第十九話 買い物スタート?

「うわ、相変わらず混んでんなー」


 ショッピングモールの入り口をくぐった瞬間、おれたちは圧倒的な数の先客に気圧けおされることになった。どこかのスクランブル交差点ほどではないが、まっすぐに歩いていたら五秒置きに人にぶつかりそうなくらいには、高い人口密度となっている。


 今日が休日であるという条件と、この入り口がフードコートに近いせいだろう。まだ昼を少し過ぎた程度のこの時間、この辺りは、昼食や一服のためにフードコートに出入りする客が多い。

 その前を過ぎてしまえば人の波はマシになるはずだが、それまでが苦労しそうだった。

 とにかく、落ち着ける場所まで進んでしまおうと意気込んで踏み出すと、後ろから手を引かれて早々に出鼻を挫かれた。


「なんだよっ!」


 ガクンッ、と急停止を余儀なくされたおれは、後ろからおれの手を掴んで引き留めた張本人に抗議の声を上げた。


「ミコト、ちゃんとおねえちゃんの手を握って、おねえちゃんから離れちゃダメ、ゼッタイ」


 美夜はそう言いながら、おれの手を握る手にきゅっと力を込め、先陣を切って人の波に突っ込み始めた。

 人除けを買って出たのは明らかだった。こいつはおれよりも二十センチ近くリーチがある上、まともに運動ができないおれと違って足腰もしっかりしているので、こういう状況になるとすぐにこういった行動に出る。

 ……いや、おれのこと何歳だと思ってんだよ。

 

「姉貴よ」

「『あねき』じゃなくて『おねえちゃん』」

「高校生にもなって買い物に来て姉と手を繋ぐ男子を見たことがあるか?」

他人ひと他人ひと。ウチはウチ。おねえちゃんはむしろ抱き上げて移動したいくらい」

「それはもう乳幼児だからな! 子供扱いにも程がある! 恥ずかしさで逆に心臓止まるわ!」


 それに、さすがに人波に揉まれた程度で身体に障るということはないし、注意して進めば十分に往来する客の隙間を縫って移動できそうでもある。

 というわけで、おれは過保護な姉の手を振り払った。

 さらにはそれを追い抜いて、自分の足で歩き始める。


「ミコト!?」


 おれは持ち前の小さな体躯にものを言わせ、軽快な歩調で人の波を掻い潜っていく。ついでにおれの手を掴み直そうとしてきた過保護な魔の手からも逃れる。

 つまらない買い出しなんてさっさと済ませたいんだよなー。

 そのためには二手に別れたほうが早く済むはずだ。

 ずっと二人で買い物を回るとか、効率が悪いことこの上ない。


 おれは人波を縫いながらケータイを取り出し、メモしておいた買い出しリストを確認する。

 このショッピングモールは四階建てになっていて、一階に生鮮食品の売り場や生活雑貨のショップ、それにフードコート、二階と三階には衣類や小物、書店やアパレルショップやカフェなどのテナントが入っており、別館にはゲーセンや映画館などのアミューズメント施設も併設されている。ちなみに四階は半分以上が駐車場だ。


 買い出しリストと相談すると、目的は一階と二階で済ませることができそうで、さらに言えばおれの目論み通りに分担もできそうだった。

 さっと立ち止まって反転し、一瞬だけ追ってきていた美夜と向き合う。


「おまえ一階。おれ二階な。夏物衣類だけ最後に回して二階で合流。いーな?」


 端的に別行動を告げ、おれは再び捕まる前にさっさと背を向けて足早に移動を始めた。

 本日の買い出しには夏物衣類が含まれているのだが、それを美夜に任せると全然おれの趣味じゃないジャンルの服を勝手に買ってきやがるので、その前には必ず合流する必要があるわけだ。

 以前、美夜が買ってきた短パンとサスペンダーと蝶ネクタイを目にしたときの絶望は、二度と味わいたくない。あいつは時折、おれを初期の某小学生探偵のようにしたがる節がある。


「ちょっ、待っ」


 背後から少しだけ慌てた調子の姉の声が聞こえたが、おれは聞こえなかったフリをして軽快に人の波を縫う。待てと言われて待つ素直な聞き分けの良さは、十年くらい前にどこかに置いてきた。

 一度だけ背後を振り返ると、未だにおれを追いかけようと奮闘している美夜がチラホラ見えたが、身長も高く長い手足が仇となって、しばらくして人混みに消えた。


「まったく、あいつの過保護はいつまで経っても変わらねーな。いつになったら弟離れしてくれるんだか」


 いや、当分はするつもりなさそーだったな。

 おれは歩調を緩めながら、不動産屋の前でのやり取りを思い出して嘆息する。

 まさか、将来的に実家を出て二人暮らしをするつもりだったとは……。

 実家出る意味あんのかそれ……。

 あいつ的には親の庇護下ひごかを離れて生計を立てられるようになることには意味があるだろうけど、おれ的には目先の保護者が両親から姉に変わるだけだ。本当に意味がない。


 だったら、おれが実家を出て独り暮らしというのが実現できるのかという話でもある。

 あの担当医からはそれが可能になる見込みは十分にあると告げられているけれど、いつ何が起こるかわからないのだ。

 内的要因としても、外的要因としても。

 自立が可能になるまでも、それが実現してからも。

 

「ふぅ」


 と、おれは息を吐きつつかぶりを振って、どれだけ悩んでもどうにもなりそうにない現実から思考を切り替える。買い物に意識を戻す。


 現在地はまだ一階。気づけば比較的ひと気の少ないエリアに抜け出ていたようで、先ほどと比べると人の波が随分と緩やかになっていた。

 しかし当然、その分、あまり一ヶ所に留まっていると美夜に見つかりかねない。それに加え、あいつを撒いている内にエレベーターからもエスカレーターからも離れた場所に来てしまったようで、それらを探さなければならないことに億劫な気持ちが生まれる。


 そして何ともタイミングの良いことに、視線の先に非常階段へと続くEXITの表示灯が飛び込んできた。

 足を動かすことなく上下移動できる設備とは真逆の、人に足腰の負担とカロリー消費を強要して運動不足解消を促す例のアレに、おれはチャレンジ精神と対抗心が湧いてくるのを感じる。人間、楽をすると良いことはない。抱き上げられて移動を楽にするとか本当に良くない。

 迷ったのは一瞬だった。おれは二階への手近な移動手段におれはすぐにそちらに足を向けた。

 上下移動といっても一階から二階だし、背負っている荷物もない身軽な状態では、足腰への負担もカロリー消費もこの欠陥品の身体への負担はたかが知れている。こんなのは、あの担当医に勧められている適度な運動の範囲内と見ていいはずだ。


 おれは有事の際には非常用扉が閉まるであろうその一線を越えた。階段のある空間は途端にひと気が消え失せ、静謐な空気がおれを包む。

 当たり前か。こんな何もない、カロリー消費を僅かに強いるだけの場所を訪れる理由なんて、一般的にはないだろーしな。

 売り場の喧騒を遠くに感じながら一段一段を踏みしめて上っていくと、しかしどうやら何もないわけではないようだった。

 二階へと通じる、ちょうど中間地点、階段の踊り場に、カプセルトイの筐体きょうたいが十基ほどぽつねんと鎮座しているのを発見する。が、問題はそんなところにはない。

 その筐体の前に小さな女の子が一人、何やら嗚咽おえつを漏らしながら顔を伏せて床にへたり込んでいた。

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