灰の街へようこそ

第1話 便利屋の屑鉄(1)

 新しい煙草を買い忘れた事を思い出し、屑鉄は後悔した。


 陽の光が入らない薄暗い部屋の中で、埃が舞う程に掃除が行き届いていない場所は、そこに佇むだけで気が滅入る。自分の部屋も綺麗な部類には入らないが、宙に埃が舞っている光景を目にする程、酷い部屋ではない。


「なぁ、頼むよ……見逃してくれ、俺とお前の仲だろ?」


 部屋の中を歩きまわり、靴の裏に何かを踏み潰した感触。固くもなく、柔らかくもない、中途半端な強度を持った何かは、ナッツを踏み潰した様な音を響かせる。嫌な予感がしたので、足の裏を見て、後悔した。この部屋は掃除もしなければ、虫の死骸を放置しても何も思わない者が住んでいると認識する。

 勘弁してくれ、と屑鉄は靴を床に擦りつけ、潰れた虫の死骸を靴の裏から剥がす。


「今回の事は、俺とお前の仲って事で、どうにかしてくれよ。な、なぁ」

 

 最低でも整頓くらいはして欲しいと思いながら、屑鉄は部屋の中を物色する。戸棚を開け、クローゼットを開け、床に散らばっている如何わしい書物の裏を見る。何処を見てもたいした物は入っていない。それどころか、家主がどんな生活をしているのか容易に想像できてしまい、気が滅入る。


「そ、そうだ!そこの床の下に薬が隠してある。そいつをくれてやる、だから今すぐ俺を」


 言い終わる前に男の顔に灰皿を投げつける。

 灰皿は男の顔に直撃し、呻き声を漏らす。


「お前さ、自分の状況がわかってるのか?」


 あまりにも楽天的な考えをしている男に、屑鉄は溜息が出そうな程に呆れた。

 屑鉄が投げた灰皿で、男の顔には酷い痣が出来ている。だが、灰皿で痣が増えるよりも前に、音の容姿は酷い状況になっていた。顔のあちこちが紫色に変色し、鼻と口から血が流れている。鼻は恐らく折れている上に、歯も何本か折れたのか、床下に黄ばんだ歯が落ちている。服の下には酷い痣が幾つもあるだろ。

 どういう事をすれば、こんな酷い目に合うのか。


「お前さ、自分の状況がわかってるのか?」

 

 もう一度屑鉄が尋ねると、男は恨みが籠った瞳で睨みつける。


「わ、わかってるさ。お前がいきなり部屋に来たと思ったら、問答無用でぶん殴られて、椅子に縛られてる」

「誰も自分の現状を語れとは言っていない。俺が言っているのは、どうしてお前がこんな目にあっているかって事だ……まったく、少しは教養をつけろ、教養を」


 荒れている部屋の中で、物を探す事は無意味だと確信し、屑鉄は最後にもう一度だけ男に質問する。


 これが最後、これで答えなければもう次はない。


「それで、どうしてこんな状況になってるか、理解しているか?」


 男は答えない。

 腹を括ったのか、それとも単純に答えられないかだが、きっと後者だろうと呆れる。

 

 屑鉄は小汚い椅子に腰かけ、男と向かい合う。男は屑鉄から視線をそらして床を見つめる。床を見ても状況は改善しないのはわかっているはずなのに。

 懐から数少ない煙草を取り出し、火をつけながら男に尋ねる。


「三日前、お前はある娼婦から金を奪って逃げた。しかも顔が商売の女の顔を殴ってだ。あれは酷い痣だ。良い医者に見せたが、すぐには消えないそうだ」


 男の顔が強張る。


「どのくらいの額かは知らんが、多くは無いだろうな。一日の売り上げは基本的に上に収める。そこから女に給料が支払われるってわけだが……さて、問題だ。俺はどうして此処にいるでしょうか?」


 どうも先程から質問ばかりだ。答えがわかっている質問は意味がないからしたくはないのだが、時計を見ても時間はもう少し掛かりそうだ。

 これは単なる暇潰し。煙草を吸い終わるのが先か、お迎えが来るのが先かという話。


「別にお前と女が付き合っているのなら、話はやり過ぎた痴話喧嘩って事で収まったんだろうけど、今回は違うな。お前が手を出した女はファミリーの商品だ。あそこは女の扱いが良いから、結構人気でな」


 その程度の事は知っているな、と視線で男に尋ねる。男の顔からは脂汗が流れている。答えは聞くまでもない、全てを知っている上で、理解している上で事を起こしたのだろう。度胸があるのか、それとも頭が回らないだけなのかは知らないが、この街に住んでいる住人で、まともな思考を持っている者ならしない愚行だった。


 屑鉄は男に尋ねる。


「それで、奪った金は何処だ?」


 また質問だ、と心の中で毒吐きながら。


「まさか、もう使ってしまったなんて言わないよな?俺はそれでも別にいいぞ。お前が奪った金を使ったかどうかなんて、俺の仕事には何の関係もない……あ、いや、違うな。それは拙いか」


 部屋の中を探してみたが、それらしいモノは見当たらない。ならば、この男が持っているのかと思えば、そうでもない。まさか、本当に全部使ってしまっただろうか。だとすれば、こちらとしても都合は宜しくない。


「……ファミリーか、ファミリーに頼まれて来たのか?」

「そう思うなら、お前は救いようのない阿呆だよ」


 だろうな、と男は侮蔑の目を向ける。


「女狐の使いっ走り風情が、偉そうにすんじゃねぇよ」

「偉そうにはしてないさ。お前よりも少しばかり腕っぷしが強いだけ」


 そう言って、股間を躊躇なしに蹴りつける。


「おっと失礼。腕っぷしに加えて、足癖も悪いみたいだ」


 今日一番の呻き声、叫び声をあげている男に、屑鉄の声は届いていたのか、それは男にしかわからないだろう。

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