第七話 数学の時に要らない気を利かせてきたヤツ
今はなぜかその口元からはツツーッとだらしなく一筋の液体が垂れ出ていた。せっかくいい感じのナチュラルメイクを乗せているのにもったいない。その顔つきには若干のあどけなさも残っているが、十二分に異性の興味を惹くような造形をしているのだから。ただ一つだけ難点を挙げさせてもらうなら、おれよりも身長が高いことか。その差は目算で十センチ強といったところ。顔一つ分ほどおれが見下ろされる形になっていて、男として非常に気分はよろしくない。
しかしそれも珍しい話ではなく、おれよりも背の低いヤツなんて女子でもそうそういない。別に今さら驚いたりしないものの、釈然としないのもいつものことだった。これからはこんな気持ちを味わい続けていくのだろうと思うと、軽く鬱になってくる。
「え? ……あ、いや、何でもない! 何でもないから! き、気にしないで!」
おれの指摘で
「出せ、そして見せろ。何を撮った」
「えー、ミコトくんなんか怒ってる……。そんな大したものじゃないんだけどなー……」
渋々といった様子で日和沢が差し出してきたスマホの画面には、おれの嫌な予感を寸分も裏切ることなく、おれが背伸びしている後ろ姿が映し出されていた。だぼだぼの制服で懸命につま先立ちをし、ドア上部の小窓を覗こうと虚しい努力をしているおれの姿が。こうやって客観的に見せられると、小窓まであと一センチどころか五センチはあった。
「いやぁ、なんか小さくても
「誰が『小さい』だコラ!」
おれはそんな怒号と共にピコハンを振り抜いてこの失礼な女子のスマホをはたき飛ばした。
「あたしのスマホー!!」
日和沢は宙を舞い飛ぶそれを慌てて追う。あわやご臨終かと思われたが、しかし横向きのベクトルが強かったせいでそれには至らなかったようで、拾い上げてスマホを確認した日和沢は安堵の息を吐いた。
ホント、スマホって以外と強いよな、画面バキバキになっても使ってるヤツいるもんな。
「……もう、結構キュートな見た目してるのに中身は凶暴だよミコトくん……。手乗りタ○ガー(オス)じゃん……」
かっこおすって言うな。
「つーか、おまえよくそんなネタ知ってんな。あとキュートじゃねーし、そんなもん撮ってどーすんだよ、何の役にも立たねーだろ」
「落ち込んだ時とかに眺めて癒されようかなーって」
「その画像にそんな効果はない」
写ってるのはただの子どもじゃねーか。……誰が子どもだ。
まったく、小さいものなら何でもすぐにカワイイ判定する昨今の若いヤツの風潮には本当に頭を悩まされるものがある。男でもそーいうヤツいるしな、みんなもっと冷静になれと言いたい。
「ボードゲーム部?」
と、おれが虚しい努力をしてまで覗こうとしていたものが気になったのか、さっきまでおれが張り付いていたドアのプレートを見た日和沢がそれを口にした。そしてプレートと俺を交互に見る。うん、言いたいことはわかった。
「別に興味があったってわけじゃない。入部しよーなんて思ってねー」
「じゃあ何で覗こうとしてたの?」
「なんか面白そーな声が聞こえてきたからな」
「それ興味あったってことじゃん」
そう言って日和沢もドアに身を寄せた。が、おれ同様にそれでは身長が足らなかったようで、軽く踵を浮かせて高さを稼ぐ。
「おまえも背伸びしてるじゃねーか」
「あたしは背伸びしたら届くもん。ほら。でもミコトくんは背伸びしても届」
「それ以上言ったら膝ぶち抜く勢いでヒザカックンしてやるからな」
「ひゃふん!」
おれがイマイチ男らしさに欠ける声に精一杯ドスを効かせて脅すと、日和沢は背伸びから一転、そんな悲鳴と共に半屈みになって膝裏を両手で庇った。おれよりも僅かに低くなった頭の位置に軽い優越感。
おれは恨めしげな視線を正面から受け止めつつも、話を本題に戻す。
「で、どーなんだよ、中で何してたんだよ」
「う~ん、なんかハムスターが走って回すみたいなヤツに小さいブロックみたいなヤツ置いてってた」
「全然要領得ねーな」
どんなゲームだそれ。
「ところでミコトくんは部活決めたの?」
「いや、決めてないな。文化系ってことくらいしか」
いつまでも何の用もなく一つの部屋の前でくっちゃべっていても邪魔になるだけだろう。おれたちはホームルーム時に配られた資料のプリントを開いてその場から移動し始めた。
「じゃあさ、軽音部どう? 軽音部! 初心者でもいいよ! あたし教えたげるから!」
「いや、ねーよな? 軽音部」
日和沢の勢いに一瞬押されそうになったが、すんでのところで冷静になる。資料プリントを確認してみると軽音部はおろか、それに類する名前の部活は記載されていない。合唱部や吹奏楽部はあるものの、それはまた別種のものだろう。
「そうなんだよねー。軽音部ないんだよねー、この学校。もしかしたらと思って探してたんだけどさ、さっき合唱部のセンパイに訊いたらやっぱりないんだって」
肩を落としてそう嘆く日和沢に、おれは何気なく言ってやった。
「作ればいーんじゃねーの?」
そんな展開を、アニメなんかではよく見る。入りたい部活がなければ作ればいいじゃん! みたいな。
とはいえ、飽くまでもそれは二次元の中での話であって、現実には生徒が自分の意思で新しい部活を設立するなんていう話はあまり聞いたことがない。現実味の薄い話だ。
何やらほけーっと宙を仰ぎ見て考え事をしているらしい日和沢は、やがておれを見下ろして訊ねてきた。
「作れるのかな」
冗談半分で言っただけだったのに、顔がヤケにマジだった。
「ナギにでも訊いてみれば?」
そんなおれの無関心丸出しの投げやりなレスポンスに日和沢は何を思ったのか、しばし思案するような間の後、晴れやかな笑みを見せて返してきた。
「うん、そうだね。そうしてみるよ!」
「あとおまえ、さっきの画像ちゃんと消しとけよ」
「もう忘れたと思ってたのに!」
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