第三一話 それでも(1)

 カラオケボックスから連れ出されて外に出ると、空は既に薄暮はくぼの色に染まっていて、嫌な寂寥感せきりょうかんを胸中に去来させた。四月も下旬ではあるが、夕食時まで夕焼けを拝めるようになるにはまだ少し掛かりそうだった。

 という、そんな感慨に耽る余裕がおれにはあったが――。


「ミコトくんは何でそんなに楽しそうなの……」


 おれたちがどこかへと連れて行かれる道中、日和沢が至近距離から見下ろしながら話し掛けてくる。小さく抑えられたその声はやはり、少なからずの不安に染まっていた。


「楽しそう? おれが?」

「鼻歌でも歌い出しそうな顔してるよ……」

「気のせいじゃねーの」

「いやいや、ミコトくんは普段ぶすっと無愛想にしてるんだから、その分機嫌良い時の顔はものっそいわかりやすいよ?」


 言われてみれば、そんなふうに評されたことも過去にはある。


「だとしたら、こんな機会は滅多にねーからだな。これからおれたち、どんな目に遭うんだろーな!」

「ちょっと! お願いだから無茶とかするのやめてよね! 身体のこともあるんだから!」

「それはこいつら次第だな」


 器用に小声で叫びながら刺された釘をおれは口から出任せで流しつつ、前を歩く男を見る。

 当然ながらおれよりも身長は圧倒的に高い。

 そんな男五人に周囲を塞がれているとなれば、これはもう壁にでも囲まれている気分だった。その目も常に誰かのものがおれたちに向けられていて、ケータイを取り出す余裕もありそうにない。連絡なしに日和沢のツレを個室に残して抜け出してきてしまった流れになっているが、仕方ないだろう。あとで日和沢が事情を説明するだろうし、ここは一度忘れよう。

 空が夜へと染まり行く薄暗い中、おれたちがちょっと怖めのオニーサンたちに囲まれて連れて行かれたのは、カラオケボックスの裏手にある、使われているのかいないのかよくわからない寂れた駐車場のような空き地だった。

 田舎と呼ぶには色々な商業施設が揃ってはいるが都会と呼ぶには高層ビルが圧倒的に足らない――というか存在しない、そんな中途半端なこの町にはこういったエアスポットのような場所がチラホラと見られる。

 加えて言えばそんな町なので、主な移動手段は車か自転車。歩行者なんてほとんど目にすることはない。

 すぐ近くにはそれなりに交通量のある道路が通ってはいるものの、街灯も立っていないこんな空き地に目を向ける人間もいやしない。

 篠崎と日和沢は自分たちが足を踏み入れつつある非日常の雰囲気に呑まれそうになっているのか、額に脂汗を浮かべていた。それでも篠崎は日和沢を庇うようにして立っている。

 明らかにこういう場に慣れていそうな男たちを前に。

 店の中で話しかけてきた時の言動からして、この男たちが件の暴力事件の関係者――いや、当事者であることは疑いようがなかった。

 懸念していた事態。

 噂をすれば影が射すとか言うが、こうも早く現実にならなくていいだろーに。おれの身体からだのことといい、もしもカミサマとやらが実在するなら絶対に性根は腐っている。

 どう贔屓目ひいきめに見ても険悪な空気しか感じられない中、周囲を囲む男たちに信じられない第一声を発したのは篠崎だった。

 

「なぁあんたら、こいつだけでもここから帰してやってくれないか」

 

 篠崎は軽音部設立のメンバー集めに関わっていたわけでもなく、この場では完全に無関係者のはずなのにも関わらず、一番の矢面に立って交渉役を買って出るつもりらしい。

 まぁ日和沢の前だしな。こいつもおとこを見せたいんだろう。

 それはそれとして、口火を切った篠崎の親指は気取った感じでおれを指していて、いやいや、何言ってんだこいつはって感じだった。


「何でおれだけハブろーとしてんだよ。イジメか」

「逆に何でお前は拗ねてんだよ! このままここに居たほうがヒドイ状況になる可能性があるから逃がそうとしてやってんだろうが! 察しろよ!」


 しかし意外だったのはおれをここから離脱させようとしたことだけじゃない。

 日和沢をまず最初にその対象に選ばなかったことだ。

 篠崎は好意を寄せているはずの日和沢より、まずこの窮地から離脱させるべきはおれだと判断した。

 身体のことに気を遣ったのかもしれないが、面白くない。

 おれ一人だけのうのうと安全地帯に逃げるなんてできるかっつーの。


「いいわけねぇだろ。一人も逃がさねぇよ」


 篠崎の提案に拒否でもって応じたのは、髪を明るめの茶色に染めた男だった。

 その顔には怒気を内包した張り裂けそうな嘲笑。


「去年のあの事件で俺らの仲間の一人がお前らに腕の骨折られて病院送りにされてんだ。お前らも一人くらいそうなっとくのが対等ってもんじゃねぇのか?」


 いやもうホント、先代軽音部は一体どれだけのことを仕出かしたっていうんだ。

 察するに被害者当人はここにはいないようだが、仇討ちのつもりなのか、この男たちからビシビシと伝わってくるリベンジ精神がハンパない。

 そんな彼らに向けて果敢にも一歩進み出るおれたちのナイト、篠崎。


「待ってくれ」


 その声は僅かに震えていたが、せっかく想い人の前でいい格好をしようとしているのに水を指すほど、おれも野暮じゃない。

 おれは静観の構えで成り行きを任せる。


「去年の軽音部が仕出かしたことは聞いてはいるが、俺たちはその軽音部とは無関係だ」


 それを耳にしても怖めのオニーサンたちは表情一つ変えなかったが、何人かは顔を見合わせたのが視界の端に映った。

 篠崎は続ける。


「そもそも俺たちは今年入学したばかりの一年なんだ。あんたらの言うウチの軽音部員のことは顔も名前も知らない。だから、おれたちにやり返されるのはちょっと筋違いなんじゃねぇかと、俺は思うんだが……」


 おれも思う。

 とりあえず弁明すべきことをし終えた篠崎は、目の前に立っている茶髪男を恐る恐るといった面持ちで窺うが……。


「テキトーなこと言ってんじゃねぇぞ。んなこと信じるわけねぇだろ。さっきてめぇらが軽音部がどうとか言ってんの聞いてんだよ。もっともらしいことほざいてこの場から逃れようったってそうはいくかっつーの」


 ドンッ、と、男の手が篠崎の肩を押した。

 にわかに痛みが走ったか、よろめいて顔をしかめる篠崎。

 暴力と呼べるかは微妙な行為と威力だったが、それは明らかな挑発行為だった。

 やり返せるものならやり返してみろと、自分達が絶対的優位に立っているという確信から来る行為。

 さらに言えば、やり返さないのなら一方的にやってしまうぞという宣告でもある。


「待ってくれ! 違うんだ! あれは……!」


 茶髪男の宣告と同時におれたちを包囲する輪がじりじりと狭まる気配を見せる。

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