37 精神憑依





『ここが、一ノ瀬光の所有している部屋です』

「ご苦労じゃったな。去ってよいぞ」

『へ、へい』


 見知らぬ妖怪は空気に紛れ、消えていく。


 結局、目的地の定まらなかった俺達は、取り敢えず目先の問題である一ノ瀬の確認から始めることにした。一ノ瀬の影に何かしら潜んでいたのは既に知っているので、手掛かりになるはずだ。何しろ、ここは一ノ瀬財閥が所有しているビル。財閥の御曹司に何の対処も施さないわけがない。


 先程の妖怪からすると、この部屋にいるらしいのでノックもせずに扉へと手を掛けた。礼儀など今は必要ない。そんな状況でもないしな。


 施錠はされておらず、扉は簡単に開く。

 中は暗く、奥が見えない。

 だが、室内を濃い妖気が満たしている現況だけは、確かに感じられた。


 警戒心を高め、土足のまま慎重に進む。


「……待つんじゃ」


 シュテンが俺を守る様に前へ出て、進行を妨害した。


 なんだ?


「…………ぅ」


 ……そういえば、何か聞こえる。

 微かに、唸り声の様な音が鳴った気がした。

 音が小さすぎて、正体を判別することができない。


 玄関口で立ち止まり観察に徹していると、中から人が歩み出てきた。


『……?』


 小鳥だ。

 界王学院の制服を平常通り着こなし、確りとした足取りでこちらへ向かってくる。


 いや、違う。

 小鳥ではない。


 気付いた。

 中身が、魂が。

 歪だ。

 人間のそれから逸脱している。


 異なる魂。

 どちらかと言えば、シュテンに近い。


 こいつ。


 妖怪か。


「ほぅ、日本の部隊が階層を突破してきたか。やはり、侮らずに計画を進行させて正解だったようだな」


 妖怪は小鳥の身体を用い、流暢に喋り出す。内容は現状の把握についてで、自分が小鳥ではない事実を隠すつもりは特にないと見受けられた。


 小鳥の瞳は、先程から常に閉じられており、開く様子もない。

 あれで、前が見えているのだろうか。


「手目坊主、この男の方は見たことがあるぞ。大会で我々に協力した者だ」


 突然の声。聞こえてきたのは、未だ闇に包まれている室内だ。

 部屋の奥、その影から黒い河童のような生物が顔を出した。


「なるほど、そうであったか。……それでは、褒美を取らせねばな」


 そう言うと、小鳥は下げていた両掌を俺達の方へ向ける。

 そこには、大きな目玉が其々の手に一つずつ存在していた。


 なんだあれ。


「避けるのじゃ!!」


 突き飛ばされ、部屋の外に弾き出された。

 直ぐに起き上がり、構えを取る。


 シュテンは。


 妖怪の前で、伏臥位になって倒れている。


「はは。咄嗟の判断で犠牲を一人にしたか。よく頭の回る鬼だ」

『……』

「その鬼なら、意識を刈り取ってやったのよ。当分、目は覚まさん」


 眠っている様子のシュテンを跨り抜け、俺の方へ歩み寄る。

 掌を改めて、こちらに向けた。それに対抗するのは、担いできた鉄の棒だ。


「あぁ、攻撃してもよいが、この小娘も共にダメージを負うことを念頭に置けよ」

『……小鳥に何をした』

「はは。乗っ取ってやったのよ、魂をなぁ。まだ完全には定着していないが、この体ももうすぐ拙僧の物よ」


 俺は止めず、話しかける。


『……これも計画の内か』

「はは、聞くか、拙僧の完璧な計画を。」

『冥途の土産に、聞かせてくれ』


 手が下がる。


「いいだろう! 聞けぃ! 拙僧の圧倒的作戦を!!」


 大仰に振舞っている。

 それほど、自信があるのだろう。


「人間に危機意識を抱いた拙僧は、まず人間の身体を乗っ取り、自らが人質になることを考えたのだ! 人間は仲間意識だけは異様に高いからなぁ!」

『ほぅ』


「しかし、通常の人間に術を施しても、強い魂の壁で弾かれてしまう。なら、精神を歪めてやろうと動き出した!」

『なるほど』


「そこで目を付けたのが、このカップル! どちらも歪んでいたのでやり易かった! 男には影河童をつけ優越感の刺激を行い、女への支配意欲を高めた!」

『ふむ』


「バイオレンス脳を持っていた男は、自然と女に激しく当たる様になり、結果、女の精神は壊れ、乗っ取ることを可能にしたのだッ!」

『そうだったのか』


「闘技大会での出来事は想定外だったが、逆に効果的であった! 飴と鞭は使いようと言うことだなッ!」

『完璧な作戦だ』


 話は半分以上聞いていなかったが、問題ないだろう。

 時間稼ぎは終了した。

 ここからは俺達のターンだ。


『シュテンッ!』

「わかっておるッ」


 妖怪の背後、部屋の中からシュテンが刀を持って躍り出てきた。


「ぐげぇッ!?」


 影河童が頭から一刀両断される。

 パカっと体が二つに分かれ、中から墨のように真っ黒な液体が噴き出した。


「なにッ!?」


 手目坊主と言われた妖怪は即座に振り返り、戦闘の構えを取る。

 シュテンは斬り掛かろうともせず、単に鋭い視線を浴びせていた。


「ま、待て! この小娘がどうなっても……ッ」


 こいつ、阿保だろ。


 人間が誰しも仲間意識の強い生き物だと思っているのなら、それは違うぞ。

 少なくとも俺は、そんな感情を一切持っていない。


 一緒に飯を囲んだ相手であっても。

 仲の良い、友人であっても。

 たとえ、女子供が相手であったとしても。


 自身に仇なす、外敵であるならば。

 躊躇わず、殴り抜けることが出来る。


『ふんぬぅうッ!!』


 両手に持った鉄の棒を、フルスイングで小鳥の顔面に見舞った。


「だバあッ!?!?」


 クリーンヒット。


 部屋に向かって回転しながら飛んでいく。これが野球であるならば、確実にホームランと確信できるほどに良い当たり。今の一打だけならば、王貞治にも引けを取らないだろう。


 ははは。気持ちが良いな。


「……何をしておるのじゃ」


 シュテンが、呆れ顔で俺に声を掛ける。


 ……。


 はッ。


 しまったッ。


 つい、勢いで殴ってしまった。

 折角、シュテンが慣れない演技をしてまで時間を稼いでくれたのに、一切を無駄にしてしまった。……面目ない。


 実は、今の時間だけで相手の魂に契約の糸を入り込ませている。後は、妖怪を外側に引き摺り出して式神にするだけで目標は達成された。小鳥を攻撃する必要は、全くと言っていい程なかったのだ。無駄な行動と称してもよい。実際、初めは完全にそうする流れで俺自身も動いていた。結果、成された準備も完璧で、最後は実行するだけでよかったのだ。


 ……仕方ないではないか。

 あの、講釈たらたらで、自信に満ち溢れていた表情が気に食わなかったのだ。それを間近で見せられ、我慢を強いられ、汚い唾も飛ばされる。……ならば、殴りたくもなるだろう。


 小鳥の身体を使っていた、というのも悪循環を生んだ原因だ。これが見ず知らずの人間であるならば、打撃を加える一歩手前で踏み止まっていたことだろう。だが、相手は他でもない小鳥。こいつに関しては、先日から少しだけフラストレーションが溜まっていた。少しだけだがな。……ならば、殴りたくもなるだろう。


 横暴だって?


 笑止。

 

 ……さて、奴はどうなったか。


 暗闇が晴れて、多少見やすくなった部屋へと踏み込むと、窓際に例の人物が倒れていた。他にも、豪華なダブルベッドの上には一ノ瀬が延びているが、そちらは気に掛けずに窓の方へと直行する。


 幸いなことに、上手く魔法力でガードしたようで、傷は浅い。俺もつい気功力を籠めてしまいはしたが、魔法力を用いた最大火力ではなかった。それが功を奏したようだな。


 今更ながら、小鳥の内側に沁み込もうとしていた黒く汚い塊を剥がし、外側へ引き摺り出す。……これがやりたかったのだ。


「う、があぁ『あぁぁぁあああッ!?』」


 幽体離脱をするように、小鳥の身体から両目が潰れた寺の坊主が分離した。

 入り込ませていた糸を魂に絡ませ、そのまま契約を結ぶ。


『あばばばばばばばば』


 電話のマナーモードみたいに振動しだした。

 その傍らへしゃがみ込み、俺は耳元で囁く。


『……貴様の作戦、確かに完璧だった……俺が相手なことを除けばな』

「何をかっこつけておるのじゃ……」


 シュテンから再度、呆れ声が発せられた。





 シュテンが介抱している小鳥を見る。


 妖怪が立案した計画、確かに完璧であった。

 精神が本当に壊れていれば、空っぽになっていれば、乗っ取りは即時成功して、身体は妖怪へと変貌し、切り離しは不可能となっていただろう。そうなれば、小鳥は、永遠に戻ってこない状況に陥っていたはずだ。


 だが堪えた。

 心の奥底で、自我を保ち続けていたのだ。


 結局、そこが決め手だった。自ら脱出する糸口は見つけており、俺はそのために必要な道具を用意しただけ。殆ど、何もしていないに等しい。これは、自分で掴み取った命だ。


 小鳥の掌にあった大きな目玉は掻き消え、そこには、ぱっくりと割れた空間だけが痛々しく残っている。酷い状態で、傷を無くす魔法でもない限り、消えそうにない。


 それを唯、視界に収める。


 ……胸が、ざわついた。


 何故、このような状況になったのか。

 今に至るまで、悪化したのか。


 ……原因は、俺にある。


 改善できた。

 良い方向へ導けた。

 タイミングは、あったのだ。

 行動をしなかっただけで。


 兆候が見えたのは体育祭。

 その時は確実ではないにしろ、式神を使い、探りを入れるべきであった。


 気が付いたのは夏祭り。

 小鳥に何かあると思いながらも、傍観を決め込んでいたのは失敗だった。


 機会があったのは闘技大会。

 危機を目の前にしていながら、不甲斐ない結果に終わった。

 

 思い返してみて、実感する。

 激しい怒り、そして葛藤。

 それらは全て、自分に向けられている。

 

 あぁ、そうか。


 何故、俺がここへ来たのか。

 目的はなんであったのか。


 ……答えは、ここにあった。

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