38 新たな契約?

「あ、れ……私、なんで」


 床で気を失っていた小鳥が目を覚ました。

 身体を起こし、頭痛がするのか片手で頭を押さえている。

 なんで頭痛がするのだろうな。俺には分からない事情だ。


「……え」


 直ぐにこちらを発見したようで、少し驚いた様子だ。


「ど、どうして」


 何故ここにいるのか、と尋ねているのだろう。一ノ瀬と関係のない俺が場にいるのは奇異的状況であり、この質問は相手にとって至極真っ当だ。


 けれども、正直に答える価値はないので、適当に濁しておく。


『このビルに用事があって立ち寄っただけだ』

「よ、用事って……まさか、わざわざ私を助けに……?」


 ……ん?


 逆に変な誤解を招いてしまったか。

 こういう場合は、取り繕わず、理由も添えてはっきり否定した方がいい。


『違うな。失ったものを取り戻しに来ただけだ』


 そうだ。


 前世にあって、今はない感情。

 それは正しく、置いてきてしまったものだ。

 声に出してみて改めて認識する。

 俺はそれを、奪還しに来たのだ。


 そこまで言うと、急に小鳥の顔が朱色に染まった。

 まるで、スペースコブラの衣装ぐらい真赤である。


「と、ととと、取り戻しに……それって…………わた、私のことを……」


 最後の方は声が小さく殆ど聞こえなかったが、誤解は解けたようだ。

 やはり、否定は確りするに限る。


「で、でも……でもどうして? ……こんなにも汚れてしまったのに、どうして」


 汚れて?


 俺の心の事を言っているのか。

 随分と失礼な物言いだが、的を射た問いかけではある。

 確かに汚れていて、英雄を目指すと決めた前世に比べれば歪んでしまった魂だろう。今では、あの頃の面影は欠片も見えないのかもしれない。


 しかし。


『それがどうした。俺は自分の欲のまま行動したに過ぎず、それにより付随した汚れなど、一切合切気にならないな。寧ろ、汚れは逆に艶を出すと言ってもいい。クレイジーブラウンの革の様に、一種の味となって活きると思え。恥じる必要など、全くないのだ。わかったなら、その薄汚い口を今すぐ閉じるんだな間抜け』


 一息で言い切る。少し心に刺さった分、語尾は強めになってしまったが許してもらおう。心を痛めたとしても、先に煽ってきた相手側が悪いのだ。俺には何の落ち度もない。


 すると、予想外に小鳥は目元を和らげ、クスっと優しい笑みを漏らした。


「なにそれ、へたくそな言葉……。でも、その、ありがとう……」


 お礼だと?

 若しやこいつ……マゾか。


「ね、ねぇ……。何て呼べばいい?サムギョプサル絋雨じゃ、呼び辛いから……」


 呼び名か。

 確かに長く、毎回全て言い尽くしていては激しく面倒だな。


『どうとでも呼べばいい』

「じゃあ、その……絋雨様って呼ぶ」

『やっぱりマゾじゃないか』

「え?」

『いや、なんでもない』


 何となく、様付けは背筋が痒くなる。

 もっと無難でいいんだが、任せた手前、否定もできない。

 許すしかないだろう。


「ふむふむ、青春じゃのぅー」

『……お前は何を言っているんだ』


 訳の分からない言葉を呟いたのは、離れて俺達を見ていたシュテンだ。

 腕を組み、何度か首を縦に振っている。

 どうやら、頭のネジが数本外れてしまったらしい。


 ……こいつの脳も、一度揺らしてみるか。昔のアナログテレビの様に叩けば映像が復活するかもしれないからな。


「あれ……山田と一緒にいた……」

『……あ』


 忘れてた。


「おう、久しぶりじゃのぅ」

「え、なんでここに……」


 当然の疑問。

 浮かび上がるのは不信感。


 そして俺は、シュテンに姿を隠したいから着替えていると伝えていなかった。


 であるならば。

 結果は、推して知るべし。


「単なる興味本位による付き添いに過ぎんぞ。ヒロ助の」

「ヒロ助……。ヒロ助って、山田のこと……だったよね」

「そうじゃ」

「どこにもいないけど……」

「こやつがそうじゃ」

「え」


 指で示している場所に佇むのは漆黒のライダー。

 小鳥はその後ろを覗き込む。


「……誰もいないけど」

「このヘルメットがそうじゃ」

「え、冗談」

「嘘をついてどうするのじゃ」

「いやいや」

『……』

「う、嘘だよね」

『…………嘘だぞ』

「……」

「あ、ありゃ。もしかして隠しておったのか」

『……』

「す、すまぬ」

「『……』」


 静寂が場を満たす。

 冬籠りの時期に突入したと間違える程に、冷たい空気が間を通り抜けた。


 さ、寒い。


 冬眠しなければ。


 俺は、後ろ足を踏み出しかける。


「そう、だったんだ」


 どこか、納得したような声が発せられた。

 小鳥だ。


「ねぇ……山、ぽん。」


 山、ぽん。

 ぽん……。


 ぽん?


『……なんだ』

「顔、見せてくれない……?」


 この女。俺の素顔を確認し、どうする気だ。

 片手にはいつ取り出したのか、携帯電話が握られている。

 まさか、写真撮影でもして壁内に拡散する腹積もりか。

 闘技大会ブームの中、それは非常に不味い。


 冷汗が流れる。

 どうすればいい。


 拒否するのは簡単だが、それでは後が恐い。事実を確信した小鳥は、証拠はないがネットを用いて俺の情報をあらゆる方面にばら撒くだろう。眉唾物であるが、話題の中心人物であるが故に噂には上がるはず。そして、俺の周囲は洗い浚い調べられ、生活さえも監視される日々。当然、社会的な撲滅は免れない。……ここは、大人しく従うしかない。


 もしもの時は実力行使を選択しようと心に定め、素顔を晒すことを決断した。


 自分の手でヘルメットを外し、肩脇に挟む。

 中から顔を出したのは、黒髪銀目で青年前期の男性。

 勿論、俺だ。


「外したぞ。さぁ、煮るなり焼くなり……ッ!?」


 焚かれるフラッシュ。

 条件反射で瞳が閉じる。

 一瞬だが、何も見えなくなった。


 その時。


 花の清香が微かに漂い。

 唇に柔らかい感触が生じた。


 目を開ける。


 飛び込んできたのは、美しい女性の睫毛。

 そこに掛かる、ライトグリーンの艶やかな髪。

 頬は両手で包み込まれている。


 盛大な音を立てて、ヘルメットが床へ転がった。

 しかし、その事実にすら気が付かない。


 直ぐに体は離れた。


 なんだ。

 理解が追い付かない。

 何が起きたのだ。


 口を開いたままの放心状態でいると、再度小鳥が覆い被さってきた。


 再び触れる唇。

 先程までの優しかった口づけは鳴りを潜め。

 激しさだけが、ただ増した。


 口内に舌が入り込み、俺の中を蹂躙していく。

 小鳥と俺の唾液が絡みつき、交換され。

 乾いていた喉は一定のリズムを刻み、潤いを取り戻していった。

 口元からは、その残骸が零れ落ちる。


 脳が痺れ、感覚が狂う。

 頭が、飛びそうだ。


 実際は数秒しか経っていないのに。

 数分は経ったのではないかと思えるほど、長時間。


 繋がっていた唇が、長い時を超えて、離れた。


 俺の顔は、今どうなっているのか。

 わからない。


「これは、契約……」


 小鳥は、湿った唇に舌を這わせる。


 その表情は、先例のない極度の喜悦に染まっており。


 過激な程に、妖艶で。


 今までのことなど、どうでもいいと思えるぐらい。


 美しかった。


「……私はもう、あなたのモノだから」


 声が遠い。


 甘い香りが体を満たす中、俺は思い出す。


 あ。


 ファーストキスだこれ。

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