33 終わりなき不穏
休日明けは学校だ。登校の時間に近づくと、嫌でも現実に引き戻されたような錯覚に陥る。憂鬱であるが、社会という荒波で生き抜くためには致し方無いだろう。早く、自立するための資格が欲しい。そうすれば、後は自由だ。俺のバラ色スローライフが待っている。……想像していたら、活力が戻ってきたな。
「おぉ! 目玉焼きが半熟で美味いのぅ!」
「お母さま、この度は食事の準備までしていただき、なんとお礼を申し上げればよいか……」
「いいのよ、気にしなくて。賑やかなのは大歓迎だから」
シュテンとイバラキは闘技大会後、言っていた通りに直ぐ帰ってきた。妖魔界へ行ってから3日程しか経過していないが、何をやっていたのだろうか。まぁ、それは後で聞いてみることにして、今は滞りなく問題が解決した事実を喜ぶべきだな。
現在は朝練後、朝食を取っている真っ最中である。
俺の右隣にシュテン、対面にはイバラキが座っていた。前までは一緒に食卓を囲むことなど無かったのだが、俺が無理やり席に着かせた。理由があった訳ではない。ただ、何となくだ。闘技大会の後からただ漠然と、ずっと側に置いておきたくなったのだ。
母さんは特に気にした様子もなく、自然と受け入れている。この順応性の高さには、感謝しかない。母の日には、カーネーションを贈ることにしよう。母の日が何日だか知らないがな。
「シュテン、俺の目玉焼きを一つ分けてやろう。」
「お、よいのかッ!? 悪いのぅ」
幼くも美しい顔がだらし無く緩む。
何故か、胸が高鳴った。
確かに可愛かったが、以前まではこんなにも破壊力があっただろうか。
吸い込まれる様に、シュテンの頬へと手が伸びる。
そのまま、撫でた。
スベスベだぁ。
「な、なんじゃあッ!!? ぁ……うがッ」
行き成りの事で驚愕したのだろう。
逆方向へ重心を崩し、椅子から転げ落ちた。
床で横倒しになったまま、固まっている。
……大丈夫だろうか。
心配だが、シュテンは強い。
あれぐらいで怪我をする程、柔な鍛え方はしていないだろう。
頬はぷにぷにで、柔らかいがな。
「イバラキ、お前にはベーコンだ」
「……はッ! よ、よろしいのですか?」
「遠慮するな」
「……で、では、く、くくく、口移しでぇ……」
「任せろ」
俺はベーコンを口に含み、身を乗り出す。
「えばッ!? ぁが……ッ!?」
驚いた様子のイバラキは身体が仰け反り、椅子ごと後ろに転倒した。
奇しくも、パイルドライバーを食らった後のような態勢で固まっている。
頭を打ち付け、痛そうだ。
「なんだ……?」
美女二人が食事中床に突っ伏すという、異様な光景が場に広がる。
「ふふふ、罪作りな息子ね」
どういうことだ。
*
『……夫婦二人を持ち込んだ包丁で殺害したとして、東京壁内に住む男が今朝、警察官によって逮捕されました。逮捕されたのは、千代田区に住む会社員、須藤昭夫容疑者、42歳です。取り調べに対し男は、「わからない。自分はやっていない」と容疑を否認しており、警視庁は事実確認を急ぎ執り行っています。……以上、ニュース速報でした。続きまして、昨日行われた闘技大会について新情報が……』
「……物騒ね。ヒロくん、寄り道せずに帰ってくるのよ」
「あぁ」
活気に満ちた食事も終わり、学校の時間が迫る。
リビングで出発の準備を為していると、点けっぱなしのテレビからは情報番組のニュース速報が流れてきた。闘技大会の効果により、明るい話題をお茶の間へと届ける筈であるが、妙に重たく暗いニュースだ。
大会があって塗り潰されていたが、実は最近このような不吉な報道が多かったりする。他にも複数の誘拐、傷害事件が立て続けに起きていて、街中では普段見かけない程の警官が巡回をしていた。父さんの仕事も忙しく、今朝は顔も見られていない。
珍しい事態であるが、間違いなく直に収まる。警察官は荒事の対処をするために特殊な訓練を施され、独自の装備が配布されているからだ。滅多なことでは、事件が未解決に終わらない。
警察官を街で頻繁に見かけるということは、見回りが大勢導入されたのだろう。詰まる所、壁内の安全性が確保されたに等しい。自身が気を付ける必要は大いにあるが、心配はそこまでいらないだろう。内容の詳細についても事件後にテレビからの一報があると判断し、思考に蓋をした。
鞄を持ち、玄関へ向かう。
登校時間だ。
*
いつも通り、学校に遅刻間近で到着する。
教室には、通常と変わらない光景が広がっていた。
誰一人の欠席もいない。
誰一人も。
教室の前方へ、視線を向ける。
一ノ瀬が、何事も無かったかのように着席していた。
日課である周囲とのコミュニケーションも欠かさずに。
……おかしい。
確かに、復活するのは時間の問題であった。
技を決めはしたが、止めを刺したわけではないのだから。
不思議に思うとするならば、回復の速さであろう。あれだけの衝撃があれば、首の骨が折れていたとしても怪しむに足りない。寧ろ部屋ごと崩れたのだから、全身が複雑骨折していても良いぐらいなのだ。それを、一日やそこらで癒えさせるのには無理がある。ファンタジーな世界であるが、傷を一気に治せるような便利すぎる魔法も発見されておらず、治療面に関して大きく進歩しているとは言えないのだから。
薄ら寒いものを感じながらも、席に着く。
時間は流れており、方々の視線も厳しい。
これ以上、調べることは難しいだろう。
鐘は変わらずに読書の時間を告げ、制限時間が訪れた。
今は、学校生活に意識を傾けるとしよう。
*
昼。教室で三人、弁当を囲む。
今では、早乙女の分も俺が作る羽目になっていた。二人分も三人分も其れほど違いはないので構わないが、彼女に関しては振舞う理由がないので納得していない。後で俺の分を作らせて、それを代金としよう。……タダで食わせる訳がないだろう。人を甘く見るな。
弁当の蓋を開け、箸を持つ。
通例通りであれば、そのまま箸を動かして、食事に移るのだが、今日に限ってはそうならない。昼食前に、確認しておきたい事項があるからだ。
予備の眼鏡を掛けてきた、小鳥に話を振る。
「小鳥」
「なに」
「昨日や一昨日、特に変わりないか」
「……え? ……なんで」
別に、心配な訳ではない。こいつへの感慨は当に薄れているのだから。
ただ、一ノ瀬が教室に現れ、普通に授業を受けていたので、関わってしまった手前些か懸念が生じた。であれば、気懸かりを取り除くためにも、一応聞いておくべきであろう。何となく、知らない事実があるとモヤモヤする質だしな。
「いや、気になっただけだが」
「そう」
「……」
「……」
小鳥は、何も話さない。
……向こうに喋る心算がないのなら、俺も立ち入る必要は皆無だ。
切り替えて、鶏肉へと箸を伸ばす。
「確か、女の人の家に泊めてもらっていたのではなかったかしら」
進み始めた箸が止まった。
事情を聞いていたらしい早乙女が、代わりに話したのだ。
……そうか、聖は問題なく保護を遂行したのか。
気づかれないよう、息を吐きだす。闘技大会後から発生していた、異様な知識欲からの解放による安堵の溜息である。やっと、力が抜けた。これで夜はぐっすり眠れるな。
「……でも、今日には家に帰る。ずっと居るわけにはいかないから」
「やめておけ」
「え」
即座に体が強張った。
声にも自然と力が籠る。
「今日も泊めさせてもらえ、と言っているんだ」
「迷惑だから帰るよ」
「何を遠慮している。いいから泊めて貰うんだ」
「いや、別に遠慮しているわけじゃないけど」
「なんなら、俺から彼女に泊めるよう伝えてもいい」
「山田から? ……それって意味あるの」
「…………いや……そうか。……何でもない」
「そう」
家に帰してはいけないと、心が警鐘を鳴らしている。
何故かは解らないが、嫌な予感が拭えなかった。
唇を噛み締める。
しかし、現実は変わらず、小鳥は今日帰宅するのであろう。
食事は、全然進まない。
どうする。
考えるんだ。
俺に出来る事は……。
……。
……あぁ。
悪い癖が出た。
思考を停止させ、作業の様に料理を口に運ぶ。
濃い目に付けた筈の味は、何処かへと消え去っていた。
何を食べているのかさえも、分からない。
だが、構わず放り込む。
何かを振り切るように。
忘れるように。
気付けば、昼の時間は明けていた。
きっと気のせいだ。
何もない。
何も、起きない。
何も。
……。
△
放課後、小鳥は連絡先を交換した聖にお礼のメッセージを送ると、すぐさま自宅への帰路に就いた。その際、今日も泊まりなさいと聖から返信が来たが、小鳥は了承しなかった。家に帰らなければならない理由があるからだ。
帰宅すると、早速作業に取り掛かる。
庭へ出て、片付けておいた如雨露を取り出すと、設置されている水道から水を汲みだした。中身を満タンにすると、零さないように慎重に運んでいく。目指す先は花壇のある方向だ。そこには色とりどりの花が咲き誇り、広がる景色は天国に存在する楽園のようである。
小鳥は、ガーデニングを趣味としていた。
現在、季節は秋に差し掛かっており、水やりは土の具合を見てだが、一日から三日に一回必要なのである。一昨日から水をあげておらず、自身は聖の家に泊まっていた。雨も降っていないまま、二日が経過している。
つまり、小鳥は育てた花園が心配だったのだ。
土に触れてみたところ、案の定乾いていた。
現在の時間は丁度夕方あたりだろうか。空では烏が鳴き始め、人間に帰宅の合図を送っている。水やりは基本、朝の時間帯が望ましいのだが、この際仕方ない。
早速、水をかけ始めた。霧のように細かい雫が、如雨露の先から溢れ出していく。太陽光が屈折して、近くに七色の虹を作った。土は水分を吸収し、潤いを取り戻す。花弁には水分が溜まり、キラキラと輝いている花たちはどこか喜んでいる様だ。
「ふふ」
自然と笑みが漏れる。小鳥はこの時間が最も幸せであり、何にも代えがたいと思っていた。やめることなど、考えられるはずもない。何よりも、乾き切った花が可愛そうである。水遣りをしながら、帰宅したのはやはり成功だったと小鳥は考えていた。
その声が聞こえてくるまでは。
「やあ」
至福の一時は、唐突に終わりを迎える。
聞き覚えのある、脳裏に固着して離れない声音が耳に飛び込んできたのだ。
嫌悪感で、背筋が粟立つのを感じる。
音のした玄関の方を確認すると、そこには当然の様に男が立っていた。
傷を負ったとは思えない、記憶と変わらぬ姿で。
顔面には、いつもの笑顔を張り付かせて。
小鳥の前に、姿を現した。
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