第二六話 勧誘活動(1)

 朝、弟と登校することに並々ならぬ執着を見せる美夜を振りきって独力での登校を果たすと、校門には登校する生徒を待ち構えるウチのクラスのサイドテールがいた。

 少し距離を置いたところで足を止めて見ると、同級生上級生を問わず、登校してきた生徒にかたぱしから気勢の良い声を掛けながら何やら紙切れらしきものを配って回っているようだった。近くには興味なさげにスマホを弄りながらそれに付き合う日和沢のツレの姿も見える。


「何やってんだ?」


 既に何となく想像はついていたが、おれは登校生の波が途切れたところを見計らって声を掛けた。


「あ、ミコトくんおはよう! あたし思い付いたんだよ! 先輩たちのクラスに行くのが嫌ならビラ作って配ればいいじゃんって!」


 朝も早くから太陽顔負けの眩しい笑顔に、残っていた眠気を吹き飛ばすような快活な声。

 そんな日和沢が抱えている紙切れの束には、軽音部設立のメンバー募集を呼びかける旨が色とりどりのイラストと共に記されていた。

 こうやって勧誘活動に精を出しているところを見ると、やっぱり先日の音楽室でのアレは、合唱部に入ろうというわけではないらしい。

 さも世紀の大発見のように意気込んでいる日和沢だが、こんな方法はむしろ常套手段だろ。

 というか。


「校門前で張ってビラ配るのって、上級生のクラスに突すんのよりハードル低いか?」

「あたし的にはね。先輩たちのクラスってアウェー感あるじゃん」

「あー、まぁ言われてみれば。……で、調子は?」


 おれが肝心の進捗状況に関して問うと、しかし途端に日和沢の笑みは時間を止めたかのように凍結した。ややあって見る見る内に青ざめていったかと思うと、すぐに一転して時間の流れを取り戻した笑みで言い放った。


「ミコトくん……、もう数合わせでもいいから入って!」

「言ってることがこの間と百八十度違くね?」


 どうやらこのビラ配りも手応えにはとぼしいらしい。

 日和沢は地面に膝を立てておれよりも頭の位置を低くしてまですがるような眼を向けてきた。つい先日の威勢の良さは夢か幻か。

 ……ったく、しょーがねーな……。

 ま、根気よく続けてるにも関わらず難航してるみてーだし?


「どーすっかなー。おれは名前貸すだけでもいいって言ったのに、せっっかくのそんな厚意もきっぱり断られたしなー」

「謝ります! だからどうか! ミコトくんの偉大なお名前をお貸しくださいぃぃ!」

「だが断る」

「おかしくない!? 今なんだかんだで入部してくれる流れじゃなかった!?」

「知るかそんなの。自分の力でどーにかしろ」

「ミコトくんの小鬼こおに! 小悪魔こあくま! 小人こびと!」

「おまえ何で全部にを付けた!? 罵声にしてもおかしーだろ! 特に最後のとかがなかったら罵声じゃねーからな!?」


 それはもうただの人だ。鬼とか悪魔は罵声としてよく聞くが。

 そうやって人の身長をダシに散々罵ってくれたサイドテールだが、前言をねじ曲げられたのはこちらだって同じだ。ったく、この間の「数あ合わせは要らない」宣言には、おれのほうこそ己の浅慮せんりょを改めさせられたものだっていうのに、自分でその信念をねじ曲げてどーする。


「つーかさ、それまだ配り始めたばっかじゃねーの? 結果が出るには時間が掛かるだろーし、とりあえずもう少し続けてみろよ」


 おれとしても数少ないツテを当たって一人、声を掛けてみたということもある。が、あいつがその気になるかどうかはわからないし、期待させるだけさせといて落胆させるようなことになるのも嫌だしな。こいつの耳に入れるのはやめておこう。


「うん、そうだね」


 おれの指摘に一転、日和沢は柔らかくも力強い笑みを見せてやる気を滲ませると、再び荒くなってきた登校生の波に溌剌はつらつとした声でビラを配り始めた。無数に来訪する生徒たちに一人で手が足りるわけもなく、せわしなく右へ左へと動き回る。どうやら日和沢のツレは本当にこの場に付き添っているだけのようだった。

 

「…………」


 つーかアレだな、ビラを貰った連中の反応、本当に薄いな。

 魔術的な何かで思考を操作されているんじゃないかと思えるくらいに総じて薄い。もちろん現実的にそんなことはあり得ないのだが、日和沢から受け取ったビラにも視線を落とすのは一瞬だけ、それ以降は手に提げるなりポケットに突っ込むなりして見返そうともしない。

 軽音部ってそんなに人気ないもんだっけ? 

 そーか、とっくにバンドブームは去っていたのか……。

 と、それでもめげずにビラを配り続けていた日和沢は、動き回りながらも一瞬だけこちらを振り返って声を上げる。


「じゃあ期限までに人数足りてなかったらミコトくん入部ってことで!」

「必死だな……」

「そりゃそうだよ! 今月中に設立しなきゃいけないんだから!」


 しなきゃいけないってことはないと思うが。

 しかし、おれの脳裏に先日の音楽室の光景が蘇る。


「いーじゃねーか。そん時は合唱部入っとけば」


 探りを入れるようにそんな代案を向けてみると、ピタッと日和沢が活動的なその足を止めた。次々と登校してくる生徒が怪訝な顔を向けて校門を通り抜けていく。

 ギギギ、と立て付けの悪い扉を開けるかのようなぎこちない動きで日和沢の首がこちらに向いた。


「……もしかしてそれってこないだの……」

「あぁ、音楽室の前通ったらドアが開いてたからつい、な」

「……ウソだ」

「いやいや、ウソじゃねーって」

「練習する時はドアが閉まってるの確認するって合唱部の人言ってたし、ドアの小窓はミコトくんの背じゃ届」

「それ以上言ったら軽音部の設立を全力で妨害するからな」

「もう! 気にし過ぎだよミコトくん! 小さいのも個性だから大丈夫だよ!」


 そろそろこのケンカ買ってもいい頃合いなんじゃないかと思えてきた。

 そんなことは他人の問題だからそう言えるのであって、個性にも自分で受け入れられるものとそうでないものがある。他人が持ってる分には何とも思わなくても、自分が持っていると堪らなく我慢ならないものへと様変わりしてしまい、結果、おれのように黒いものを腹の内に抱えて過ごすハメになってしまう。どれだけ他人に『気にする必要はない』とか好意的な反応を示されたとしてもそれを信用できなかったりしてな。

 つまるところ、自分で受容できるかどうかが大事になってくるわけだ。

 日和沢は気遣って言ったつもりなのかもしれないが、しかし通り過ぎる登校生の中にはクスクスといった忍び笑いを向けられているヤツも少なからずいた。

 これはもう、ささやかな反撃くらいは許されて然るべきだよな。


「つーかおまえ、いつだかギター弾けるとかほざいてたけど、あんな音痴でホントに弾けるのかよ。あれなに? 戯言ざれごと?」

「シツレーな! 歌うのと演奏するのは違うんだよ! メチャクチャ上手いわけじゃないけどそれなりに弾けるし!」

「いやいや、そんな見栄張んなくていいって。どんなに下手な演奏も個性だから気にすんな?」

「ぬぐぐぐ……」


 そう悔しげに唸るクラスメイトにおれは勝ち誇った笑みを返した。

 あーすっきりしたー。


「てゆかミコトくん、普段むっつりしてるくせに何でこんなときだけ笑うの……。しかもものっそい意地の悪そうな顔だし……。絶対Sでしょ」

「まぁ少なくともMではねーな」


 ひとまずはこれで気分が晴れたので軽音部設立を邪魔するのは勘弁してやろうと溜飲を下げた時。

 しかしそんな魔の手は思いも寄らないところから伸びてきた。


「ミコト、何してるの?」


 背後から聞こえてきた抑揚よくようのない声に振り返ると、登校生たちの波から外れて、家に置いてきたはずの美夜の姿があった。

 やべ、こんなところで油を売りすぎたか。

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