第4話 新宿

 いくらなんでも私たちだって、生きていくには幾許かのお金が必要だ。

 新宿の工場に働きに出た。

 

 今日の仕事は、真空パックされた黒豆を化粧箱に詰める作業だった。

 化粧箱に詰めた黒豆は、左隣の人に渡し、左の人はそれを10個ずつ段ボール箱に詰めて、蓋をガムテープで閉じ、さらに左隣の人に渡す。段ボールを受け取った人は、机の上の段ボールを難しそうな顔で眺めてから紙に何かを書き付けると、その紙を段ボールにぺたんと貼り、台車の上に乗っける。台車の上に8つ箱が乗っかると、その横でじっと待っていた人がそれを押してエレベーターに乗り込み、どこかへ運んでいった。

 私の前の工程には、化粧箱を運んでくる人と、黒豆の入った真空パックをきれいな布で拭く人がいて、その人の前にはきれいな布を運んでくる人と、黒豆の入ったビニール袋を真空パックにする機械にかける人がそれぞれいる。真空パックにする人の前には、黒豆をビニール袋に入れる人がいて、その人の前にはきれいなビニール袋を運んでくる人と、大きなバケツに入った黒豆を計量カップで均一に取り分ける人がいる。取り分ける人の前には、どこからか持ってきた鍋に入った黒豆をバケツへと補充する人がいる。

 きっと黒豆を補充する人の前には、ビニール袋から鍋の中へと黒豆を移す人がいて、その人の前には真空パックされたビニール袋をきれいに開く人がいるはずで、たぶんそのビニール袋はきれいに洗われた後違う部屋に運ばれていくのだ。そして、ビニール袋を開く人の前には化粧箱から真空パックを取り出す人がいて、その人の前には段ボール箱から化粧箱を取り出す人が、その前には段ボールに貼られた紙をしかめ面で確認してから蓋を閉じるガムテープを剥がす人がいて、その人の横にはどこからか台車に乗ってやってきた黒豆入りの段ボール箱が積み上げられているのだろう。


 ビニール袋を真空パックにする機械の動作は遅く、一つの真空パックができるまで、1分くらいの時間を要した。その真空パックを組み立て済みの化粧箱に詰めるだけの私は時間を持て余し、一つひとつていねいに作業することで気を紛らわしていた。

 いつの間にか私の後ろに4~5人の人が集まっていて、ほうとか、これはとか、うむなどと言っているのが聞こえた。

 そのうちの一人が私の横にやって来て、「化粧箱の角がつぶれていない、きれいだ」と言う。

「はあ」とだけ答えた。

「すばらしいよこれは、そうそうできることじゃない。どうだね、正式にここに勤めるのは。正社員になることだって、決して不可能じゃないよ」

 天井に向かってきれいな曲線を描く口髭を揺らして、男は言う。

「いえ、そういうのは、考えてなくて」

 話している間に右から流れてきた真空パックをそっとつかむ。

 これまで以上にていねいな箱詰め作業に集中していると、男達はいつの間にか、何も言うことなく立ち去っていた。


 ふと、真空パックが機械にかけられた回数を数えておけば、どのくらい時間が経ったかわかったのに、とちょっと後悔した。でもすぐに、機械が一つの真空パックを完成させるのにかける時間が、1分なのか、10秒なのか、5分なのか、知るすべもないことに気がついた。

 機械が空気を吐き出す音に、マスクの下でため息をあわせる。

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