第二話 数学の時間
ホームルームでの自己紹介の後。
どうやら入学初日からさっそく何科目かの授業が始まるようで、今日はこれで解散、下校ということにはならなかった。
こんな初日から始まる授業は各教科初回ということもあって、加えて登校初日の程よい緊張感の中、中学までの復習やオリエンテーションなどで費やされた。
クラスメイトの中には中学の復習さえ
しかし授業という点でも同様だったかというとそうではなく。
「じゃあ星名……ん? 星名はどこだ?」
教師が首を振っておれを探し始める。しかし、教室の後ろ半分に位置するおれの姿は、前の生徒の身体が陰になってどうにも見つけづらいようだった。
やがて、その生徒が身体をずらしてようやく教師がおれを視認する。
「おおぅ、そんなところにいたのか、じゃあお前が一問目な。二問目は……」
教室からはニヤニヤというあまり心地よくない笑みが至るところから向けられ、どうにも神経を逆撫でされる。
ともあれそれは、現在ではタブレットを用いた授業の普及によりあまり見られなくなってきたものの、ひと昔前にはよく見られたという、いわゆる『前に出てきて黒板に書かれた問題を解きなさい』だった。
今やタブレットやデジタル技術を用いた授業が普及した感のある昨今でも、こういった昔ながらのやり方を残す教師は少ないながらも存在するらしい。
すなわち、人前に出て注目を浴びても物怖じしない胆力、度胸を。
タブレットも併用しつつそんな授業を行う教師が、中学のときにも二人ほどいた。さらにはデジタル技術の進化が著しい昨今、三年後にはタブレットだって廃れている可能性だってあるんだぞ、とも言っていたか。それはさすがに極論のような気もするが、いろいろなものが見る見る内に新しいものへ切り替わっていく現代、大事なのはその都度わからないことを恥ずかしがらずに訊くことなのだと、耳にタコができるほど聞かされた。
ともあれ、どうやらこの数学教師もそんな新旧入り混ぜたハイブリッド授業を行うタイプのようで、黒板に書き出された因数分解の復習問題は全部で三問。おれ以外で指名された二人は既に前に進み出て因数分解とにらめっこを始めている。一方、おれは微動だにせずに未だ自分の席に腰を落ち着けていた。
「どうした星名? そんな捻くれた嫌そうな顔して。早くこっち来て問題を解け」
そう催促されても、おれの軽い腰は上がらなかった。
計算がわからないわけじゃない。既に頭の中ではとうに答えが出ている。しかし、おれが一向に前に出て行こうとしない理由はそんなところにはない。
にも関わらず、教師は眉を潜めて不思議そうにこちらを見続けている。ったく、察しが悪すぎるだろ……。
対して生徒の側には状況を察しているらしい人間が何人かいるらしく、クスクスという嫌な忍び笑いが所々から漏れ聞こえてきている。
「あー……」
さらにまた一人、その事実に思い至ったらしい女子の声が上がる。そいつはその勢いのまま、何のつもりか非常に元気よく要らない気を利かせてくれた。
「先生! ミコトくんじゃその問題は解けないと思います!
直後、一気に笑いが教室中に響き渡った。……っとに、余計なマネしやがって……。
わざわざその事実を指摘してくれやがった当人に恨みがましい目を向けると、そいつは頭の横に
そいつは初めて上京してきた田舎者のように困惑満載の面持ちを右往左往させており、なぜこんなにも教室中を爆笑の渦に巻き込んだのか理解できていない様子だった。天然か。
そう、おれが解くように指示された計算式は一問目ということもあって黒板のかなり上のほうに書き出されていて、おれの身長ではどれだけ
おれは何一つ悪くない。問題の位置が高いのが悪いんだ。
「いや、すまなかった星名。じゃあ……口頭でいいから計算式と答えを頼む」
申し訳なさそうにそう前言を撤回した数学教師も、しかし室内の空気に呑まれてか苦笑気味に頬を緩ませていた。意地でもタブレット回答にはさせてくれないんだな。みんなにタブレット出させてんのに……。
まぁ衆目を集めて何かをやる胆力が大事ってのもわかるしな。
と、普通は立ち上がって答えるところなんだろーけど、しかしおれはせめてもの反抗心を
思い出すまでもなく中学でもこんな感じだった。大体口頭での解答となるか、あるいはおれ専用の問題が黒板の下のほうに書き出されるか。
こんな出来事があったからか、その後の授業は入学初日の緊張感が嘘のように和やかな雰囲気で進んでいった。
ちなみにこの一件以降、おれの席は教室の最前列、名前の五十音順を無視して教卓の目の前へと移動させられた。地獄じゃねーか。
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