25 余裕綽々

 やっと昼食の時間がやって来た。

 コンビニに行こうかとも思ったが、近くの牛丼屋に吸い寄せられた。外では多分に視線を感じたが、飯を前にすれば些細な出来事だろう。


 ソファに座り、ビニール袋から特盛牛丼を取り出す。

 蓋を開けると、牛丼のいい香りが部屋中を包んだ。


 腹が鳴る。

 早く食べたい。


 だが、慌てるな。

 付属の生卵を入っていた小皿に割り落とし、箸で溶く。

 ここで空気をあまり含ませてはいけない。なるべく滑らかに仕上げるのだ。


 小皿に入っている黄金の水を肉の上に垂らす。全体に満遍なく行き渡る様に。

 更に、七味唐辛子と紅生姜をトッピング。


 できた。これぞ、至高の最強牛丼。


「いただきます」


 箸で米と肉を口に持っていく。


 一口。


 うまし。


 まじうまし。


 つゆだくの濃いタレが米によく染みている。


 世間では何も手を加えないシンプルこそが最高だと言われているが、それはどうなのか。自分の好きな食べ方でいいではないか。嗜好は人それぞれ違う。他人に自身の考えを押し付けるのは良くないことだ。キン肉マンは十分に反省してほしい。


 器を手に持って傾け、牛丼をかき込む。


 もうここで終わってもいい。

 だからありったけを。


 流し込む。

 口いっぱいに、幸せが広がった。


 まさに、天国。

 限りない幸福の津波。


 あー。


 これはあれだな。


 しんだ。





 昼食を終えると、さっそく2回戦が始まった。


 一ノ瀬対、扇だ。

 1回戦を見た感じだと、どちらが勝ってもおかしくはない。実力は扇の方が上だが、一ノ瀬も地力では負けていないからだ。どうなるかは見物である。


 コンビニに寄って買ってきたチーズケーキを食べながら観戦する。

 動いているのだから、少しぐらい甘い物を摘まんでも罰は当たらないはず。


 きっとそうだ。


『扇が独特な舞で一ノ瀬に襲い掛かります。中島さん、やはり経験豊富な扇が一歩先を行っているように見えますが、どうでしょうか』

『そうですねぇ。今は扇が圧倒しているように見えますが、一ノ瀬は予選や本選の第1試合、どちらも途中からギアを上げているんですよ。もしかしたら序盤は相手の動きを見極めることに徹しているのかもしれませんねぇ』

『なるほど。ということは、また終盤での巻き返しがあるのかもしれない、ということですね』

『そうだと思いますねぇ』

 

 扇は名前の通り鉄扇を武器に戦っている。

 ステップが予測不能な動きで、相手のペースを確実に崩す。形はぶれることがないので、経験が成せる業だろう。一ノ瀬が二刀流で攻勢に転じようとするが、悉く避けられていた。


『これは一ノ瀬にとって苦しい時間です!持ち味の手数が活かせない!』


 む。


 また一ノ瀬の動きが変わったぞ。

 速さではなく、力で押し始めた。


『おぉっと一ノ瀬、急に剣筋が鋭くなった!打って変わって今度は扇が苦しそうです!やはり狙っていたのかぁ!』

『力の使い方が変わりましたねぇ。一ノ瀬は若いのに素晴らしい技術を持っていますよ。まるで七色の剣だ。』


 しかし、そこで黙ってはいないのが年長者というもの。

 近接は分が悪いとみると、迅速に距離を取り、魔法力を使いだした。


 風だ。鉄扇で扇いだことにより、風の刃を発生させた。

 一ノ瀬に数十の刃が迫る。剣で防ぐが、全てを躱しきれずダメージを負う。


 魔力水晶の色は黄色。


『扇の魔法が一ノ瀬に刺さります。そのまま扇は風を作り続けています!これは厳しいか!?』

『いやー容赦ないねぇ』


 扇に軍配が上がるかと思われた時。


 一ノ瀬が左手の剣を一本投げた。

 これにより、扇が大きく態勢を崩す。

 奇襲成功だ。


『きたぁあああ! 一ノ瀬がきました! 片手剣で扇を切り裂くぅ! 素早い動きだ!! 扇反撃できない!! そのままブザーが鳴ったぁ!! 試合終了だぁ!!』

『うほおぉ、すごいなこりゃ』


 まさに起死回生の一手というやつか。

 一気に畳みかけ勝利を掴み取ってしまった。


 手に汗握る戦いだった。

 結果、一ノ瀬強し。俺も負けていられない。

 外していたヘルメットと手袋を再着用する。


 よし、試合の準備をするか。


 ……その前にトイレへ行っておこう。

 漏らしたらまずいからな。









 真田利幸の控室。

 山田に割り当てられている部屋の3倍は広い、所謂、VIPルームだ。


 ソファはフカフカであり、テーブルの上には関係者が用意したお菓子やジュースが置かれている。60インチを超えるテレビからは大迫力の試合風景が流れており、その場にいるかのような臨場感を室内ながら味わえる。 空調管理も確りと施され、快適な暮らしを送れるであろう。

 また、室内には係員をすぐに呼び出せる内線も備え付けられており、必要品を注文する等、すぐに対応可能だ。至れり尽くせりである。


 当の真田は、ソファに寝転がって携帯ゲーム機を楽しみながら、時々テレビに目線を送っていた。


『一ノ瀬が鮮やかな勝利を決めました! 本当に高校生なのか、非常に疑問です! 力量は既に冒険者団体の上位と比べても引けを取らないでしょう!』


 画面から、今勢いのある若者を称える実況の声が響いた。

 それを真田は、右から左に受け流す。彼は今、勝利に次ぐ勝利で自信に溢れていた。敵の情報など、仕入れる必要性を一切感じない程自分の強さに信頼を置いているのだ。


「……決勝は一ノ瀬光か」


 ゲームをスリープ状態に変えて立ち上げる。


「確かに、ルーキーにしては大したもんだ。だが、所詮はまだ青臭い素人の学生。赤子の手を軽く捻りつぶ様に、料理してやるぜ」


 悪人の様な形相。それに台詞。

 彼を知らないものが見れば、完全に犯罪者の其れであろう。


 思考は既に決勝戦へ向いている。

 とはいえ、その前に真田にも試合が残っていた。


(相手は誰だ?)

 

 近場に転がしておいたガントレットを装備し、テレビに映されているトーナメント票を確認する。そこには一つだけ異質な、ニックネーム出場だと一目で判断できる名前が記述されていた。


「……サムギョプサル絋雨? ……お遊びのクズが何故本選にいるんだ。大会の層が例年よりも薄かったのか?」


 液晶テレビを睨みつける。

 目つきはまるで横暴借金取りで、傍から見ると震えあがる程に恐ろしい。


 1回戦を勝ち上がってきていることに気づくが、相手も弱かったのだろうと考えていた。相手が強い可能性には全く至らない。

 それも当然のことだ。偽名を使い闘技大会に出場する者で、今まで戦ってきた大抵が弱者だったのだから。


(……すぐ終わらせるのは簡単だが、少し防御の練習をしておくか。本選に来ているのだから、ある程度戦えるだろう。初めは俺から手を出さず、攻撃させて全て防ぐ。ダメージが入らないように注意しなければな)


 極道会の次期リーダー候補になお連ねる予定の真田は、少しでも成長しなければならない。防御を身に付けるのは最大の課題であり、実戦で練習できる機会も限られている。相手が弱くても、試合を無駄に捨てている時間はなかった。


 試せる時に試行する。

 心情は増長することがあっても、変化する確率は低い。

 彼は、自分に厳しい堅実家であった。


 内線が鳴る。

 慣れた様子で受話器を取った。


「俺だ」

『真田様、試合のお時間になりましたのでリング入り口までお越しください。』

「あぁ」


 通話を終了し、ドアへと足を運んで部屋を退出する。


 去年と殆ど変わらない。

 そんな闘技大会。

 真田が優勝すると誰もが思い、そして疑わない。

 当人も、その可能性しか想像していなかった。




 誰もいなくなった部屋の中、机には飲みかけのオレンジジュースが置いてある。お菓子のゴミが下敷きになっており、少しだけ傾いていた。


 会場では、観客が大いに騒いでいる。


 外での影響が部屋全体にまで及び、室内を振動させる。

 机にも波紋を齎し、不安定なコップは微妙な揺れにより、倒れた。入っていたオレンジジュースが卓上へと流れ出し、勢いは止まらず机の下にまで侵食する。


 絨毯にオレンジの染みを作り上げた。

 高級な代物であり、何かが零れる前提で作られてはいない。

 元の状態に治すには一苦労であろう。


 平常時では、コップが倒れる見込みは薄かった。


 だが、ここは闘技大会。

 普通とは異なり、何が起こるかも未知である。


 安易な考え。

 それは破綻へと繋がる。


 注意をしていれば、防げたかもしれない可能性。

 しかし、指摘する声はなく、気付く様子もない。

 真田は既に会場へと向かっていた。


 2回戦、最終試合。


 始まるまで、もうすぐだ。

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