34 一本釣り





 自宅へ向かっていると、街角で大勢の警察官が一か所に固まっているのが見えた。その周りは多くの見物客で溢れており、遠くからでは中が見えない。辺りはちょっとした騒ぎとなっており、人も少しずつだが増えてきている。


 そんな面白そうな現場が目の前にあるのならば、気になるに決まっている。周囲に紛れながら、野次馬根性で近づいていったのは言うまでもないだろう。


「ああぁああああぁぁあぁあ!!!!」


 中心地では、一人の女が狂暴な顔つきで大立ち回りを繰り広げていた。大きな鉈を両手に持ち、滅多矢鱈に振り回す。動きは予測不可能なほどに激しく、包囲している警察官でさえも近づけない。


 事態は膠着状態のまま、ただ時間だけが流れていた時だ。

 手に汗が付着していたのだろう。

 鉈が、すっぽ抜けた。


 刃は見物していた一般人の方向へ飛んでいき、身を切り裂こうと迫る。


「きゃぁあッ!!」


 ……鉈は人を切ることなく、空中で停止した。

 一人の警察官が割り込む形で飛び出し、受け止めていたのだ。

 柄部分を巧みに掴んでおり、両者に怪我は見られない。


 俺が助けることも距離的に可能であったが、女の首が飛ぼうとも受け止める気は全くなかった。野次馬にきている時点で、自分の身は自ら管理するべきだからである。腕が飛ぼうとも、たとえ死んだとしても、全ては自己責任だ。それが嫌ならば、元から近寄らなければいい。


「……出来るだけ、下がっていてください」

「は、はい」


 改めて、警察という仕事は大変だと思った。見ず知らずの、自分と何ら関係のない人間でさえも守護対象に含まれるのだから。況してや、物見高さにより集まってきた群衆。俺には、絶対に向かない仕事である。


 その警官は鉈を部下であろう者に託し、暴れている女の方へ向かっていく。身長は決して高くないが、どこか力強さを感じる風貌だ。


「君、聞こえているか? 大人しく投降しなさい。決して悪いようにはしない」

「あああぁぁぁぁあああぁああ!!!」

「やはり駄目か……」


 女は隠し持っていたであろう包丁を懐から取り出すと、男に突貫していった。

 足は今までで最も速く、一瞬で近づき攻撃へと移行する。


 包丁の刃先は胸元に。


 予想される未来に周囲が息を呑んだ一方で、男は慌てておらず、目は冷静に相手の動きを観察していた。


「……すまない」


 一言呟くと、男が動く。

 包丁が握られている右に対するは左の腕。それを横合いから相手の前腕に押し当て、ナイフの軌道を逸らした。そのまま敵の方向へ飛び込み、更に的を体から外す。左腕を前に回転させ、相手の右手首を掴み武器を封じると、空いている方の手で顔に拳を見舞った。合気により女が蹌踉めいたところで武器を奪い、地面に拘束。


 あっと言う間の出来事。

 力の強行ではなく、相手をコントロールして重心を崩す戦闘方法。気功力等は特質して目立ってはいないが、動きに関しては凄まじい練度であり、確かに強いと感じた。途方もない訓練と経験の成せる業である。


「おい、拘束器具もってこい! 署まで連行するぞ」

「はいッ」


 直ぐに他の警察官も駆け付け、逃がさないために女を捕まえた。

 用いたのは、三大力の扱いを妨害する手枷である。気功力の発現によって、普通の拘束器具は何の意味も持たないガラクタと化した。このままでは犯罪者等を捕らえることが困難と判断され、その結果発明されたのが今取り出されている器具である。壁外産のアイテムが部品として使用されているという内容しか知らないが、装着に手間を要する代わりに効果は抜群だ。あれには捕まりたくないものである。


 鮮やかな手腕に、感心と同時に少しの恐怖を抱いていると、拘束されている女の影が揺らいだのに気がついた。よく見ると、オーラが影と胴体を繋げている。


 既視感。

 闘技大会の際にも、似ている光景を目撃した。


 ……まさか。


 試してみる価値はあるな。

 式神契約で使う糸を作り出す。

 そのオーラへ向かって射出。


 ……捕らえた。

 引っ張り上げる。


『ぃぎゃああぁぁああ!!??』


 影からは、黒い魚が飛び出してきた。

 地面へ打ち上げると、鯉のようにその場で跳ね出した。

 明らかに妖怪であろう魂には、契約の糸が絡まっている。


『て、てめぇ……なにを、』


 直ちに、式神契約を結ぶ。

 馴染ませるのに時間がかかるが、妥協はしない。


『あがああぁぁぁああああ!?!?』


 痙攣しているが、構っている暇はない。

 作業を淡々と進め、魂の内側へ入り込む。

 一応、反撃できないように体を魔法力で縛っている。


 数分後、全工程が終了した。


 俺は早速、心の中で口を開く。

 聞きたいことがあるのだ。


(おい、今あの女の影に潜んでいたな。何故そんなことをしている)

『が、ががが……な、なにを言って』


 霊感力を籠め、言葉を紡ぐ。


(質問にだけ、簡潔に応えろ。いいな)

『あ、ぅが……は、はい』


 よし。久しぶりに命令を試したが、効果は十分だ。


(何故、女の影に潜んでいた。)

『め、命令されて……』

(誰に指示された)

『か、影河童様に……』


 影河童。


(そいつはどこにいる)

『この通りを、ま、真っ直ぐ行った場所にある……ガラス張りの、い、一番大きな建物だ……』

(そうか)


 拘束を緩めると、魂だけの身体は霞むように空気へ溶け込んでいく。自分の身体がある場所に戻ったのだろう。本体は恐らく、この先にある建物に置いてあるはずだ。若しくは妖魔界か。詳細は不明だが、今や俺の式神なので不利益はない。


 見届けた後、携帯を取り出して地図アプリを開く。


 この先で、他よりも一段と高い建造物。

 そして、ガラス張り。

 タッチパネルを操作し、該当場所を探す。


 それは、直ぐに見つかった。


 なるほど。


 一ノ瀬ビルだ。


 画面を暗転させ、通学鞄にしまう。


「……おッ、ヒロじゃないか」

「ん?」


 背後から俺を呼ぶ声がした。振り向くと、たった今女を逮捕した警察官が片手を挙げて立っている。顔半分は黒い布で覆われており素顔を確認できないが、どこか見覚えがあった。確か、昨日も夕食を一緒に食べたような……。


「……あぁ、父さんか」

「おうッ! パパですよ! ムキッ」


 挙げた方の手で力瘤を作り、自慢してくる。

 装備に隠れていて全く見えないけどな。


 しかし、低身長ながら圧のある背中だと思っていたが、まさか我が父親だとは。

 壁内は案外と狭いものである。


「寄り道とは感心しないぞヒロ。真っ直ぐお家に帰りなさいッ! お父さんもあと少しで仕事が楽になりそうだから、家で待っていてくれ」

「帰宅が早くなるのか」

「そうだぞ! そうしたら、家族みんなで飯でも食いに行こう! 寿司がいいか、それとも焼肉か、確りと考えておくように!」


 先が予想できるという事は、警視庁が直に動き出し、決着をつける予定だという事。方法は知れないが、目的地が既に判明していると見える。ここからは想定でしかないが、事件の発生源は一ノ瀬ビルで合っているはず。暴れていた女に、運よく妖怪が潜んでいたとも考えられない。つまり、事件を引き起こしていたのも奴らで、その本拠地に部隊か何かを派遣して、警察はここ最近起きている騒動の終結を図るのだろう。


「事件が解決するのか」

「あぁ! だから安心してくれていいぞ!」

「……そうか」


 会話から情報を入手し、現状を理解できた。

 俺が現地に赴かずとも、問題は起きなさそうだな。

 少しだけ小鳥の事が頭を過ったが、思考に蓋をすることで考えないようにした。


「パパはもう行くから、道中だけは気を付けて帰ってくれな」

「父さんもな」

「任せとけい!」


 手を振り、父さんは赤い光と音が五月蠅い方向へ去っていく。その姿を見送り、俺も背を向けて脇に逸れていた道へと戻った。


 言われた通り、今度こそ寄り道はせずに家路を急ぐ。空からは黒い鳥の鳴き声も聞こえ始めており、もうそろそろ日が暮れる時間帯であろう。

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