第三話 体育の時間(1)

 しかし最もネックとなったのは、やっぱり体育の授業だった。

 おれの身体は激しい運動や長時間の運動に耐えられない。授業の内容にもよるものの、参加できるとなると準備運動くらいのもので、基本的には体操着に着替えて見学、という形になる。これも中学の頃から連綿と続いている悪習だ。


 それにしても高校での初体育、か。

 高校には中学と違ってナギという気を置く必要のない従兄もいるし(気を置かなければならない姉もいるが)、去年までより比較的気を遣わなくてもいいというのが少しだけ解放感と高揚感を生む。


 おれが軽い足取りでグラウンドに入ると、天気は晴天。雲一つないとは言えないものの、四月上旬の肌寒さが残る気温に日が照りつけ、体感温度は程よい心地よさだった。校庭の所々には風に乗って舞い飛んできた桜の花びらがまだ残っており、春の終わりと共に本格的な高校生活の始まりを実感させてくれる。


 そんなグラウンドに隣のクラスの男子たちも続々と姿を現す。男女別で行われる体育は、そのままでは生徒がひとクラスの半数になってしまうため、効率を考えて隣のクラスの男子と合同で行うわけだ。おれたちC組はD組と合同になる。女子たちも同様のはずだけど、姿が見えないのでたぶん体育館にでもいるのだろう。


 グラウンドでは、一足先に出てきていたらしいこのクラスの担任にして体育担当教師、つまりはおれの従兄が授業の準備を始めていた。


「よし、お前ら準備手伝えー」


 ナギが生徒たちに準備の手伝いを指示していると、ふとおれに気づいて視線を留める。なにやらもの言いたげな顔でおれのジャージ姿を見おろしてくるのに対し、当然見上げるような形になるおれがその意味を端的に問う。


「んだよ」

「……いや、今後の三年間に不安しかねぇなって思って」


 全然言葉が足りていないが言いたいことはわかる。長い付き合いだからな。


「いいかミコト。絶対にムリはするなよ。万が一ってこともあるんだからな」

「それはおまえ次第だな」

「どういう立場なんだお前は……」


 呆れたように、あるいは諦めたように溜め息を吐く従兄から視線を外して校庭の一角を見回す。すると、そこには野球で使われるベースプレートやグローブ、バットなどが用意されていた。

 それを見て本日の授業内容を察したクラスメイトからナギへと嬉々とした質問が飛ぶ。


「先生、野球っすか」

「おう、まぁ最初だから親睦も兼ねてな」


 それをはたで聞いていたおれはその球技における体力的難易度を脳内でシミュレートし、ひとつの結論を導き出した。


「野球か、やれるな」

「やらせねぇよ!?」


 これくらいならおれのささやかな体力でもやれるんじゃないかと判断したのだが、体育教師的にはNGらしい。


「野球舐めんな。これだって結構ハードなスポーツなんだぞ。体育教師として見学を申し渡す」


 ただし、準備運動までは参加するように、と、まるで教師みたいな口調で締めやがった。……あぁ、教師か。


 いろいろと欠陥の多いこの身体ではあるが、医者が言うにはまったく運動しないのも良くないらしい。筋力が衰えれば衰えるほど身体を動かした際の負担が増えるのだから当たり前か。だから適度な運動はするように、と言われているのも事実だった。適度かそうじゃないかの線引きは難しいけれど。


 そもそも一口に運動と言っても意味は広い。

 ストレッチや柔軟体操などの準備運動も、文字通り運動だ。歩くという何の変哲もない行為ですらダイエットメニューに取り入れられたりするくらい立派な有酸素運動でもある。

 身体に何の欠陥もない健常者からしたら、そんなのは運動の内に入らないんだろーけどな。

 それに、ナギは口にしなかったけれど、個人競技ならまだしも団体競技となるとチームに迷惑をかけてしまう可能性もある。ぶっちゃけると、おれみたいな軟弱者は足手まといだということだ。


 それから間もなくして始業のチャイムが鳴った。その後、当初の予定通りに準備運動に参加している内に、身体がいい感じに暖まってきてしまう。ちくしょう、やっぱり何かしてーなー。

 うずうずして気持ち的にも物理的にも浮き上がりそうなほどに軽い身体に力を込めて抑えつけ、準備運動を終える。


 チーム分けはおれたちC組とD組で各二チームずつ、グラウンドの対角線上の片隅と分かれて同時二試合進行となった。

 カードはC組対D組で組まれたが、D組の一チームは人数が足りていなかったので、そこにナギが加わることになった。まるで教師らしからぬ無邪気な笑顔でD組の生徒と交流を深めているけれど、あいつは確か元甲子園球児だったはずだ。大人気おとなげねぇ……。


 そんな感じで、試合はあまり得点にこだわらない、交流重視の雰囲気で進んだ。打順すら決められておらず、とりあえず自己主張の強いやる気のあるヤツからバッターボックスに立ち、あとはまだバッターをやっていないヤツに回していく、といった具合。まぁ顔合わせ初日で、まだクラスメイトのスペックもよくわからないしな。


 そんな緩い試合をおれは一人、グラウンドの片隅で眺めていた。感情を殺して、傍観者に努める。

 前々から思っていたことなんだけど、野球っていうのはあんまりスポーツっていう感じがしねーんだよな。競技――ボールやバットを扱う技術を競うものではあるんだろーし、ヨガやチェスすらスポーツって呼ぶ文化もどこかにあるらしーけど。


 そもそも得点をする機会が表裏に分けられ、自チームが攻撃する回にはベンチで座っていることを許されるようなものを、おれの中ではスポーツとは認識しづらい。野球は一対九でやるスポーツかと思えてしまう。守備に回ったチームも、打球が飛んでこなければ身体を持て余すことになる。主に外野。今おれの目の前で行われている試合も、外野が走るのは数分に一回程度だ。


 だから野球はおれでも出来るんじゃないかと踏んで意欲を見せてみたわけだが、ナギには却下されたわけで、しかし改めてこうして試合を見ていると、やっぱり出来そうな気がしてくる。というかやりたい。

 どうやら運動衝動は抑えられなかったようだ。我慢、限界。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る