がどんなスタートを切ったのか。クラスはどうなの? 可愛い子はいる? 友達ができてないのはわかるけど面白いヤツとかいないの? 先生はどんな人よ? 全部吐くまで今日は寝かせないわよ』


 随分とおれの新生活にご執心のようだが、最後の要求だけは聞き過ごすことはできそうにない。


「それは無理だな。おれにとって夜更かしは健康の大敵だからな」

『あー……』


 迂遠な言い回しにしたにも関わらず、それだけで内実を察したか藍沢は得心したような声を上げる。

 つーか普通に眠い。そろそろ寝たい。


『でも一晩くらい大丈夫でしょ。失った睡眠時間は授業中に取り返しなさい』

「失った信頼は~みてーに言うな。おれの席、一番前なんだよ。最初は真ん中辺りだったのに最前列にさせられたんだよ……。寝れねーんだよ……」

『……あ、身長のせいで? あっはっはっは! 何それウケる! それは聞いてないわ! てゆか適当に体調不良をでっち上げて保健室行こうとしないとこがマジメ! それとも意地張ってるだけ? あっはははははは!』

 

 殴りてぇ……と、何か受話口とは違うところから何やらピコピコ聞こえてくんなーと思っていたら、おれの右腕がひとりでにピコハンを装備して床を連打していた。宿主の意を汲み取った封印されし何かが、おれの代わりに憂さを晴らしてくれているのかもしれなかった。


『そうそう、そういう話を聞かせなさいっての。でも最前列って教師からしたら意外と死角だって言うわよ。あんたの身長だったら尚更でしょ』


 床を攻撃する右手が勢いを増していた。

 なぜこいつは今この瞬間、目の前にいない!?

 いたら直接殴ってやるのに!

 と、電話の向こうに恨み辛みを飛ばしている時、部屋のドアがガチャリと開いて美夜が顔を覗かせてきた。ノックはなかった事は言うまでもない。

 

「ミコト、なんかピコピコピコっていう音が一階まで聞こえて……」


 ヤツはおれがケータイを耳に当てているのを見るや否や、すたすたと詰め寄ってきて手を伸ばしてきた。


「誰と電話してるのおねぇちゃん以外の女なら今すぐ替わりなさいミコトに唾つけないようにちゃんと言ってあげるからちょっとそのケータイをおねえちゃんに」

「あーもうっ! ただのクラスメイトだよ男友達だよやめろのしかかってくんな離れろ重い!」

 

 こういう時、おれの口は平然と嘘を吐く。

 だっておれが誰と話してよーが責められるわれがあるか? 

 いやない。


 幸い、夜もいい時間だったので、弟の健康第一のこいつを追い返すのにそれほど時間は掛からなかった。要らん労力を支払わされたのは事実だが。

 しかし代わりにその晩はあっさりと意識が落ちて、快適な睡眠を貪ることができました。スヤァ。

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