Prologue マリアの騎士―ゼノビア手帖―

草宮つずね。

本文

 あふれんばかりの陽光がカーテンの隙間をぬって、寝台ベッドに光と温度を運んでくる。上半身を起こして、ぐっと伸びをした。着慣れた軽装に着替えると、そっと部屋から抜け出す。朝廷側にある書庫へ向かうためだ。古びた本を、胸を高鳴らせながら開くと。


「ゼノビア内親王殿下、いずこにおわす」


 専属メイドの探す声がひびいてきた。あわてて奥へ身をやつしたが、見破られていたのか。即刻、見つかってしまう。


「どうして、場所がわかってしまうの」


「内親王殿下のお考えなど、朝飯前でございます。さあ、朝餉の準備が出来ておりますよ」


 メイドにせかされて、しぶしぶ朝食へ向かった。椅子に座ると、母上がくすくすわらっている。


「ゼノビアはますます、わたしに似てきたわね」


 父上はあきれ半分で、にがい表情をしていた。弟シリルは困り顔で、ようすを見ている。


「ゼノビア。今日は謁見の間にいらっしゃい。公式な場での、お話があるの」


「はい」


 首をかしげながらも、うなづいた。

 ベスビアナイト国が「帝政」となって、十七年の歳月が経っていた。女帝マリアには娘一人と息子一人。まだ皇太子をさだめてはいない。息子が軍に入ったから、娘が次期皇帝となるのではないか。そんなうわさが、ちまたでは流れていた。けれども未だに、想像できない。自分に皇帝など、つとまるのであろうか。母上も父上もやさしいから、ふれてこない。自分のしたいようにすればいい、と、言ってくれてはいる。謁見の間へ呼ばれたのは、ついに将来が両親たちの手によってさだめられたからであろうか。

 エリス先生が開いている学び舎へ足を運ぶ。授業が始まっても、ため息をこぼすばかりで頭に内容が入ってこない。ふだんは楽しいはずの軍略すら、集中できなかった。


「どうかしましたか」


 心配したのか。先生が声をかけてきた。


「すみません。実は……」


 内にある不満を、こぼした。考える仕草をして先生は、「決まったわけではないでしょう」とほほえむ。


「でも将来どうしたいのか、はやく決めなくちゃいけないと思ってて」


「あせってしまうのは、仕方ありませんね。ですが自分が好きなものを、考えてみれば見えてくるかもしれませんよ」


 先生は後ろにいた生徒に呼ばれて、去って行く。あれこれ悩みながら帰り道を通っていると、背後から声をかけられた。


「ゼノビア殿下。いま、お帰りなのですか」


 令外官ギルと文官クレアの娘アデリナだ。年は二歳上であるから、学び舎内ではめったにあわない。


「うん。城に戻ったら、謁見の間へ行かなくてはいけなくて気が重いんだ」


 するとアデリナが手を握ってきた。


「ではわたくしも、ご一緒いたします。謁見の間へ行くのはかないませんが、お待ちしておりますね」


「ありがとう。本当は、心細かったの」


 父親似の黒い瞳に、涙がうかんでしまう。なんと、親切な方だろう。この笑顔に幾度救われてきたか。重たかった足取りが、羽のようにかるくなっていた。

 前言撤回。謁見の間の扉を前に、足がおもりのように動かなくなっている。深呼吸して、扉を開けた。母上と父上が、椅子に座って待っている。スカートの裾を持ち、定型通りのあいさつをした。


「さっそく本題に入るわ。ゼノビア、皇帝になるつもりはない?」


 予想通りだ。心臓が高鳴り、体中から汗が噴き出る。


「わ、わたしでよろしいので、ございましょうか」


「ええ。あなたは政治や軍略にも、つよく興味を持っているとエリスから聞いているわ。あなたこそ、ふさわしいと思うの」


 エリス先生。その助言はありがた迷惑です。と、心の中で苦言を呈してしまう。


「いま答えなくては、いけないのでしょうか」


「いいえ。ゆっくり考えてくれていいのよ。ただ提案をしただけだから」


 そのあとは、どう会話をしたのか覚えていない。記憶が消えている。ただ謁見の間を出てからは、おぼつかない足取り回廊を歩いていた。膝から崩れそうになったとき。


「大丈夫ですか」


 躰をささえてくれた。見上げると、エリス先生の息子オリヴァーだった。先生には息子が二人いるが、長男のほうだ。いまは軍に入っているため、ずいぶん筋肉がついている。


「ゼノビア殿下!」


 アデリナがあわてて、駆け寄ってきた。心配をさせてしまった。


「案の定、次期皇帝にならないか訊かれたの」


 アデリナもオリヴァーもおどろかない。親王が玉座に座るつもりがないから、想像はたやすいのだろう。


「なんと答えたんだ」


「まだわからない、と」


 自分の将来が想像できない。弟のように、やりたいものが見つからない。

 顔を伏せていると、アデリナが柏手をうった。


「ねえ、ゼノビア殿下。好きなものあるよね?」


「本は好きだけれども、作家になれとでも」


「ええ、そうよ! 殿下にしか書けないものが、あるでしょう?」


 ……わたしにしか書けないもの。あっただろうか。オリヴァーはわかっているのか。小さくわらっている。はっとして、顔を上げた。


「母上と父上のお話?」


「ええ。昔よく、聞かせてくれたではございませぬか。ひとつ書物にしたためてみてはいかがでしょう」


 民間には作り話ばかりが流れていて、実際に皇帝陛下と皇配殿下がどのようにして平穏をもたらしたのか知るものはいない。だからこそ娘が、事実を世界に発信してみてはいかがだろうか。それがアデリナの提案だった。

 頬が紅潮し、胸が高鳴るのを感じる。


「やる! わたし、書く。母上と父上のお話」


 アデリナとオリヴァーは、あたたかな笑顔をうかべる。


「じゃあ、私も両親に取材してみようかな」


「いいの?」


「ええ。私からの方が、口を割ってくれそうでしょう」


 オリヴァーに視線を向ける。


「わかりました。俺も父から話を聞いてみます」


 ふつふつと内側から熱がわき起こる。皆の協力を得られるのであれば、さらによい書物になりそうだ。ならば、もっとよい方法があるではないか。


「そうだ! 旅にも出てみよう」


 二人同時に、目を丸くする。意外な提案であったらしい。


「母上と父上が歩んだ道を、実際に歩いてみるの。話だけではわからないものが、あるかもしれないから」


 ふふ、と、アデリナがわらう。オリヴァーは半ば、困り顔だ。


「殿下らしいですね。いいんじゃないでしょうか」


「過保護な皇配殿下が、ゆるさないんじゃないか」


 たしかに父上が、いい顔をしないかもしれない。顔の前で手を合わせた。


「お願い。口添えしてほしいの」


 二人は顔を見合わせてから、「もちろん」とうなづいてくれた。ただアデリナは母の弟子になるから、一緒に旅は出来ないようだ。そろそろ皆、誰かの弟子として働く年齢にさしかかっている。仕方のない話だ。城で働く官吏の子は、だいたい親を師とする。

 オリヴァーも、入門するのかと見上げる。


「俺は家を継ぐつもりがございませんから、弟子入りしませんよ」


 うれしさがこみあげて、手を握りしめる。


「本当? よかった。騎士であるオリヴァーが一緒なら、心強いわ」


 殿下を守れるのは俺しかいませんから、と、頬をほんのり染めて茶色の瞳を外す。軍靴の音が近づいてきて、顔を向けると父レイヴァンが立っていた。


「すいぶんな自信だな。オリヴァー」


「こ、皇配殿下!? いかがなされたのですか」


 あせるオリヴァーのとなりで、アデリナが笑いをこらえている。


「あのね、父上。わたし、夢が出来たの。それで……」


「旅に出たいのだろう。かまわないよ」


「いいのですか?」


 意外にもあっさりと、許可が下りた。


「会話はぜんぶ、聞こえていたからね。そのかわり、オリヴァー。娘をあずけるのだから、この最高司令官と互角に渡り合えるくらいには強くなってもらわないと」


 無茶を言う。というか、旅に行かせるつもりがないのではなかろうか。邪推をしてしまっても、仕方がない。父にかなう人なんて、存在するのであろうか。

 二人を交互にながめていると、肩をたたかれる。母上だ。


「レイヴァン。エリスの子を、いじめちゃだめよ。まったく旅に行かせるつもりなんて、これっぽっちもないんだから」


 父上は母上に弱い。考え込んで、にがい顔をうかばせている。


「ですがマリア、娘を強くもない者にあずけられますか」


「オリヴァーを正騎士に任命しようとするほど、実力を認めている人の台詞とは思えませんね」


 くすくす、と、母はわらう。父は押し黙ってしまった。


「正騎士? オリヴァーが?」


 おどろいて、まじまじ見つめてしまう。


「ええ。今度の新しい正騎士承認の議で、選ばれる予定よ」


「取り消します」


「大人げないわね」


 間髪入れずにいった父に、母がすかさず突っ込んだ。


「だから、ゼノビア。儀式のあと、いってらっしゃい」


 自然と笑顔がうかんだ。


「はい!」


 こうしてわたしは、母上と父上の軌跡を書にしたためると決めたのである。

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Prologue マリアの騎士―ゼノビア手帖― 草宮つずね。 @mayoinokoe

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