39 悪鬼との遭遇

「あわわ……」


 シュテンは赤くなった顔を両手で覆い、指の隙間からこちらを覗き見ていた。目は興味津々と語っており、性に目覚めたばかりの小学生を彷彿とさせる。


「わ、童だってまだ……」


 一方、思ってもみないタイミングで初キッスを経験した俺は、大人の階段を一歩登っていた。


 初めてというのは、前世を含めた話である。彼女こそできたことがあるものの、そういった行為まで及んだことがなかったのだ。今思えば、最初から見限られていたのだろう。何とも情けない話だ。


 その点、キスをしてきた小鳥には少し心が傾いてしまった。俺が最も信頼を寄せている“契約”という言葉がその口から発せられた事実も、結果を助けている。狙ったのか、それとも唯の偶然か。どちらにしろ、気持ちが揺れているのは確かだろう。


 正直、ドキドキしたのだ。


 果敢ない精神である。


 童貞かよ。


 童貞だったな。


 ここで、小鳥に心を開くのは簡単だ。

 現在の気持ちをそのままに、受け入れるだけなのだから。


 されども、時期尚早。


 俺を弄ぶためだけに行動した可能性が否めないからだ。

 女が恐ろしい生き物だというのは、死ぬ前に嫌というほど自覚している。

 キスをされた程度で、俺は折れない。


 そう、たかがキスだ。


 キス。


 小鳥のぷっくりとした瑞々しい唇に瞳が吸い寄せられる。


「ぐがががががが」


 頭を壁に何度も打ち付けた。


 ……忘れるんだ。


 前額部から血が噴き出すが、気にしない。

 気にしていられない。


「だ、大丈夫?」


 小鳥が制服のポケットからハンカチを取り出し、俺の額を抑えた。


 それにより、近づく顔。


 唇。


 キス。


 接吻。


「ぐがががががが」


 遂に、俺の心は壊れてしまった。


 南無三。





 何とか落ち着いた俺達(主に俺とシュテン)は、現状を確認する。

 自分の両手にできた傷を認識した小鳥であるが、反応は酷く冷静であった。


「この傷は、自分への戒めのために受け入れるわ。以前のような過ちを、もう二度と犯したくないから」


 泣き喚くと思っていた分、少々感心した。

 彼女は、決して屈することのない強い精神力を持っている。


 ……いや、以前はそこまで頑強ではなかったはず。それは、闘技大会の際に確認している。自身で壁を乗り越えたのか、それとも妖怪に心を支配されたことによって魂が変化したのか。


 有力なのは後者であろう。大会で目撃した時よりも、明らかに魂が肥大している。式神契約なしに、こんな短期間で強くなることは先ず、有り得ない。つまりは、そういう事であろう。


 詳しい原因を突き止めるのは不可能だが、成長したことは確かであり、これからどんな障害が立ちはだかったとしても乗り越えられる可能性を小鳥は手に入れたのだ。彼女はこれから、より一層強くなる。それだけは明確であった。


 残った傷に痛みはないようで、通常時と同じ感覚で両手とも扱えるらしい。現在は、俺の着用していたグローブを貸し出し中だ。流石にそのままで過ごさせるのには気が引けた。グローブがないと転んだ時に危ないので、後ほど返してもらう予定ではある。


 その後、下から登ってきているであろうイバラキと合流するため、俺達は案内役を手目坊主に据えて階層を降りていた。魂だけであった手目坊主は、その場から空気に混じって消えることで逃走を図ったが、既に俺の式神だ。勝手な行動は許容できない。


 再度呼び寄せ、歪ませた空間から引っ張り出す。

 その際、手目坊主は肉体を所持している状態で現れた。

 魂が消えたのは肉体に戻ったからなので、至極当たり前だ。

 

『案内を頼むぞ』

「……わかった」


 抵抗を少しは見せると予想していたが、思いの外すんなりと引き受ける。少し引っ掛かるが、命令を実行しているので逆らう事はできない。問題はなく、正確に案内を実行する筈だ。また、ヘルメットは既に被っている。何時、誰に遭遇するかわかったものではないからな。





「やっと合流できました」


 イバラキとは直ぐに出会った。


「あ、あなたは……闘技大会で優勝していた……」


 おまけとして、多くの警察官も引き連れていたが。


 三十人ほどの部隊は下の階でイバラキに助けられたらしく、イバラキと一緒にいれば安全だと判断した彼らは、ここまで後ろを付いてきたらしい。彼らの目的は、ビルの制圧と誘拐された人の確保。そう言っていたので、これも手目坊主に案内をさせた。

 

「ここだ……」


 そして到着したのが、とある扉の前。


『ここに誘拐された人達がいるらしいぞ』

「協力、感謝します」


 両開きドアを押して警察官らが侵入していく。

 俺達も続いて中に入ると、そこには広々とした空間があった。

 電気は点灯しておらず、先までは見通せない。


 人の気配も、感じなかった。


 何処か薄気味悪さを抱きながらも、一歩ずつ足を踏み出していく。

 壁伝いに進み、そこにあるであろう、電源スイッチを探す。


 すると、バキっと砕けるような音が足元で鳴った。

 何かを踏みつけてしまった様だ。

 足を上げ、確認のため視線を下に。


 そこには、割れた頭蓋骨があった。


 形は人間のモノ。

 中身のない目玉はどこまでも暗く。

 こちらへ何かを訴えてかけている様にも見えた。


 ここへ入ってはいけない。

 踏み込んではいけない。

 引き帰すなら、今だ。

 そんな風に。


 背筋に、一滴の汗が垂れる。


「うがあぁぁあああぁあああ!?」

「いぎゃあぁああぁあ!?」


 けたたましく、同時に上がったのは叫び声か。


「……!? 灯りをつけます……ッ」


 イバラキが空中に幾つかの光球を作り出し、方々へ散らす。

 それにより、部屋の全貌が露になった。


 最初に目に入ったのは、床にある沢山の骨。

 獣が食い荒らした後のように散乱している。

 その一つを踏んでしまったらしい。


「ぁ……ぁが……ぃ……」


 他にも、肉付きの良い物体が転がる。


 先程まで、共に歩いていた警察官達だ。

 全身が赤黒く染まり、今も尚、血液を垂れ流している。

 黒い隊服からもわかる程に、大量の血だ。


 一体、何が起きたのか。


 更に奥。


 部屋の中で、一段高く作られている、壇上。


 そこに、一人の女性が佇んでいた。手入れの施されていない黒い髪は長髪で、腰より下に伸びている。頭から見える大きな二つの角はシュテンらと異なり、牛の様に湾曲していた。背中側から伸びる黒毛で覆われた三対の足は、先端に巨大な爪を携え、意思を持ったかの様に怪しく蠢く。


 圧倒的なオーラ。


 風格。


 何故気が付かなかったのか。


 こんなにも、部屋がおどろおどろしい妖気で満ちていたのに。


「ふ、ふふふは……ふははははははッ!」


 突然、手目坊主が笑い出した。


「まんまと策に嵌りおって馬鹿どもがッ! やはり私の頭脳は世界一だぁッ!!」


 俺達の側から離れ、奥へと走り出す。

 止めることもできたが、しない。

 する意味もない。


「素直に案内したのはここへ連れてくるためだッ! これが逃走経路ッ! 偉大なる御方に食料を捧げるための食肉市場ッ! 牛鬼様ッ夕食のお時間ですッ!! やってしまってくださいぎぃいぇぇええ!?!?」


 台詞の途中で、手目坊主は身体全体から血を吹き出す。

 そのまま勢いよく転倒し、周囲に真赤な液体を撒き散らした。


「な、なん、でぇええぇ……?」


 開いていた両掌の眼球から光が失われていく。

 手目坊主との繋がり、糸が切れたのが分かった。

 今までで初めての経験だが、恐らくもう息をしていないのだろう。

 最後まで嘆かわしい奴だったな。


 一部始終を見ていたが、牛鬼と言われていた妖怪は特に動いていない。


 目で、そちらを睨んだだけ。

 たったそれだけだ。

 その行動だけで、手目坊主を葬った。


 ……妖怪は、それぞれが特徴に合わせた“妖術”と呼ばれる固有の能力を持っている。シュテンとイバラキの能力は知れないが、何かしら備えているはずだ。


 牛鬼はその“妖術”を使って、遠距離から攻撃したと予想される。


「……クズが」


 汚い物を見る目で見下し、一言吐き捨てた。

 女性の声で音は高い筈だが、何処かずっしりと重たい。


「牛鬼ですか。目撃しただけで死ぬと言われていますが、その神髄は放たれる妖気にあります。毒を妖気に含ませ、対象に送り込むことで死に至らしめるのです。多人数戦では無類の強さを誇りますね」


 イバラキは解説を挟みながらも、魔力壁を張って俺達に迫る妖気を防御してくれている。抜け目のない式神で非常に頼もしい。


 ……というか、その博識さは何なのだ。相手の使っている妖術の正体も分かっていたようで、無駄に知識を蓄えていることは想像できる。それにしても、恐ろしいのには違いない。


 自分の隠している事情すらも知っていそうで、少しゾッとした。


「……若様は、あそこの毛が無くても可愛くて素敵ですよ」

『ブハァッ!?』


 うそ、だろ。

 何故、知っているのだ……ッ。

 アンダーヘアが未だに生えず、悩んでいるという事情を……ッ。


 心を読まれたことなど、気にもならない程の衝撃。


 小鳥の視線が一点に注がれている。

 条件反射的に内股となり、股間を手で隠す。

 

「あそこの毛、無いの?」


 ……。


 はは。

 無いと駄目なんですかね(怒)。


 別に無くても困らないじゃないですか。

 逆に、夏場でも風通しが良くて涼しいぐらいだわ。

 蒸れることもないし、清潔を常時保てているわ。

 考えると、メリットしか思い浮かばないわ。


 ……。


 辛い。


 そんな無駄話の中、シュテンだけは話へ入らずに牛鬼の方を睨みつけていた。

 瞳は鋭く、岩盤さえも貫く様であり、口元にはニヤリとした笑みを浮かべている。


「結局は紛い物の鬼じゃろうて。よし、童がちょいと捻ってくるかのぅ」


 虚空から刀を出現させ、壁の外へ歩み出ようとする。


 おっと。

 話に気を取られて、危うく見過ごすところであった。


『待て、今回は俺がやる』


 戦いへ行こうとしたシュテンを制止する。


 理由は単純明快。

 本拠地に赴いた目的に辿り着いた時点で、決めていたことだ。


 清算は、自分自身で行う。

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