第五話 旧友からの電話
おれのケータイが着信を告げたのはその日の夜、おれが家の自室でくつろいでいたときだった。
一日に五十回以上美夜が鳴らしてくる以外は親とアラームくらいしか鳴らす者のいない寂しいケータイで、着信ログ数のタイトルホルダーである美夜も今は家にいるし、用があればノックもなしに部屋に入ってきて直接声を掛けてくるはずだ。両親も同様に帰宅済み。こんな時間にはアラームもセットしていない。
と来れば間違い電話か迷惑電話かとケータイの液晶に表示された名前を見た瞬間、猛烈な嫌気に襲われた。通話ボタンを押そうとしていた指が凍りつく。
そうだった。家族以外にも登録されている連絡先はいくつかあったんだった。滅多に連絡が来ることはないし、利用することもないのですっかり忘れていた。こいつから電話が掛かってくるのもどれくらいぶりだろう。下手をしたら一年以上疎遠だったかもしれない。
まぁ久しぶりだし、出てやるか。
『おっすミコト久しぶりー! そろそろ頃合いかと思ってさ、無事に高校入学できたか心配して電話してやったわよ! 未来のハイパーミリオンヒットシンガーであるこの
感嘆符が一つじゃ足らなさそうな大音声に、おれは思わずケータイを耳から離した。相変わらずうるせーな。こうやって話すのも久しぶりだけど、この自意識過剰さとテンションのおかしさは少しも変わっていない。
とはいえ、こいつにしては意外にもまともなファーストコメントだった。
「おまえ、ぼっちの学力舐めんなよ。友達いないせいで他にすることねーんだから、そこは心配ねーよ」
『違う違う。身長基準パスできなかったんじゃないかなーって。背ぇ伸びたー? あはははははは!』
受話器の向こうからは今時女子特有の、からかうような甲高い笑い声がおれの耳をつんざいてくる。
……前言撤回だ。少しもまともじゃない。一年以上ぶりかもしれない会話の最初の話題がそれかよ。まとも旧交を温めようって気はねーのか。
「ジェットコースターじゃねーし、あいにくウチの高校にそんな入学資格はねーんだよ」
『あっはっはっは! 知ってる!! どこの学校にだってないわよそんなもん!』
「なら訊くんじゃねーよそんなこと!」
どうやら性格の悪さも変わっていないようだった。気づけばおれの右手はたまたま近くにあったピコハンを装備して震えていて、あぁ殴りてぇと思った。
とはいえ手の届く距離にいないものはしょうがない。おれは落ち着いて一息吐く。
おれがこの
誇大妄想が激しく自意識過剰。
この女は初対面からそんな感じで、以来、それほど家が近所というわけでもなく、学校も一緒になったことすらないというのにそれなりの頻度で会っていた。
中学に上がるまでは。
そもそもおれから誘うことはほとんどなかったし、おれは友達が少ないとはいえ、まだその時期は現在よりも検査入院することが頻繁にあった。こいつも部活か何かを始めたとかで忙しくなったらしく、めっきり顔を合わせることもなくなったわけだ。
それでも最初の内は月イチ程度でこうやって電話で話すこともあったけれど、それも徐々に間が空くようになり、こうしておよそ一年ぶりの会話となった次第だ。
おれが長く関係を保っているレア級の知人であり、唯一幼馴染みと呼べる間柄かもしれない。……いや、やっぱ呼びたくねーなぁ。
『それで、どうなの高校は? うまくやってる? 友達できた?』
「……別に、普通だよ」
『普通って声じゃねぇし! 声が仏頂面だし! 仏頂声だし!』
「んな表現初めて聞いたわ!」
っつかまだ初日だし。何事も初日で結果を決めるなんて良くない。しばらくは続けてみないとな。
藍沢は
『ま、ミコトがうまくやってるなんてあるわけないかー。あんた友達作ろうとか思ってないもんね。……で、身体は? 相変わらず?』
身体――というのが身長のことを指しているわけではないのは明白だった。
「身長は年齢ほど伸びてねーけど、身体はだいぶ良くなってきたよ。今なら鬼ごっこくらいならできんじゃねーかな」
嘘だ。紛れもない見栄、あるいはテキトー。素振りと三球の打席でバテていたのに鬼ごっこなんてできるはずがない。
そんなことは向こうにもお見通しなのか、続いた言葉に本気度は感じられなかった。
『お、じゃあ今度やろっか』
「アホか、もうそんな年じゃねーよ」
幼少時代、本来ならそんなこともできただろう時分に、おれにはそれができなかった。寂しいなんて思ってない。
『大丈夫、ミコトならまだイケる! ルックス的には!!』
「やらねーっつーの!」
大体、誰が付き合ってくれるっていうんだ。仮にできたとしても、やっぱり身体能力には歴然とした差があるしな。一生鬼をやり続ける未来しか見えない。
寂しいなんて思ってはいないけれど、本当に今さらそんなことができるようになっても、という感じだった。周囲から置いてけぼりを喰らっているこの疎外感には、いつまで経っても鬱屈とするものを堪えきれそうにない。
それを振り払うためか、おれは藍沢のほうに話を振る。
「で、そーいうおまえはどーなんだよ」
『あたし? そりゃもう順調に高校生離れしたキレカワ系ナイスプロポーションに成長したに決まってるでしょ! あたしを誰だと思ってんのよ、未来のハイパーミリオンヒットシンガーよ!!』
「因果関係あんのかそれ」
『身長一五九、バスト九十、ウエスト五八、ヒップ八七のボンッキュッボン! どう!?』
「体重も言えよ、そこまで言ったんならよ」
普通、自分のスリーサイズなんてそんな大声で公表しないよな。たぶんこいつも自宅だと思うけど。
まぁ一年ほど会ってないわけだから、その外見的変化を報告してくれるのは助かる。服の上からでもわかる部分を教えてくれるともっと助かる。
『は? 何言ってんの? 体重? そんなもんこのあたしにあるわけないでしょうが』
「お前は蟹に憑かれたツンデレ女子高生か。……そーじゃなくて。高校生活どーなんだって訊いてんだよ」
『順調順調超順調! 高校生活も音楽活動も全部順風満帆! ちょっと張り合いなくて
そーいや中学入ったとき、何か始めたって言ってたな。声楽か何か。
それよりもずっと前からそっち方面に強い関心を持っていた藍沢だが、一年ほど前、最後に話した時に、高校はそっち方面をだいぶ専門的に学べる学校に進学したって聞いた気がする。しかも実家を離れ、寮に入ってまで。
おれは本気だったんだなーって呆れたと同時、その行動力に感嘆したのを覚えている。
『あんたは何か始めたりしないの? せっかく高校入ったんだからさ』
「んー、おれはそんな予定はねーなー。できることもだいぶ限られてるし」
『でも身体動かすこと以外ならそんなに制限されてないんでしょ?』
身体動かすこと以外にも制限されてることはあるんだけどな。
「でも特にやりたいことなんてねーし」
『別に最初はやりたくなくてもいいのよ。もっと軽い気持ちでちょっと手ぇ出してみるくらいの気持ちでも。つまんなかったらやめればいいし、ハマったら続ければいいんだから』
達観したような意見で何やら勧められてしまう。
が、どうにも二つ返事はできそうになかった。こういう方向への行動力はあんまりねーんだよな、おれ。
だから返したのは、お茶を濁すような答えだった。
「ま、考えておくよ」
『ん、じゃあまたその内連絡す……そういや、あんたまだスマホにしてないの?』
「美夜が許可しねーんだよ。危ないとか何とか言って」
『あー、あっちも相変わらずのブラコンかー。いい加減弟離れしろって感じよねー』
「ホントにな」
普段はテンションも性格も何かぶっ飛んでる厄介なヤツだけど、こういうところで同調してくれる部分だけは嬉しいと思う。
『じゃ、またね。その内連絡するわ』
「してくんな。おまえの相手疲れるんだよ」
『そんなこと言ってー。なんだかんだでいつも電話出てくれるじゃん。このツンデレめ! 実はちょっと嬉しいんじゃないのー? この未来のハイパーミリオンヒットシンガーからの電』
切った。
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