18 夏祭りの憂鬱
あの後も学校帰りに数回、ラーメン屋へと足を運んだが、爺さんは現れなかった。寂しくもあり、清々してもいるが、取り敢えずこの件は置いておこう。
補習がやっと、終わったのだから。
なんとか、全日程約20日間を満了した。
やつれ果てた俺は、夕暮れ時の家中、一人リビングで寝転がって気を練る。
あぁー、日常が帰ってきたという感じだ。ほっとする。
今は、今だけは、何も考えずに自分の内側に閉じ籠りたい。
殻に包まって、訓練に集中したい。
……背後で、扉が勢いよく開かれた。
「はぁ……」
振り向く。
シュテンか。
「ヒロ助、夏祭りにいくぞ!“わたあめ”なる雲のようなフワフワ菓子が食べられるそうなのじゃ!これを逃さぬ手はあるまい!はよ準備せい!」
夏祭り。
わたあめ。
そうか。
一人で行ってくれ。
*
「おぉ!賑わっておるのぉ!」
「いい香りがしますね。お腹が空いてきました」
結局、来てしまった。
ゲッソリしている俺とは対照的に、肉体を持った二人の鬼は大変興奮した様子で前を歩く。交互に出る足の速度は速く、付いていくのがやっとだ。
こんな人ごみに来て、一体何が楽しいのか。飯も不味ければ、値段も高い。祭りで夕飯を済ませるくらいなら、コンビニ弁当の方が100倍効率的だろう。
二人にしてみれば珍しい食べ物が多いのかもしれないが、そんなもの近くの店、若しくはネットでいくらでも購入できる。俺には、自ら駆り出す意味がまるで見出せなかった。
「おや、あれはイカ焼きですね。買ってきます」
「おほー!あっちにわたあめがあったぞ!童はそっちに行く!」
それぞれが自分の望むものを求めに駆けていく。
完全に、逆方向へ進みだした。
「お、おい!散り散りになって動くな!……あ」
どちらに付くか迷っていると、早々に見失った。足が速い。
こいつらは、なぜか目先の欲にかなり忠実だ。欲しいものを純粋に求める様は、正に子供然としており、欲求を満たすまでは露店を巡っていて帰ってこないだろう。それまでの合流は諦めるべきだ。
いや、携帯電話持っていないのにどうやって集まるのか。
そして、俺を連れてきた意味とは一体。
……帰ってもいいか?
「馬鹿共……」
一人で呟いていても、虚しいだけだった。
離れてしまったものは、仕方がない。
とりあえず、歩いて夜ご飯分でも探して買うか。
合流については向こうが探し当てるのに期待するしかない。
出店を人の波に乗りながら巡る。
焼きそばにタコ焼き。
様々なものを見かけた。
しかし、全く食べる気にならない。
暑苦しい。
俺は人口密度の高い場所が苦手なのだ。
息ができない。
死にそう。
これはダメだ。
脇道へとそれ、濁流から抜け出す。
肌を覆う熱さは消えないが、吹く風は涼しく、先ほどとは雲泥の差だ。
人も疎らで、俺の生きやすい環境である。
あの道は、きっと地獄だったのだ。黄泉へと導く、闇の回廊だ。そうに違いない。
……そこへ戻ることは、金輪際存在しないだろう。まだ、生きていたいのだから。
やっとだ。やっと、綺麗な空気が吸える。待望していた時間だ。
肺に澄んだ酸素を送り込み、淀んだ二酸化炭素を一気に排出する。
「ふぅ……」「はぁ……」
空気が美味い……ん?
同じタイミングで、誰かが深呼吸をした様だ。
どうやら、俺の他にも現実への期間を果たした猛者がいるらしい。
顔を拝見しようと、横を見る。
見知った顔だった。
食事改善によって、以前よりも少し肌艶のよくなった女性。
眼鏡はいつものまま、服装だけを見たことのない普段着に変えている。
「「……あ」」
小鳥結奈であった。
*
屋台の灯りで照らされる、大通りからは少し外れた街の角。開けたスペースを見つけた俺は、水の入ったペットボトルを片手に、座り込んでいた。
隣には缶のナタデココヨーグルトを持った件の人物もいる。服装は私服のようで、学校で見ている姿とは異なり、新鮮であった。
「一人か」
「うん」
「そうか、俺もだ」
「そう」
……会話が途切れた。話す内容もないのだから、仕方のないことだ。
前に目を向けると、人の行列が未だ衰えることを知らない。
騒がしく、誰もが笑顔を浮かべる。そんな光景を、どこか冷めた目で眺める。
近くを流れる川の音が仄かに耳に入った。
俺達だけ、世界の端に取り残されたみたいだ。
「彼氏ときていないのか」
「彼氏?」
話す題材を探していると、体育祭の最後を思い出した。
足の速度を揃えて歩く、二人の姿だ。
「一ノ瀬のことだ」
「……彼氏じゃない」
小鳥の顔に影が差す。
嫌なことを訊ねてしまったらしい。恐らく、喧嘩でもして、折り合いが悪いのだろう。
今は、現状を聞かれたくないという事か。
反省しよう。
「悪い、忘れてくれ」
「許嫁なの」
「……話すのか」
「親に無理やり決定された、許嫁。好きでも何でもない」
込み入った事情がありそうだ。
関わっても碌なことにはならないな。
ペットボトルのキャップを切り、口に含む。
まぁ、しかし、話したいのなら聞いてやらないこともない。話題も丁度尽きて、探していたところだ。手間も省ける。
別に、気になっている訳ではないぞ。
「家で管理している会社が経営難で、光……一ノ瀬のお父さんが、援助してくれているの。許嫁の件は、親が、勝手に……」
小鳥が詰まりながらも、少しずつ話し出す。
自分を落ち着かせるためか、右手で上唇を触って、指を
「学校ではあまり話さないけど、時々、何かあると呼び出されるの。それで、一緒に下校とか……してる」
「今日は本当に一人。夏祭りに一人でくるっていうのも可笑しいけど、ただ……気分転換。そう、気分転換がしたかっただけ」
話を区切ると、中身のナタデココを全体へ馴染ませるように、缶の飲み口部分を下に向ける。数秒そのままにした後、缶を元の向きに戻し、栓を開く。軽く気持ちのいい音が響いた。
飲み口を唇へと付け、傾ける。
良い飲みっぷりだ。
「……そうか」
体育祭の昼休みで見せた反応は気になっていたが、なるほど、やはり早乙女はこの事情を知っていたらしい。俺に話したのも、多少の信頼はあるだろうが、一人でも多く誰かに悩みを打ち明けたかったからだろう。
語られたのは、家庭内事情。
至って、どうでもいい話だ。
俺とは何の因果も感じない、別ベクトルの話。手を貸す必要性は一切感じない。
実際、俺にやれることは少ないのだ。関係性の薄い家庭へ他人が与えられる影響はごく僅かなのだから。
されど。
小鳥の顔には、どこか一抹の不安を覚える。
助けを求める素振りは見せないが、抱え込んでいるのだろう。
ふと、体育祭での渇いた笑顔を思い出した。
自然と、体に力が籠る。
本当に、俺とは関係のない話なのか。
本当に、助けを求めていなかったのか。
本当に、小鳥とは、他人だったのか。
「おい、小鳥」
「なに」
本当に、
「……」
「?」
本当に……。
「…………」
「……なに?」
「……いや」
……は。
「なんでもない」
「そう」
別に、どちらでも構わないか
女で、しかも式神契約を結んでいない、いつ裏切るかもわからない奴に、なにを真剣に悩んでいるんだか。
馬鹿らしい。
もし、俺が介入して解決したとしよう。何かリターンがあるのか?
何もない。俺が一方的に損をするだけだ。
助けたことで恩を感じ、俺に忠誠を誓うか?
時間の無駄である。
最悪、背後から刺されるのが落ちであろう。
これ以上、深い仲になる気は更々湧かない。
保証がない信頼関係なら、平行線が一番楽で、居心地がいいのだ。
俺はその場で立ち上がる。
そうだ、携帯がなくても糸を辿って呼べるのだった。
今の今まで、完全に忘れていた。ずっと、使っていなかったからだろう。
魂の結びつきを探りだし、久々の感覚に酔いしれる。
二つの、周りよりもより太く、強く繋がった糸を見つけた。
引く。
呼び寄せる。
来い。
……。
早く来い。
早く来てくれ。
早く。
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