50 暇と小休止

 進み始めて一時間と数分ほど、ダンジョン攻略は順調に進行している。桜庭が道を指し示すお陰で、避けようのない戦闘以外は極力回避され、予定通りの足取りで進んだ。戦闘に入っても、俺は殆ど戦っていない。というのも、熊谷と藤堂で大体の戦闘が終了してしまうからだ。俺は何故呼ばれたのか、非常に疑問が残る状況である。


 主に三人が忙しい中、俺と同じく働いていない最後方の支援役である美咲を話し相手に据え、長い散歩時間の暇を潰していた。


「妙に簡単だと感じてしまうのですが、いつもこんな感じなんですか」

「大体変わらないわ。簡単だと思うのは、あの二人が飛び抜けて優秀だからでしょ」

「なら、500年間でもう少し人類の生活領域が拡大されていても良さそうですが」

「まず説明すると、ダンジョンまでの道のりが長いわ。壁外遠征を始めて辿り着くまでに何年もかかるわ。県全体に魔獣が蔓延っているし、それを駆除して安全を確保しながら進行するのは一苦労。攻略が完了した県を他から入り込む魔獣から守るのも大変だし、増加する人口の生活空間を確保するための都市開発も必要になってくる。最近では心技が扱えず、実力の乏しい冒険者も多く配属されるようになって、若者の育成にも力を入れているの」

「それが理由ですか」

「いいえ、それだけでもないわ。……実を言うと、東京の冒険者団体にしか壁外遠征を安全に完遂できる程の実力を持った冒険者が在籍しないの。魔獣と戦っても命を落とさずに切り抜けられると判断されるまで、戦いに出すことはできないわ。よって、東京に在籍する幹部が他県の冒険者団体に講義へ行くこともざらにある。そんなことをしていたら、攻略が遅れるのも当然ね」

「大変なんですね」

「そうでもないわ」


 何とも、しがらみの多そうな業種で、全く配属しようと思えないな。


「神威さんはなんでこの仕事をやってるんですか」

「別に、好きで選んだわけじゃないわ。必要だから冒険者になっただけよ」

「必要、ですか」

「それも今日で……」

「え?」

「……何でもないわ。話過ぎたわね、少し集中しましょう」


 話を切り上げられて、前へと進みだす。それ以降、美咲は何かを考えこんでいる様子で、此方の声にも反応を示さなかった。いや、俺暇なんだけど。









『グギュルルルルルゥウゥ』

「「「……」」」

『腹鳴らしたの誰だコラ!?』

「てめぇだよクソチビ……」


 それから約30分後、戦闘の直後に熊谷の腹時計が鳴って昼休憩に入った。今が恐らく12時頃なので、熊谷のアナログ時計は存外に正確だと分かる。桜庭が周囲の安全性を確認して食事場所を確保したが、心技は解かない。食事中も警戒は怠らない精神には関心が持てる。


 しかし、誰も食事を持っていないが、どうするのだろうか。


「ここなら魔獣もおらず、安全ですね。それでは神威様、よろしくお願い致します」

「分かったわ。……“齎せ、祝福の杖”」


 戦闘ではなく休憩時間に、美咲の心技初披露だ。美咲が両手を前方に伸ばすと、霊感力が掌の先へ吸い込まれるように集まる。それは次第に縦へと伸びていき、数秒後には一本の杖へと変貌を遂げた。杖全体は銀色に輝き、先端には拳大である緑色の宝石が宛がわれている。豪奢だが主張のきつくない綺麗な杖で、実に見惚れるデザインだ。


「“ゲート”」


 美咲による言葉の後、彼女の真横に30㎝程の黒い穴が開く。そこへ迷いなく右手を突っ込むと、何かを掴んだのかそれを穴から引っ張り出した。姿を現したのはビニール袋だ。中を覗くと、様々な種類のおにぎりやサンドイッチ、それと飲料水が乱雑に入っている。これが今日の昼食らしい。


「便利ですね」

「そうね。保存は効くし、役に立っているわ」


 そう言うと、美咲はもう一度穴に手を入れ、布に包まれた箱を取り出した。大きさから見るに、持参したお弁当らしい。


「え、一人だけ手作り弁当ですか」

「えぇ」

「俺の分は」

「そんなものないわ」

「ご無体な」

「コンビニがお似合いよ」

「泣いた」


 美咲は自分用の椅子と机を取り出すと、弁当を広げて食べ始めた。快適そうな食事を繰り広げている一方、むさ苦しい男どもはゴツゴツした地面へ直に座りおにぎりを貪る。扱いの格差が酷く明らかだ。


「あの、俺用の椅子は」

「ある訳ないでしょ」

「レジャーシートでもいいので」

「生憎、持ち合わせにないわね」

「殺生な」


 性格の歪んだ女だ。仕方なく俺は供給分の昼食(おにぎり2個に水の入ったペットボトル1本)を受け取り、近場の岩に腰掛けてヘルメットを外し鉄の棒と一緒に脇へ除けた。お手拭きで確り手を拭いてから、おにぎりに付いているビニールの被覆を剥く。海苔とビニールを切り離す際、上手くいかずに海苔が切れてビニールに残った。ビニールに取り残された海苔を救い出し、口へ含んで咀嚼する。あぁ、惨めなり。


 美咲を見ると、丁度卵焼きに手を付けているところだ。


 前世の話だが、以前の俺は甘い卵焼き派閥だった。今の俺は塩辛い派閥だが、その口に調教した張本人が現在目の間にいる神威美咲である。同棲を始めた頃から朝ご飯や夜ご飯、将又お弁当のおかず用に至るまで、よく卵焼きを作っていた美咲であったが、その味付けが塩中心だった。他にもマヨネーズやチーズ、海苔等のアレンジで飽きさせることなく食事を楽しませてくれた。……何故、今まで忘れていたのか。


 思い出すと、食指が動く。俺は自然と席を立ち、美咲に近づいていた。


「あの、その卵焼き美味しそうですね」

「そう」

「一つ貰ってもいいでしょうか」

「……は?」

「いえ、4つ入っていたので、一つ欲しいなぁと」

「……嫌に決まっているでしょう」

「あの、端の方を一口だけでも」

「なお悪いわ」

「このおにぎりと交換というのは」

「遠くへ行ってくれないかしら」


 ケチな女だ。少しくらい分けてくれてもいいのに。交渉決裂により、俺は引き返して再度岩場に座る。おかずがないのは寂しいが、あの態度ではどうしようもないと判断して手に持っていたおにぎりを食べる。鮭か、無難だな。


「絋雨、てめぇ勇気あるなぁ」


 おにぎりを食べ進めていると、熊谷に話しかけられる。

 彼はたまごサンドを食べているようだ。


「なにがですか」

「いやぁ、俺は美咲さんが前々から恐ろしくてよぉ。自分から話しかけたことねぇんだわ。近寄りがてぇ雰囲気、常に醸し出してるだろぉ?」

「そうですか?」

「そうですかってなぁ……。にびぃなぁ絋雨は」


 別に話しかけにくい感じはしなかった。確かに普通の人と比べて刺々しくはあるが、あれは「ツンデレ」という一種の発作だ。そう分かっていれば、別段気にするほどでもない。


「彼女はあれで、団長よりもお年を召された方なのですよ」

「おいおい、まじかよ。ロリババアじゃねぇか」

「……ロリって感じではありませんが」

「なら単なるババアだな」

「失礼ですよ」


 しかし、美咲が500歳以上の年寄りだとは驚きだ。見た目からは全く想像できないな。


「500年以上も若さを保っているというのは、それだけ彼女の秘めている力が強力だということです。彼女は団長と共に冒険者団体を立ち上げた創立メンバーの一人でもあるので、それを承知で逆らおうと思う者は殆どいませんね。まぁ、団長は藤堂匡一ただ一人ですが」

「熊谷さんは副団長ですけど、この件についてご存知ではなかったのですか」

「俺も最近昇進したばかりだからなぁ」

「昇進?」

「副団長職は5年周期で団体内投票が行われるんだ。それで入れ替わるから、最近までは単なる一ギルドの長だった。美咲さんと会ったのも副団長になってからだな。確か、この制度が導入されたのは初代副団長が亡くなってからだった気がするが……その辺、直哉は知ってんの?」

「……存じ上げませんね」

「直哉でも知らねぇんじゃあ、俺が知るわきゃあねぇな」


 そんなことより。

 熊谷の食べ残しているサンドイッチが気になる。レタスが新鮮で美味しそうだ。

 まだ腹は満たされていないし、残すのは勿体ないので食べて進ぜよう。


「ムシャ」

「あぁ!? 絋雨てめぇ!! それは俺が最後に残しておいたレタスサンドじゃねぇか! ゆるせねぇ!!」

「あ、ふみまへん。ゴクン どうぞ」

「食べかけなんかいらねぇよ! てめぇの握り飯よこせ!」

「もう全部食べてしまいました」

「この野郎ッ!!」

「ははは。良いですよ、絋雨様。私の分もどうぞ」

「かたじけない」

「おいメガネ! 何故俺ではなく絋雨に渡すんだぁ!?」

「日頃から積み重ねている行いの差ですかね」

「意味わかんねぇ!!」


 話し込んでいると時間が過ぎるのはあっという間で、直ぐに出発の時間になった。ゴミを昼食が入っていたビニール袋にまとめ上げ、美咲の創った「扉」に収納する。ダンジョン内だからと言って、ゴミを放っておけないのは全員が綺麗好きだからだろうか。なんにしても、散らかしておかない様は共感が持てた。


 話していて、団体の連中は悪い奴らには思えなかった。このまま何も起きず、無事に壁外遠征を終えられることを祈るのみだ。いや、祈るだけではなく積極的に協力もしよう。もう知らない仲ではないのだから。

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