31 覗き見にご注意
「兄貴ぃッ!」
扉が開き、真田が入ってきた。
今は一人になりたかったのだがな。
「無事か兄貴ッ!」
肩を掴まれ前後に揺らされる。
頭がヘルメットの重さでガクガクと動き、脳が揺れる。
身体は酷使をしたせいで、今やズタボロだ。
『ぅぐ……。イタイ……ハナセ……』
「はッ! ……わ、わりぃ」
素直に束縛から解放してくれるが、体力は限界。
そのままの姿勢でベッドへ仰向けに倒れ込む。
乱暴な扱いで傷に染みたが、真田なりの気に掛けた行動だろう。
大目に見ることも吝かではない。
「……ヘルメット、脱がなくていいのか? 息苦しいだろ」
『いや、このままでいい』
「そっか…………それよか、最後の試合だッ!! 凄かったな兄貴!! 心技を使うなんて、なかなか出来る事じゃないんだぜ!?」
『そうか』
真田の話によると、心技は冒険者団体が独占している技術で、教示されるのはグループのリーダー候補のみなのだとか。よって、誰にでも使える代物ではないようで、俺が未完成ながら発動させた事実に大層驚いたらしい。藤堂の模擬戦中していた演説ではそこら辺が隠されていた。良い所だけ先に見せ辛い部分は伏せる、巧妙な言葉の罠だな。奴は詐欺師に向いている。
……今思えば、藤堂は俺を叩きのめし、力を見せつける方法で上手いこと冒険者団体への入団を薦める魂胆だったのかもしれない。観客は勿論、俺自身さえも。
ところが、試みは一部失敗に終わった。
俺が自力で心技を発現させられたからだ。
ほんの少しだけ、仕返しが出来たのではないだろうか。
しかしながら、借金はまだ十分過ぎるほど存在している。
ならば、利息も贅沢に付けて返してやろうではないか。
10分3割福利位が最良だろう。
待っていろ。
今に、思い知らせてやる。
藤堂匡一。
ブラックリストに追加だ。
*
医務室から出て、優勝賞品を受け取るため廊下を歩いていた。模擬戦には敗北したが、賞品だけは受け取れるらしい。何となく嫌な気持ちだが、貰える物は頂いておく精神を持っている。ならば拒否する理由もないだろう。
真田は先に帰しており、この場には誰もいない。少しの間二人で話していて、1人で燻っている時よりも大分心は楽になった。思いがけないところで安らぎが得られるものである。棚から牡丹餅というやつだな。
……牡丹餅か。
腹が減ってきたな。
早く家に帰って食事をし、一度寝なければ。
そして、強くなるために出来る事をするのだ。
訓練の内容を今より過酷にする必要がある。
まだまだ強くなる余地は残っていると、今日分かったのだから。
俺は、立ち止まらない。
「…………いッ!!」
む。
通り過ぎようとした部屋から、激しい物音と喚くような声が聞こえてきて、思わず立ち止まる。扉は締まり切っておらず、多少の隙間が生じていた。何とも感興をそそられる光景だ。
……覗いてみるか。
人間というのは好奇心に勝てない生き物である。無意識のうちに手を壁に付けて、間から盗み見ていた。これは犯罪ではない。単純な興味からくる、生理現象なのだ。そんな言い訳を心の中で呟きながら、部屋の中から漏れ出る光を目に取り込む。
中では、一組の男女が争っている姿が見えた。
「なんで俺があんな奴にッ!!!」
「……ごめんなさい」
いや、争っているのは誤りで、男が一方的に女へ罵声を浴びせていた。
(……てか、一ノ瀬じゃないか。女の方は…………小鳥?)
小鳥は片方の頬を腫らし、壁に寄り掛かっている。
一ノ瀬は小鳥へ歩み寄り、胸倉を掴み締め上げると腹を殴りつけた。
「ぅ”……ッ」
「僕が優勝するはずだったんだッ!! 僕がッ!! この僕がぁッ!!!」
「う”……ッ。が……ッ。ご……めん”、なさい”……ッ」
数発殴った後手を離すと、小鳥はその場で崩れ落ち、腹を抱えて床に蹲る。口からは血の混じった大量の涎が溢れ出しており、絨毯に染みを作った。
「はぁ……殴っても全然収まんないや。……脱げよ。今ここで犯してやるから」
「……ッ! ……い、いや……」
小鳥の顔が一気に青褪める。
両手で体を抱え込み、小刻みに震え出した。
感じているであろう恐怖が、伝わってくる。
目の前が、真っ赤に染まった。
気付けば、扉に右手が掛かっている。
このまま、中に……。
……。
…………押さえろ。
関わらないと決めたはずだ。
何を熱くなっている。これは俺と何の関係もない、外の出来事で。
扉という敷居を跨がなければ、元の日常に戻る。
そんな些細な一風景に過ぎず。
動く必要は、一切ない。
「……ッ!! 僕に逆らうのかッ!!」
「……いやぁ……ッ!」
押さえつけられ、無理やり服を脱がされていく。
怪力で華奢な腕は青く染まり、衣服は乱雑に引き裂かれた。
今や、小鳥の上半身は何も身に付けていない。
「いやあッ!!」
「……ッ!! 黙っていろッ!!!」
腫れている頬を再度殴りつけ、壁際に吹き飛ばす。衝撃で小鳥の掛けていた眼鏡が外れ、部屋の隅へと転がった。放り出された眼鏡と同様に、小鳥は床を這う。体力が残っていないのか動きも鈍く、起き上がることは叶わないだろう。
一ノ瀬は腰のベルトに手をかけ、下半身に着用している衣服を下ろす。即座に汚物が露になった。既にいきり立っているそれを使えば、直ぐにでも行為に及ぶことが可能だ。
「……あいつが悪いんだ……ッ!僕に不快な思いを抱かせるからッ!」
倒れている小鳥の両腕を抑え込む一ノ瀬の顔には、喜悦の笑みが浮かんでいた。
小鳥の抵抗は最早弱まっており、濁った瞳からは大量の涙が零れだしている。
「……誰か……」
声が聞こえた。
それはか細く、消え入りそうで。
恐らく、救いを求めたものではない。
咄嗟に、口から出ただけ。
期待も何もかも、存在しないような抑揚のない声だ。
全てを諦めているような。
死人の声。
しかし、聞こえた。
耳に入った。
脳に響いた。
胸が熱くなる。
沸騰する。
あぁ。
確かに俺は、止まらないのだろう。
止まることは、出来ないのだろう。
気づけば、扉を握っていた手は離れ。
助走をつけて、蹴破っていた。
「!?」
一ノ瀬が振り返った。
が、そのまま突っ込む。
身体は未だ癒えておらず、骨が軋み、悲鳴を上げている。
構うものか。
明日、動けなくなってもいい。
今、動ける。
それが全てだ。
一ノ瀬の背後を瞬時に取り、腰に腕を回した。
そのまま、真後ろに向かって反り返る。
「ジャアァァァマァンッ!! スゥウプレエェェエエッックスッ!!」
「ほぁガェッ!!?」
一ノ瀬は天を仰ぎ見た後、地面へと一直線に突き進む。
頭から、叩きつけた。
轟音の後、崩壊。
床が割れ、部屋全体に亀裂が入る。
一ノ瀬は、頭部から肩まで地面に食い込み、通常とは逆方向に直立した。
汚物がだらしなくブランコしている。非常に気持ちが悪い。
「……え……」
小鳥は晒された胸元を隠さぬまま、呆然としていた。
現状を認識した後、一ノ瀬に報復をしてもいいだろう。
アソコを切り落としてやることも出来る。
だが、この場にはいられない。
部屋が一つ、もうすぐ無くなるからだ。
俺は、ボタンが弾けて肩から下ろされた小鳥の服を、元の位置に戻す。
胸元が少し肌蹴るのは申し訳ないが、我慢してもらおう。
『おい、立てるか』
「……う、うん」
小鳥の手を引き、立たせる。
『なら行くぞ』
「……わかった」
手を握ったまま、その場を立ち去る。微かに震えている手は固く、強く握られており、ちょっとしたことでは外れそうにない。
部屋を出て数秒後、崩落は始まり部屋は瓦礫で埋もれた。異常に気づいたスタッフが駆け付けるまで、場を静寂が包んでいたのは公然の事実だ。当事件の目撃者はおらず、出来事を知る者は当事者以外には存在しない。一ノ瀬が発見されるのも、大分時間が経った後だろう。
夜の帳が下りる。
一部の大会関係者が忙しくなるが、
衆目には晒されず、修復作業は陰で行われる筈だ。
闘技大会の熱は居然冷めることなく、壁内を賑わせているのだから。
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