第2話「天国から地獄へ」
ヘンリーは二十歳、俺の二つ年上だった。
ヘンリーはベッドでも紳士的で、やさしく俺を抱いてくれた。
初めてだというのに、俺はヘンリーの下で喘がされ、最後には「もっと……!」と涙目で懇願していた。
冷静になって思い出すと、死ぬほど恥ずかしい。
翌朝、日が昇る前の時間、ベッドの中でヘンリーといちゃつく。
「ヘンリーのフルネーム教えてよ」
まどろみのなかで抱き合いキスをし合う。
セ◯クスしたからと言って付き合う訳ではない、だが初めての相手のフルネームぐらい知っておきたい。
「ヘンリー・プラティナム」
だけどヘンリーは迷うことなく教えてくれた。
「綺麗な名前だね」
ヘンリーは素肌に青い宝石のついたペンダントだけを身に着けている。白い肌の上でキラキラと光るサファイアがなんとも妖艶だ。
◇◇◇◇◇
宿を出ると、豪華な馬車が停まっていた。馬車の周りには何頭もの馬と、騎乗した兵士……嫌な予感しかしない。
「迎えに来てやったぞ、わしの犬」
出てきたのは百九十センチを超える長身の渋い顔のイケオジ。
この顔には見覚えがあった。親父に連れて行かれたパーティーで会ったことがある。
「ツィン伯爵……」
ジロジロと上から下まで舐めるように見られたから覚えている。獲物を狙う蛇のような目は、忘れたくても忘れられない。
あの頃から俺に
「ふん、感心にもわしの名を覚えていたか。さっさと馬車に乗れ、わしは忙しい」
「悪いけど、俺もう処女じゃないんで……ツィン伯爵の希望には添えませんよ。だから今回の賭けの話は……」
「それがどうした」
伯爵が俺の言葉に自分の言葉を被せてきた。
「処女であろうがなかろうが、お前はわしのものだ」
うっそー! 処女じゃなくなったら諦めてくれるんじゃないの?
「だがそうか、どこぞの雄犬に処女をくれてやったのか」
ツィン伯爵が俺の隣にいるヘンリーを睨む。
これが漫画ならツィン伯爵の背後には稲妻が描かれているだろう。凄い迫力だ。気圧された俺は一歩後退し、ヘンリーにぶつかってしまった。見上げるとヘンリーと目が合った、ヘンリーに臆した様子はない。
「処女なら馬車で移送してやろうと思ったが、気が変わった。そのふしだらな雌犬の服を脱がせろ! しつけだ! 屋敷まで全裸で歩かせてやる!」
うわぁーー! 全裸でお散歩フラグ折れてないじゃん! むしろ早まってる!
他国からツィン伯爵家の屋敷まで全裸でお散歩させられるなんて……地獄だっ!
「何をしている! その雌犬の服を剥ぎ取り首輪をつけろ!!」
伯爵の命令に、兵士が馬から降りてこちらに向かってくる。
一、二、三、四……八人はいる、不意をついて逃げるのは無理そうだ!
……ここまでなのか?!
ヘンリー初めてをもらってくれてありがとう! やさしく抱いてもらえて嬉しかったよ!
その思い出を胸に俺は強く生きていきます!
「そこまでだ!」
兵士の手が俺に触れようとしたとき、今まで黙っていたヘンリーが口を開いた。
「怪我したくないのなら野良犬はすっこんでいることだな」
「野良犬? ……そうかお前は仕えるべき主の顔も分からぬようだな」
ヘンリーがフードを取る。
ツィン伯爵と兵士がヘンリーに注目している。
はったりだとは思うが、もしもということがある。
「「「あなたはっ!! ………………誰????」」」
フードを取ったヘンリーを見て、皆が一様に目を瞬かせ驚愕の表情を浮かべた……だがその数秒後には頭の上にハテナマークを浮かべていた。
ヘンリーの胸元のサファイアがチカチカと鈍い光を放つ。
俺もヘンリーに会ったとき、同じような感覚に陥った。どこかで見たことがあるような気がするのに、数秒後にそれを全否定されてそれ以上考えられなくなる、奇妙な感覚。
「僕の名はヘンリー・プラティナム、ツィン伯爵には何度も会っているのだが、覚えてないかな?」
「知らんな、そんな戯言にわしが惑わされると思ったか? お前たちキャンキャンうるさいその駄犬からたたんでしまえ! 逆らうなら命を奪って構わん!」
ツィン伯爵の言葉に兵士が殺気をみなぎらせ、腰の剣を抜く。
このままではヘンリーが殺されてしまう!
「やめてください! あなたの目的は俺でしょう! ヘンリーは関係ない!」
僕はヘンリーの前に立ち、両腕を広げる。
俺を抱いただけで殺されるなんて、ヘンリーにとっては災難でしかない。無関係なヘンリーを巻き込めない!
「ありがとうミハエル、でも関係ないという言葉にはちょっと傷ついたかな。昨日はあんなに情熱的に愛し合ったのに、まるで他人のようだ」
ヘンリーが僕の腰に手を回し、耳元でささやく。それだけで腰が砕けそうになる。
昨夜のエッチを思い出してしまうので、無駄に色気のある声で話さないで欲しい。
「心配いらないよ、僕に任せて」
ヘンリーの言葉は不思議だ、耳元でそうささやかれると、本当にどうにかなりそうな気がしてくる。
「シャッテン!」
ヘンリーがツィン伯爵を睨め付け、叫ぶ。
ヘンリーの声と同時に屋根の上から人が降りてきた。それは緑の閃光だった。
気がつけば八人いた兵士が地面に倒れ
その間わずか数秒。何が起きたのか分からずツィン伯爵は目を瞬かせている。
「小僧! どういうつもりだ!」
状況を理解したらしいツィン伯爵が奥歯をギリリと噛み、ヘンリーをねめつける。
俺がビクリと肩を震わせると、ヘンリーが後ろから僕を抱きしめた。
「大丈夫だよ」
頭上で甘い声でささやかれ、こんな状況のなのに腰が砕けそうになる。
「粋がるなよ! このわしに刃を突きつけてただで済むと思うな! わしはプラティーン王国で国王陛下から伯爵の身分を賜っている!」
伯爵が鬼の形相でヘンリーに罵声を浴びせる。
ヘンリーはツィン伯爵の言葉に動じることなく、くすくすと笑う。
俺は冷や冷やしながら、ことの成り行きを見守っていた。
「黙れ! 父上の名を汚すな! 王族相手への暴言はゆるさん!」
ヘンリーの威圧を込めた言葉にツィン伯爵が押し黙り、目を白黒させている。
「……ん? 父上? 王族?」
「シャッテン、ツィン伯爵の罪状を述べよ」
「はい王太子殿下」
シャッテンと呼ばれたのはツィン伯爵に剣を向けている、緑の髪の青年のようだ。
……ちょっ、ちょっと待って今「王太子殿下」って言いました??
足がガクガクと震える。俺はもしかして、とんでもないお方に一夜のお相手をお願いしてしまったのではないだろうか?!
「王太子殿下が王家の紋章入りの宝玉を身に着け、名乗ったにも関わらず、ツィン伯爵は配下に王太子殿下の命を奪うように命じ、配下の者は王太子殿下に剣を向けました。ツィン伯爵とその配下は死罪、ツィン伯爵家は財産を没収の上、家名を断絶すべきかと」
王太子殿下いつ名乗ったの? 殿下が名乗った名前って「ヘンリー・プラティナム」だよね?
王太子の名前は俺でも知ってる「ハインリヒ・プラティーン」殿下だ。偽名を名乗っても、名乗ったうちに入るの?
サファイアに刻まれていたのって、王家の紋様だったんだ。
俺はヘンリーの胸元で光る青い宝石に刻まれた紋様をまじまじと見る。双頭の鷹……この紋様は確かに王族のものだ。
なんで今まで気が付かなかったのだろう?
もしかして認識阻害の魔法??
本人が身分を明かすまで、誰も正体に気づかない……うわぁ、ずりーー。
その状態で抜刀したツィン伯爵を断罪するって。
「殿下の御前だ! 頭が高い!」
シャッテンさんが、ツィン伯爵の足を蹴り飛ばし、地面に膝をつかせる。
「くっ、認識阻害の魔法か……! 偽名を名乗って相手に刃を向けさせて断罪するなど卑怯な!」
ツィン伯爵が眉間にしわをよせる。
ツィン伯爵の言葉を聞いたヘンリーが口角を上げる。
「認識阻害の魔法? なんのことかな? 王太子の顔を見忘れる記憶力のなさを僕のせいにされても困るな」
ヘンリーがバックレた。
「それに偽名は名乗ってない、【ハインリヒ】の古い読み方は【ヘンリー】、【プラティーン】の古い読み方は【プラティナム】。僕はちゃんと【ハインリヒ・プラティーン】と名乗っているんだよ。古い読み方でだけどね」
ずるい、反則だろ! でもヘンリーよくやった! ツィン伯爵をギャフンと言わせてくれてありがとう!!
「卑劣な……!」
ツィン伯爵が苦虫をかみ潰す。
「卑劣……? それを君が言うのかいツィン伯爵? いくらポーカーが弱くても十回連続でハイカードにはならないだろう、ワンペアぐらい出来るはずだ」
「ロイヤルストレートフラッシュが十回連続で出るのもおかしいですね」
ヘンリーとシャッテンさんに追求され、ツィン伯爵は顔を青くした。
「勝っても負けても借金を肩代わりしてもらえるアイゼン男爵は、気にもしなかったようだが」
「貴様の罪は城で吐かせる!」
「厳しい拷問が待っていますよ、先に言っておきますが金や権力にものを言わせようとしてもむだですからね」
ヘンリーの言葉にシャッテンさんが続ける。
「この者たちを連行しろ!」
ヘンリーが命じるとどこからともなく兵士が現れ、ツィン伯爵と地面に伸びているツィンの手下を拘束した。
ヘンリーを見ると、王太子が護衛を一人しか連れずに隣国まで来る訳ないだろ? という顔をしていた。
「王都まで馬車で行けると思うなよ、彼らの靴を脱がせろ! 罪人に靴は勿体ない!」
ツィン伯爵とその手下たちは靴(と服を脱がされパンツ一枚にされ)、縄で体を縛られ連れて行かれた。
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