第29話 クルツの実

 昼食を食べてお腹を膨らませた俺は、最後の素材であるクルツの実を採取するべく森の奥地を目指していた。


 クルツの実は日陰を好み、魔物が多くいる奥地に自生しているとのこと。


 そんな危険なところに自生しないで欲しいが、魔物がいる異世界なので今さら文句を言っても仕方がない。


 今の俺にできることは魔物と極力遭遇しないルートを選びながら、クルツの実を探すこと。そのために頻繁に魔石調査で魔物の感知だ。


「魔石、調査!」


 早速、使ってみると視界にいくつもの魔物らしきシルエットが表示された。


 奥地だけあってか魔物の数が多い。


 右の方角では大きなハチの魔物が飛んでおり、前にはずんぐりとしたイモムシの魔物がいる。迂回して左に流れようとしても、木の上に猿の魔物がたむろをしていて発見されそうだ。


 引き返そうにも後方では、俺の足跡をたどってゴブリンが三匹ほど近付いてきている。


 魔石を使って魔物から逃れるのも限界か。


 下手にギリギリの範囲を歩いて二方向の魔物に発見されるのは勘弁だ。


 ここは前方にいる足の遅そうなイモムシの傍を突破するのがよさそうだな。


 そう決めた俺はできるだけ足音を立てないように前に進む。


 すると、程なくして巨大な二匹の青虫が視界に入った。


【キャピル】

 ずんぐりとしたイモムシ型の魔物。

 鈍足であるが強靭な糸を飛ばしてくるので注意が必要。

 キャピルの糸は上質であり、服を仕立てるのにも使われることもある。

 成長するとモルファスという蝶々型の魔物になる。



 鑑定してみた結果、糸にさえ注意すれば突破することができそうだとわかった。


 キャピルは地面に生えている植物を食べているのか、こちらに気付いている様子はない。


 俺は覚悟を決めて走り出して、キャピルの横を通り過ぎる。


 すると、キャピルはこちらに気付いたのか、食べるのをやめてこちらを向いた。


 反応して追いかけてくるが、キャピルの足は鈍重で距離がドンドン開いていく。


 そして、十メートルほど俺が先行すると、二匹のキャピルは足を止めた。


 何も知らなければ諦めたと思うかもしれないが、鑑定で糸を飛ばしてくる可能性は把握している。


 キャピルは口をもごもごとさせると、一直線に白い糸の束を吐き出した。


 それを予想していた俺は木の裏側に回り込む。お陰でキャピルの糸は俺を捕らえることなく、木に張り付いた。


「よし、これでキャピルの糸を採取でき――いや、ダメだ。さすがにそんな暇はない!」


 キャピルの糸に手を伸ばしかけたが、周囲にはたくさんの魔物がいるのだ。この状況で無理をして囲まれたら面倒だ。


 素材の誘惑を振り切って、俺はそのまま走り抜ける。


 後方のキャピルは離れていく俺を見て、追いかける気も失せたのか、すごすごと元の場所に戻っていった。


 自分の糸が当たりそうにない敵は追いかけないみたいだな。


 キャピルから逃げ去ることができたので、改めて周囲の魔物を調査で感知。


 遠くに魔物のシルエットは出ているが、先ほどのように密集しているわけではないな。


 後方にいたゴブリンもキャピルと戦いたくはなかったのか、既に感知範囲から離脱していた。


 さすがに魔物が多くなると緊張感も増してくるな。調査で感知できなかったら一体どれほど魔物と戦うハメになっていただろうか。


 でも、かなり奥に進んだな。そろそろ、クルツの実が自生していてもおかしくはなさそうだ。


「調査!」


 今度は魔物の感知ではなく、素材を探すためにスキルを使う。


 視界の中に表示される素材の光。入口付近に比べて人の出入りが少ないからか、赤色の素材の割合が増えてきた気がする。


「確か日陰のところに自生しているんだよな」


 クルツの実の情報が載っているメモを思い出しながら、木々の重なる日陰を重点的に見て回る。


 すると、いくつかクルツの実に似通った赤い輪郭を宿した木の実を見つけた。


 紫、青といった同じような色をした木の実が並んでいる。


 微妙に形も違うし、葉っぱの形も違う。


 恐らく、クルツの実とは別のものが混じっているのだろう。


 クラウスに見せてもらった図鑑や説明では、こんな情報はなかった。


 俺は鑑定があるので、あっさりと見分けることができるだろうが、少しは眼力も鍛えておきたいな。


 俺は敢えて鑑定を使わずに木の実を観察してみる。


 この木の実はクルツの実に似ているが、色合いが紫というよりも青紫な気がする。


 こっちの木の実は形こそ図鑑で見たイラストに酷似しているが、葉っぱの形が違う。


 ということは、どちらでもない残りがクルツの実だろう。脳裏にある図鑑のイラストと見比べて見ると、違いは見受けられない。


【クルツの実】

 紫色をした食用の木の実。

 魔力を注ぐことで大きく膨らみ、美味しさ、栄養、薬効成分を飛躍的に高めることができる。蓄えられる魔力量はバラバラ。破裂する目安としては人の顔くらいのサイズ。

 日陰に生えており、キコ、ブルワリーが傍にあることも稀にあるので見間違いには注意。



 鑑定してみると、思った通りクルツの実であった。


 似たような木の実はキコ、ブルワリーというらしく稀に生えるらしい。今回はその稀に当たってしまったということか。


 素材を見極めるクイズみたいで楽しかったが、嬉しくない稀パターンだな。


「さて、これに魔力を込めて採取をすればいいんだな」


 クラウスの要望ではできるだけ魔力を込めた状態で採取してほしいとのことだった。


 どれだけの魔力を吸収することができるかは知らないが魔力を注いでみよう。


 クルツの実に触れて、魔力を流してみる。


「ふっ、さすがに俺も学習をしているんだ。冒険者プレートのように魔力を注ぎすぎて破裂をさせるような失態は――」


 と言った傍から、クルツの実が破裂した。


「…………」


 ゆっくりと魔力を注いでいたつもりだったが、瞬時に自分の顔ほどの大きさに膨れ上がって破裂した。


 自分の中ではかなり魔力を抑えたつもりだったのに、クルツの実からすればそうでもなかったよう。


 膨らんだクルツの実から果汁が爆散して、顔や服が果汁だらけだ。


 手についた果汁を舐めてみると、甘いブドウのような味がしてとても美味しい。


 だけど、破裂したのでは意味がないのだ。


「よし、気を取り直して次だ」


 破裂してしまったものは仕方がない。幸いにもクルツの実はたくさん生っているので、多少の失敗は痛くない。


 酸味がないのが救いだな。酸味があればまた目に大ダメージを食らっていたところだから。


「次はもっと魔力を抑えて……んなっ!?」


 さっきよりも魔力を抑えたというのにクルツの実が破裂した。


 またもや、俺の顔と体に果汁がかかる。


 冒険者プレートの時は、このくらいの魔力でも大丈夫だったのに……あれを基準に調節してはダメなのか?


 気を取り直して三つ目のクルツの実に挑戦。


 体内にある魔力をちょっとずつ流すと、クルツの実が急激に膨れ上がる。


「やばっ!」


 慌てて魔力の放出を止めると、クルツの実は自分の顔と同じくらいの大きさで止まる。


「おお、これくらいの魔力を注げば――かぺっ」


 ホッとしたのも束の間、クルツの実は既に限界だったらしく見事に破裂した。


 ……これは想像以上に難しい採取依頼なのかもしれない。


 いや、逆に考えると、これは俺にうってつけの試練だ。素材採取をしながら魔力コントロールの練習もできるのだ。一石二鳥じゃないか。


 どんなことでも前向きに考えれば、楽しくなるものだ。


 魔力はたくさんあるし服だって既に果汁塗れだ。恐れることは何もない。


 俺は魔力に意識を集中させて、クルツの実に次々と魔力を流していった。




 ◆




「大丈夫だ! お前ならいける! これくらいの魔力は大丈夫なはずだ! 頑張れ!」


 魔力を注がれてパンパンに膨れ上がったクルツの実を鼓舞する。


 今にも破裂しそうなクルツの実に手を添えながら、慎重に採取用のナイフを茎に入れる。


 この状態で少しでも衝撃を与えようものなら、クルツの実は破裂する。


 それがわかっているので、慎重にナイフを動かして細い茎を切っていく。


 そして、遂に茎から木の実が離れて、俺の手の平に収まった。


 大きな水風船のようなずっしりとした重みが加わる。


 おそるおそる眺めるとクルツの実が破裂するようなことはなかった。


「よっしゃー! 十個目のクルツの実をゲット!」


 苦労の末に採取できたことで、俺は喜びの声を上げてしまう。


 ようやくだ。十個採取するまでに一体いくつを破裂させてしまったことやら。


 魔力を注ぎすぎて破裂することは勿論、魔力を注いでいる間にくしゃみが出て破裂することや、果汁の匂いに釣られた動物や魔物が邪魔してきたこともあった。


「本当に遠い道のりだったな……」


 元はといえば、魔力コントロールをもっと練習していれば、ここまで苦労することはなかったな。でも、お陰で魔力コントロールのいい練習になった。


 今ならもうちょっと小規模に初級魔法を発動できるような気がする。


「おっとあまり感傷に浸るのもよくないな。クルツの実は採取すると魔力が抜けて劣化するというし」


 他の九個はすぐにマジックバッグに収納していたが、きちんと品質を確認しなければ。



【クルツの実 最高品質】

 高密度の魔力が込められたクルツの実。他のクルツの実とは比較にならない効果や甘みを宿している。



「ん? なんか最高品質とか出てる?」


 しかも、鑑定先生によるお言葉を見ると、普通のクルツの実とは効果が比較にならないような。


 品質が変わると、価値が変動することを俺は知っている。


「調査! ……お、おお、赤から橙にランクアップしてる」


 試しに調査を発動してみると、赤色だったクルツの実が橙色になっていた。


 つまり、これ一個でホワイトスネーク並に価値のあるものに変わってしまったことになる。


「……これは、クラウスが望んでいたクルツの実とは違うんじゃないか?」


 クラウスに納品をしに行って、これは別物だと言われれば納品はできないことになる。


「ということは、赤色の価値のクルツの実を採取する必要があって、やり直し?」


 もしものことを考えると、このまま帰るわけにはいかない。魔力のコントロールも向上したわけだし、さっきのように苦戦することはないはずだ。


 俺は最悪の事態に備えて、もう一度クルツの実に魔力を注いで採取することにした。


 採取したものを放置して魔力を抜けばいいと気付くのは、赤色価値のクルツの実を十個採り終えてからだった。


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