35  開かれた帷幕





 同日付の夜。

 一棟のビルが、そこにはある。


 それは確かな実績を裏付ける様に、また、積み重ねてきた結果を見せつける様に、遥か高く聳え立っていた。普段であれば、会社の前は帰宅する社員や下校途中に遊んでいる学生が低密度に行き交う時間帯であっただろう。


 しかしながら、今日は大分と様子が違う。


 目標建造物の半径数百mに渡って封鎖されており、周囲は開けている。入り口の前には、黒く頑丈そうな恰好で全身を固め、手に透明な大きい盾と銃器を携えた一団がいた。警察所属の特殊急襲部隊、SATだ。場には凡そ100人はいるだろうか、彼らは群れを成し、入り口を取り囲むようにして構えている。


 先頭に立つ男が手で合図を送り、仲間を促す。

 進み始めた足取りは穏やかであるが、無駄は一切感じない。


 扉の前に集団が到着すると、場の緊張が一段と高まった。


 手で扉を押し開けると同時に、一気に軍勢が雪崩れ込む。


 突入である。





 中は存外に真っ暗であったが、まるで見えているかの様な足取りで進む。

 暗視ゴーグルを身に着けているため、十分な視覚を確保できているのだ


 部隊は二つに分かれ、片方は1階、もう一方は階段へと向かう。

エレベーターも配備されているが、敵地での使用は危険であり、活用は出来ないだろう。


 クリアリングを行い、死角を一つずつ潰していく。

 不気味なほどに、人っ子一人存在しない。怪しいのは明白であった。


 封鎖に際し、多くの人を動かす結果となった。

 よって、相手側に感付かれるのは止めようもない。

 何か仕掛けてくるだろうと、警察側も考えて行動を起こしていたのだ。


 細心の注意を払いながら、階段前に到達する。

 続々と、隊員が列を成して上階へと昇っていった。

 隊列に乱れが生じない様は、流石は特殊部隊であろう。


 順調に階を進めていく。

 進行は滞りないと言っていい。


 不意に、一人の隊員が肩越しに振り返った。

 何故か、違和感を抱いたからだ。


 自身の後を、3人余りが続く。


 ……こんなにも、自分は後ろだっただろうか。


 いや、気のせいだろう。

 その隊員はそう思うことにし、歩を進めるため前へ向き直る。


 その間、ほんの一瞬。


 数秒……2秒にも満たない時間、目を離しただけ。


 なのに。


 前方には誰もおらず。

 男は一人、階段に取り残されていた。


「え」


 声を発した瞬間。


 男の首が跳ねた。


 音はない。


 残った体は、動力源を失ったロボットの様に仰向けに倒れる。


 その事実に気づかぬまま、隊列は先を目指し続けていた。

 背後からは、またもやソレが近づくが、誰も感知しない。

 否、出来ない程に静かなのである。


 食うは最後尾。

 狙うは首。

 刈り取ろうと、迫る。


 あわや、悲劇の再来かと思われた時。


 発砲。

 激しい銃声。


 音は複数人から発せられており、どれも弾数を半分ほど残して鎮まった。


「やったか……?」

「待て、確認を怠るな」


 撃ったのは背後から追い付いてきた別動隊だ。

 侵入時点で、1階部分を探索しており、追い付いた形である。


 迎撃対象へ銃器を構えながら慎重に近づく。

 銃器の先端にはライトが装着されており、闇に潜む標的を明らかにする。


 地面に倒れて動かないのは、翼を生やした蟹であった。

 殻には大量の穴が開いている。銃弾が撃ち込まれた痕だろう。

 この銃器は特別製であり、放つ際に周囲の魔法力が銃弾に籠められる。

 威力の面では申し分ない。


 倒れて動かない異形を銃の先で突くが、特に反応はない。

 念のため何発か胴体へ撃ち込むが、それでも固まったまま。

 そこでやっと、入れていた肩の力を抜き、銃口を下げた。


「どうやら、問題ないようだな」

「しかし、なんだこの見た目は。幽霊の類……ではないよな」

「どちらかと言えば、創造物である妖怪に近いのではないか?」

「そう見えるな」

「考察は後にしろ。報告が先だ」


 隊の指揮者らしき男が無線を入れる。

 その間、他の隊員は仲間の亡骸を確認していた。


「酷いことしやがる……許せねぇ」

「抑えろ、これからが重要な時間だ。冷静にならねば、こちらがやられかねない」

「そうだな……」


 彼らは敵を撃破したことで安心し切っていた。

 違和感にも気付かずに。


 あれだけの銃弾を見舞った。

 音も大いに轟いた。


 だが、誰も来ない。

 前方を進んでいた部隊も確認に現れない。


 察するべきだった。

 一早く気付くべきだった。


 この場は危険だと。


「あ、ぐげ」


 指揮者の首が360度回転していた。

 仲間はその方向を向いておらず、わからない。


 影が蠢き、残った人間に忍び寄る。

 背後を取った影からは、ぬっと手が這い出た。

 人の手とは異なり、肌が黒く、水掻き部分は異様に発達していた。


「とりあえず、死体はがッ!?」


 確認作業を行っていた男の胸から腕が生える。


「なんだ!?」


 気付いた時には既に遅く、対応も出来ない程に敵は接近していた。

 男が真っ二つに割け、中からは黒い物体が飛び出してくる。

 咄嗟にトリガーへと指を掛けるが、標的は定められていない。


「が」


 残ったのは一人であり、容易く首が回る。

 辺りには、数発の銃声が虚しく響いた。


 事を成した張本人は、影に沈み込んでとうに消え去っている。


 すると、漆黒に飲み込まれていた筈の周囲は途端に淡い光を差し始めた。ガラス張りであり、明かりを遮るものは何もない。月光により照らされた階段には、人間の死体だけが幾つか転がっており、凄惨な現場だけがそこには広がっていた。





 同建物内のスイートルーム。

 壁一面が大きな窓で、街の景色を一望できるのがこの部屋の特徴である。

 垂れ下がっているカーテンは開け放たれ、街灯りが室内を照らしていた。


 中には、一組の男女がいる。


 男は金髪の貴公子然とした好青年であり、女は薄緑のショートボブが綺麗で容姿の麗しい美少女だ。


 一見すれば、お似合いのカップルなのであろう。


 行われている、異様な光景を除けば。


「こ、こは……」


 女は失われていた意識を取り戻す。


 ……目覚めてすぐ、状況を把握した。


 自宅に男が突然現れ、攫われた事態を思い出したというのも確かにあるが、本当の理由は目に飛び込んできた景色にある。


 知っている天井。

 知っている部屋。


 脳裏に焼き付いて離れない、顔。

 何度も訪れ、そして幾度も繰り返された現実。


 心が、絶望に染まる。


 眼鏡の奥の瞳は光を失くし、天井のただ一点を見つめていた。

 手は拘束されており、動かない。


 思うことは一つ。

 たった、一つであった。


 あぁ。


 私はこれから。


 ……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る