10 何よりもケーキが食べたい
「……」
「……」
き、気まずい……。
現在、二人でテラス席にいる。
俺が手を引かれ、連れてこられた形だ。
向かい合わせで挟んでいるテーブルの上には、皿に乗ったチーズケーキがポツンと配置してあった。
ここまできて、お預けとは。
俺は相手の顔色を窺うように見る。目線が合った。
ケーキを見ていて気付かなかったが、どうやらずっとこちらに視線を送っていたようだ。
相手の顔は強張っており、目を逸らそうとしない。
怒っているのか?
……いや、この感じは。
にらめっこか。
俺は渾身の変顔を作った。
「…………ぷ」
我慢したようだが、相手は堪らずに噴き出した。肩を震わせ笑っている。
机の下でガッツポーズをする。
鏡の前で何十回も練習した甲斐があったというものだ。
今はこの一つしか持ち顔がないので、もっと練習する必要がある。
今日は勝利を収めたが、手札を増やさなければいずれは敗北することになるだろう。
寝る前は鏡の前に毎日立とうと決めた。
笑い疲れたのか、段々と落ち着いてきた様子だ。
吊り上がっていた目尻が下がり、口角は上を向く。
先程まで場を包んでいた重い空気は、何時しか四散していた。
「ご、ごめんなさい。あなたが急に変な顔をするから。ふふ。でも、ありがとう。おかげで緊張が解けたわ」
「そうか」
お礼を言いたいのは俺の方だがな。
これでまた連勝記録が増加した。
「あなた、山田広さんでしょ?同じクラスの。私は早乙女渚。学級委員長を務めているのだけど、覚えていないかしら」
「……早乙女だろ。もちろん覚えている」
早乙女は苦笑いを浮かべた。
嘘が即刻バレてしまったようだ。
「いいのよ、無理しなくて。でも、今後は記憶の片隅にでも残してくれれば嬉しいわ」
「……覚えておく」
入学して少し経つが、クラス全員の顔と名前が一致していない。
覚える気がなかったのだからやむを得ないが、これは結構不味いのかもしれないぞ。
もし、この女が承認欲求の強い人間だったら、俺は晒し首にされていただろう。
顔だけ切り抜いて、AV画像と合成された挙句、拡散されていたに違いない。
……恐ろしい。今度からは誤魔化し方を学習しておこう。
「それで、俺に何か用事があるんだろ」
視界にチーズケーキがチラつく。さっきからずっと気になっていた。
食べたい。異様に。我慢してきた反動が来たのだろう。
禁煙している喫煙者が、隣で煙草を吸われているのと同じ感覚だ。
早く、本題に入ってくれ。限界を迎えると俺自身、何をするのか予想がつかない。
口内に溢れた涎を飲み込む。
「……その、お礼を、言っておきたくて。商店街の件で。……助けてくれて、本当にありがとう。あの時は私一人で、本当にどうしようかと思っていたの。」
「別に構わない」
あぁ。
あの見た目以上に内容量が詰まっている小さなベイクドチーズケーキが恋しい。
噛み締めた途端に広がる香しい風味を楽しみたい。嗜みたい。
口いっぱいに感じたくて、仕方がない。
「それで、その……連絡、用がないときでもしていいかな。夜とか。その、寝る前にメッセージのやり取りとか、できたらなぁ……なんて」
「別に構わない」
今にも飛びつきそうだ。
サクサクのクッキー生地の上に乗った濃厚なクリームが口の中で混ざり合う感覚が懐かしい。一口食べたら止まらないだろう。
あれはまるで神が召し上がる天上の食べ物。
黄金の林檎やソーマの酒に並ぶ。
通常では目にすら入れることは許されない。
其れほど希少。
駄目だ、衝動を抑えられない。
早く、はやく話よ終わってくれ。
「ほ、ほんと!?じゃあその、今日の夜から連絡するわね!それから、朝のモーニングコールのし合いとか、あ、あと学校でのお昼ご飯とかもご一緒したいわ!」
「べつにかまわない」
はやくしろ。
「あ、チーズケーキだけど、ヒロくんのために持ってきたの。よかったら食べて!」
「いただきます」
ははは。
脳が飛ぶ。
このために生きてるって感じだ。
*
それから俺たちは、学校で再開することを約束して別れた。
約束しなくても同じクラスなのだから、必然と顔を合わせるのだがな。
席に戻ると、終了の5分前であり、シュテンの前には数多くの皿が並んでいた。
「ど、どうじゃ……!童の勝利じゃ!!」
捨て台詞を吐いて、トイレの方へと駆け込んでいく。
……いや食べ過ぎだろ。
結句、俺の煽り文句は言い過ぎだったらしい。
一方、イバラキの前にはシュテンよりも2倍ほど多い皿が積み重なっていた。
体に変化はほとんど見られず、ケロッとしている。
「もう少しイケましたね」
こいつに喧嘩を吹っ掛けなくてよかったと、心底思った。
*
夜、日課の素振りをしている。
今、俺の剣は音速の域まで達していた。
練習過程を着々と熟しており、順調に力をつけてきていると言っていいだろう。
ところが、光速に至るまでの壁が厚く、越えられない。
どのように振るっても、目を凝らせば刃が視認できてしまうのだ。
シュテンのようなイメージに、どうしても届かない。
伸び悩んでいるのだろう。
重りを大幅に増加させている木刀を握る。
気功力を行き渡らせてはいるが、腕に痛みが走った。
肩を下げ、息を深く吐き出す。
このままでは泥沼に嵌るだけだ。
今日はこのぐらいにしておいて、気分転換でもしよう。
不意に、携帯電話の着信音が鳴る。メッセージが届いたのだろう。
誰からだ。俺のIDを知っているのは家族ぐらいだが。
取り出し、液晶の画面を覗くと、犬がアイコンに設定された見知らぬ人物からメッセージが届いていた。
名前欄にNAGISAと書いてある。
なぎさ?
誰だっけ。
スパムかと思い警戒したが、既読しただけで有料サイトへ飛ばされるわけでもないので、とりあえず開いてみる。URLとか貼ってあった場合は、直ぐにブロックする所存だ。
【早乙女渚です。さっそく連絡してみました!(`▽´)】
【この子は私の家で一緒に暮らしているメロスです。かわいいでしょヾ(*´∀`*)ノ】
【今度遊びに来てくれたらうれしいな!特典として、モフモフを堪能できますよ(゚∀三゚三∀゚) ウホー!】
メッセージにはポメラニアンの写真が貼られていた。
早乙女か。
なんだこの痛い文章は。
キツすぎる。
鍛錬で疲れた体に追い打ちの右ストレートが突き刺さった。
ヘイ、セコンド。
頼むから、タオルを投げ込んでくれ。
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