第十七話 十年くらい前の話

 自由奔放で同年代の女友達とキャッキャウフフしてた時期が、ウチの愚姉にもあったのだ。

 それがこんな、弟のことしか頭にないようなブラコンになったのは、やっぱりあれが原因だと思う。それを思い返す度に、おれはこの貧弱な身体を呪わずにはいられない。


 あれは十年ほど前だったか、夏の終わりの、ある一日の出来事。

 あいつがまだ、おれの身体の欠陥がどれほどのものかなんて、両親の目を盗み、二人で近所の公園まで遊びに出掛けたことがあった。

 共に麦わら帽子を頭に乗せ、肩からはスポーツドリンクの入った水筒をぶら下げて。

 昼過ぎという、一日で最も気温が高くなる時間帯だったものの、あまり肌を差すような暑さを自覚することはなかった。だから油断もあったのかもしれない。


 遊びと言っても男子が興じるような活発に身体を動かすようなものではなく、ちょっとした散歩の途中に興味を惹かれるようなものがあれば立ち止まって「これなんだろー」と観察したりしてみる程度の、慎ましやかな気晴らしレベルの外出。

 あの頃は目に映るすべてのものが新鮮だったからな。

 落ちているゴミ一つにも関心を示して立ち止まるほどに。

 たとえ茂みの陰に落ちている成人女性の裸が載せられた雑誌の貴重さが理解できなくても。


「これなにー?」

「さぁー?」


 なんて言って、美夜がその場でシャツを脱ぎ始めたのを慌てて制止したっけか。

 美夜の同級生がその公園を通りかかったのは、当時はわけのわからなかったそれに見切りをつけて茂みから出た、数分後のことだった。


「あー、みやちゃんはっけん! なにしてるのー?」

「たんけん!」

「そーなんだー。わたし、あたらしいおようふくかってもらったんだけど、これからウチに見にこない?」

「いく!」


 昔から口数は少なかったかもしれない。それでいて行動の指針は男寄りだった。さらに言えば今よりもずっと感情表現が素直で、そんな聞くも鮮やかな即答だったのを覚えている。

 そして美夜は、女子二人を所在なく眺めていたおれと偶然遭遇した友達の背中に何度か視線を往復させた後、あたかも妙案を閃いたかのように言った。


「ゆうがたむかえに来るから、ここであそんでまってて!」


 女同士の遊びの中に男が一人混ざってもつまらないだろうと、子供心にそう判断したのかもしれない。

 おれも特に引き留めるようなことはなく、まぁ仕方ないかと何の疑問も抵抗もなくそれを受け入れた。

 楽しそうに友達と喋りながら離れていく背中。

 あいつの無邪気な笑顔を見たのは、それが最後だった。

 一人で公園で遊んでいてもつまらない。


 帰ってしまっても良かったのかもしれないが、その頃のおれはまだ、待てと言われて待つ程度の聞き分けの良さを所持していた。今なら確実に監視の目がない自由を謳歌している。

 それに、美夜が戻ってきたときにおれが公園にいなかったら、あいつは困惑するかもしれない。

 結果、おれは炎天下で何時間もの放置プレイを喰らうハメになり、熱中症寸前にまで追い込まれ、意識を失った。寸前、というのは、熱中症になる前に生来の身体の脆弱性が先に効果を発揮したからだ。体内では細胞たちが休む間もなく働かされていただろーな。彼らには悪かったと思っている。たぶん、これからも繁忙期は来るだろーけど。


 次におれが意識を取り戻したのは、病院のベッドの上だった。姉にあるまじき失敗。

 だけど、それだけならあいつもこんな過保護にはならなかったと思う。

 一番の契機はその後、一週間ほどの入院を言い渡され、病院のベッドで力なく横たわるおれを見た時なんじゃないかと思う。

 おれの身体は命に別状のあるレベルではなかったらしいけれど、それでも決して軽いと言える症状ではなかったようで。


 病室で再会した時の、驚愕に見開かれたあいつの眼と顔は、今でも脳裏にこびりついて消えていない。

 まぁ子どもだったからな。気が回らなかったのは仕方がない。

 その頃はまだ、夏の日差しの下に放置されたおれがどうなるかなんて、おれだって知らなかった。


 とにもかくにもそれ以来、あいつは姉として自分の交遊関係よりも弟の一挙手一投足による身体への影響を一番に気に掛けるようになり、その顔から笑顔を消した。

 まったく、おかげで自由を獲得するのも一苦労だ。

 もう少し自分のために時間使ってくんねーかな。

 本当に心の底から、つくづく思う。

 どーしてあの時、おれはもう少し踏ん張れなかったんだ、と。

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