30 覚醒

 俺の向かいには、一匹の妖怪が立っている。身長は腰辺りまでしかなく、三頭身でマスコットっぽい見た目の女の子だが、頭の天辺を富士山の様に隆起させており、そこからは白い煙が噴出している。


 まずは、時間稼ぎだ。

 そのためには、この式神が役に立つ。


『……』

『……ポ?』


 数秒間、見つめ合う。


『……フジ、今日も可愛いな』

『ポォオオオオオ!?!?』


 フジの顔が真っ赤に染まり、煙の量が爆発的に増加した。大噴火だ。

 モクモクと途切れることなく上がり、会場全体を白い煙で包む。


 こいつの能力は、ただ煙を出すだけ。原理はよくわからないが、褒めると煙を生み出すので使い勝手は悪くなく、戦闘でも有用そうに見える。だが、実はそうでもない。魔法力でできた気体なので、見えている者にしか効果が得られないのだ。今までは自分自身しか視認できなかったので、特に意味を成さなかった。


 これは賭けでもある。

 奴が見えていなければ、無駄な行動として終わるのだから。


 会話の中では、見えている風だった。

 だが俺自身、確信を抱いてはいない。


 こんな博打みたいな真似は、あまり好きではないのだがな。

 今は、実力の足らない今だけは、仕方がないと納得するしかない。


 祈るしか、ない。


 頼む。


「…………なんだ、この煙は」


 ……気付いた。


 よし、成功だ。

 数十秒ぐらいなら時間が稼げるだろう。

 急がなければ。


 先程の、藤堂が変貌した時を思い出す。


 あいつは何をしていた。

 どうやって力を引き出した。


 俺は何を視た。

 何を。



――煙が晴れる。



「どうやってやったかは知らんが、無駄だぞ。一朝一夕で覚えられるものではない」


 手に剣は握られておらず、拳の風圧だけで払い除けたようだ。

 どれだけ威力が高いのだ。化け物か。

 藤堂のいた位置を確認し、次の行動へ移ろうとした時。


 その場から、奴が消えた。


 気づけば黄金の籠手が目と鼻の先。

 咄嗟に首を傾ける。


『がッ……』


 避け切れず、ヘルメットのシールド部分を掠った。

 それだけで魔力壁が破壊され、身体は地を跳ねる。


「冒険者団体に入団すれば、君なら直ぐに習得するぞ」


 魔力水晶はほぼ赤い。

 ブザーは鳴っていないので、まだ負けていないのだろう。


 ……だが。


 勝てるイメージが湧かない。

 俺は負けるのか。

 震えが酷くなり、立つこともままならない脚を見つめる。


 動悸がする。


 負けたくない。

 毎日、血反吐を吐く思いで訓練しているのは何だったのか。

 何のための訓練だったのか。


 思い出せ。


 自分のためだろうが。

 相手がどうとか。

 社会がどうとか。


 そんなのは関係ない。


 貢献だの。

 英雄だの。

 人類だの。


 黙っていろ。


 俺だ。

 俺なんだ。


 自分を信じろ。


 曲げるな。

 曲がるな。

 前を向け。


 無駄など、ない。


「……ん?」


 魂の奥底で、誰かが、何かが叫んでいるのを感じる。

 多くの魂が入り乱れた、肥大した心臓が。

 俺を、私を、自分を使えと叫ぶ。

 

 その中で、一番大きく、強い者。


 そいつを探す。


 一際、大きい繋がりが二つ。

 その片方を、手元に引き寄せる。


 お前だ。


 お前が良い。


「まさか……」


 糸を引き、呼ぶ。

 絞り出すように。


 来い。


 ……来いッ!


 遠くても繋がりを感じる。

 俺たちはこんなにも近く、温かかったのか。


 あぁ。


 シュテン。


 自然と、言葉が紡がれる。


『“来い、酒呑童子”』


 瞬間。


 震えなど、存在しなかったかのように消え去る。

 胸が、心が。快晴の空の様に澄み渡る。


 俺から重い妖気が発生し、辺りを満たした。

 妖気は紫色の霧となり、地面近くを彷徨う。

 それは余りにも濃く、誰でも視認ができるまで高まっていた。


 中心地点には佇む者がいる。

 先程までのライダー然とした恰好は、真赤な武者の甲冑へと変化していた。

 されど、不完全。初めての実行による下手な力の扱い。それにより、甲冑は大袖と籠手しか具現化されておらず、どうしようもなく、勿体ない。


 と思いきや、力は漲る。

 どんな敵にも勝てると錯覚する程、内在霊感力が増加していた。


 今では、フジを撫でる余裕まである。

 よしよし。


「なるほど、断片的であるが成功している。素晴らしい才能だ。心技を見せてしまったのは、儂を不利にしてしまったかな」


 フジを高い高いする。

 笑った。可愛いな。


「……何を、一人で遊んでいるんだ?」


 どうやら、妖怪は見えていないらしい。

 目に入るのが気功力と魔法力だけとは、お粗末な能力だな。


 ……確認のためであったが、こんなことをしている時間はないようだ。


 俺には、この状態で活動できる制限時間があるらしい。

 魂が擦り減っていくのを感じる。恐らく、20秒ほどで力尽きるであろう。

 鍛錬を積むこと叶わず、慣れていないのが歯痒い所だが、今は実戦だ。戦闘の中で何とかするしか道はない。


 フジを会場から退出させた後、鉄の棒に妖気を纏わせる。

 棒はおどろおどろしいオーラに包まれた。これで殴られたら呪われそうだ。


 地を駆ける。

 滅茶苦茶に速い。

 自分ではないみたいだ。


「ぐぬッ!?」


 一撃目は防御されたが、そのまま斬り結ぶ。


 ついていける。

 劣っていない。


 はは。


 俺は強い。


「いい剣だッ!!」


 藤堂の速度と力が上がる。

 まだ上があるのか。


 面白い。

 俺もいけるぞ。


 はははは。


 非常に楽しい。

 なんという高揚感。

 病みつきになりそうだ。


「ぬぉおおお!!」

『……ッ!!』


 流石に速い。

 ついていけなくなってきた。

 籠める力を増すと、魂の減りが早まる。

 このままではジリ貧で、いずれ俺が潰れるだろう。


 一気に決めるしかない。

 魂を燃料に、加速する。

 命を削るのだ。


『があぁぁぁああああぁああ!!!!』

「うぐぉおおッ!? だあぁあぁぁああ!!!」


 激しい攻防。


 止むことのない嵐。


 原形を留めていない会場。


 息を呑む観客。


 今までの大会で、見たことのない光景がそこに広がる。

 中継席では喋らなければいけない二人が、黙してただ試合を見つめていた。

 テレビの前では、子供は泣き止み、大人は手に汗握る。

 誰もが注目する戦い。



――終わりは唐突に訪れた。



 ブザーが鳴ったのだ。


 藤堂の魔力水晶は青色で。


 最初のまま、澄み切っている。


 対して、俺は赤。


 つまり。


 俺は負けた。





 その後、力を使い果たして倒れた俺は医務室に運ばれた。

 ヘルメット等を脱がされていたが、騒ぎ立てるほどではない。


 ただ、俺は負けた。

 其れだけが、頭を反芻する。


 及ぶべくもなかった。

 力が足りなかった。

 鍛錬が足りなかった。


 悔しい。


 後悔だけが残る。

 もう少し何かできたのではないか。


 覚醒の仕方が下手だった。

 覚醒後の気功力、魔法力の扱いも雑になっていた。

 初めの数秒、本気を出さずに力を持て余してしまった。


 馬鹿だ。

 天狗だ。

 クズだ。

 恥を知れ。


 自分を戒める。


 同じ失敗は、二度と冒さない。


 絶対に。


 俺は、成長できる男だ。


 掛け布団を退ける。


 ……次は。


 …………次は負けない。


『……ッ』


 横に置いてあったヘルメットを被り、顔全体を覆い隠す。


 コスプレしてきてよかったと、初めて思った。

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