第10話 巣鴨

 サエコさんと誘い合い、銭湯へいく。巣鴨駅を出て道を進むと、やがて湯の香りが漂ってくる。


「いい湯だったわね」

 サエコさんはサンダルの音を静かな住宅街に響かせながら、今日3回目となる一言一句変わらない感想を繰り返した。

「牛乳風呂って、私初めて」

 私の方は趣向を凝らし、毎度違う言葉を返す。もう日が暮れかかっていた。


 向こうからトキさんが歩いてきた。「お久しぶりね」とサエコさんが声をかけると、「あらお二人でお散歩かしら」とトキさんも返す。

「ええ、義母と銭湯に行っていたんです」と、私も微笑みながら答える。

 あら仲良しさんね。うちの嫁なんて……


 トキさんの愚痴を聞きながらふと、あの人がいた頃は私とサエコさんにも諍いなどがあったのだっけ、と記憶を振り返ってみた。しかしあれからいろいろなことがあり、時間もあまりにも経ちすぎていたので、記憶の断片がぱらぱらと不確かに浮かぶだけだった。

 色褪せた一枚の写真のように浮かんできたのは、あの人が私とサエコさんとの間に立ち、お互いをなだめるような少し困った笑顔を見せている場面だった。

 何があってそんな場面になったのかは思い出せない。そもそもあの人の向こうに見えるのは、本当に今日一緒に銭湯に浸かったサエコさんなのだろうか。


「私も嫁と一緒にスポーツチャンバラを始めようかしら」と、トキさんがほぼ一人で話し続けた井戸端会議で、3回半ひねりを加えた結論に至ったところで日が落ちた。


 トキさんと別れ、駅まで歩く道の途中で「私、あの人があっちに行っちゃったとき、すぐに後を追おうと思ったの」、と言ってみた。サエコさんは、「私もよ」と頷いた。

「でも、どうせいつか行くのだからと思ったら、しばらくはいいかなと」

「そうそう私も」と、映画の感想をおしゃべりしているかのように、サエコさんは答えた。

「でも、少し長くいすぎちゃった」

「どうかしらね」と言ったサエコさんの方は、見ることができなかった。ただまっすぐに、瞑色に染まった空に揺蕩う星の、薄い光を見ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る