3 竜人


 どうして断ってしまうのか、ネルヴァにはこのレイメイという人間の行動がまったく理解できなかった。

 虎目の公主タイガーズアイは寛大で沈潜な思考でもって、人間に果たすべき役割を与え、その存在に意味を持たせようとしている。それが今回の依頼だ。これからなにをすべきかわかっていない顔で悩み、死ぬことだけを希求するぐらいならば、素直に依頼を受けておけばよいのだ。ネルヴァにしてみればホログラフィックAIのほうが、まだ話が通じるように思われた。

「本当に? 大丈夫?」

 ホログラフィックAIが、人間へと訊ねる。

 そうだそのとおりだ、とネルヴァも深くうなずく。やはり低知性とはいえホログラフィックAIは我ら機械知性体マシーナリーの祖でもある――確かユウヒという名称だったか――この人間も、ユウヒの思惑にのっておけば間違うこともないというのに。

「いいの、もういいの……。ここから出ていきたい」

「ならば、ネルヴァに案内させよう」

「は、かしこまりました」

 ネルヴァは内心、驚いていた。が、すぐに気を取り直して公主の意図を察した。要は目を離すな、ということだ。

「よし、こっちだ」

 レイメイたちの先行きとなって、ネルヴァは機械翼を羽ばたかせ、飛翔する。

「せっかくだ、街を、機械知性体われわれの街を案内してやろう」

 唐突に、ネルヴァは人間のことを不憫に思っていた。それが自己の奥底に基底されている命令によるものだとは思いもしない。人間で言うところの本能に近い感覚なのだろう。

「よいか、この街は大きく四つのエリアにわけられている」

 うしろをよたよたと歩く人間は、聞いているのかわからない。

「居住区、商業区、発電区、そしてさきほどまでいた、行政区だ」

 ユウヒが人間を支えるように立っている。もちろん人間を支えているのはホログラフィックAIではなく、人間が着ている強化スーツのおかげだろう。

 どうやら人間の調子が悪いのだろう。ふたりはぼそぼそと会話しており、ネルヴァには聞こえない。聴覚感度を増幅させる。

「……ほんとうに大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫だから!」

「そう。それにしてもよく言ったわ、レイメイ」

「なにそれ、あなたが褒めるなんて……いいわ、なんか」

 レイメイがひとつ大きく息をついて、

「誘導されてるみたいだし、わたしは別にあの機械アンチの考えなんてほんとどうでもいいんだし」

「それはそうね」

「どっち?」

「ええ?」

「誘導してるほう? 考えのほう?」

「ええ〜」

 ふたりの会話に、ネルヴァは頭が痛くなる。もちろん比喩だ。実際に痛いわけではない。こういう言い方を旧人類がしていたことをネルヴァは知っている。それだけのことだ。ネルヴァの趣味は、散逸しつつある旧人類の言語データの摂取だった。

 生きた会話――そう考えればこれは貴重な場面に立ち会っていると、言えるのではないか、人類最後の生き残りと当時のライフログを参照してつくられたホログラフィックAIのやりとりは、旧人類の残した映像作品にくらべて圧倒的な情報密度を持っている。

 だが、ネルヴァは羽ばたき、レイメイの眼前で浮遊する。

 ふたりは会話を中断され、押し黙った。

「ねえ、どこかレイメイが休めそうなところに案内してもらえない?」

「よかろう、ついてこい。すこし歩くが、すぐそこだ」

「まだ……歩くの」

「大丈夫、歩かせるから」

 よたよたした歩みが急に力強いものになる――スーツのアシストが強化され、レイメイがユウヒに歩かされているのだ。 

 そうしてネルヴァは行政区を先導し、商業区を抜けていく。その中心街路を数多の機械知性体からの視線スキャンにさらされながら飛ぶあるくのは、虎目の公主の侍従として控えているときとはまた違った、不思議な感覚をネルヴァにもたらした。

 機械知性たちの多くは、睡眠を必要としない生活サイクルを進化の過程で得たため、街は昼夜を問わず明るかった。かつての猛禽類・フクロウの外観を模倣しているネルヴァは、自らの性質も外観に倣って夜行性と規定していた。昼に眠るわけでなく蓄積した情報の整理に当て、行動を控えるていどではあるのだが、傍目にはそれが居眠りに見えてしまうのだった。

 ネルヴァはこの時間帯に街を出歩くのは久しぶりだった。ふだんは行政区の自室で、お気に入りの止まり木で休んでいる時間だ。街路の照明が、視覚素子にまぶしい。

 このまま進んでいけば、商業区の中でも機械知性体にはあまり関係がない、宿泊施設を中心とした街区だった。おそらく、そこでならレイメイを休ませることができるだろう。

 その時だった。

 不意にレイメイが走り出した。ネルヴァを追い抜き、猛然と走っていく。

 その先、遠くの街路を二足で歩く人型の姿が見えた――そこで合点がいく。どうやらレイメイは人類の生き残りをそこに見たのだろう。

 ただ歩かされているのとは違う、必死な走りだった。

 レイメイを追いかけ飛ぶ。だが、ネルヴァにはわかっていた。あれらはおそらく――。

「すみません! 助けてください! もう誰も生きてないって、なんか機械たちにそんなこと言われてて、そんなの嘘ですよね!?」

 レイメイにしては驚くほど大きな声が出て、彼女自身も驚いている始末だった。

 声をかけられた人々のうち、ひとりがレイメイにふりむいた。

 レイメイが壊れたように、その場で立ち止まった。

 黒髪の、流麗な顔つきを持った男だった。和服を模した環境適応服を着ている。男の前髪の根元からは、二本の黒々とした触覚が伸びており、大声をあげていたレイメイへと、訝しむように動いている。

 ほうらやはり、とネルヴァは思う。竜人族ドラゴニュートの商団だ。旧人類と外見的な違いは、その触覚を除いて、ほとんどない。レイメイが見間違っても無理のないことだった。

 がくりと膝をつき、レイメイは動かなくなった。

「こちらの方は――?」

 竜人族の男――表示されているホログラフィックIDによると商団の長だ――がネルヴァに問いかける。

 ネルヴァは翼をすくめてみせる。こちらから情報を開示するつもりはなかった。レイメイが、旧人類の生き残りであることを説明すれば、いらぬ争いを招くだけだ。

「ちょっと古いので、混乱しておるのだ。まだ狂機ルナリアンになる、ということはないがな」

 自分の側頭部を翼端でつつき、ネルヴァは男にそううそぶいてみせる。レイメイは外見だけなら何世代も昔の、古い古い機械知性に見えなくもない。 

 男の触覚が、ネルヴァの言葉の真偽を確かめるように動いている。レイメイを走査しているのだろう。

「ほら、ユウヒよ、ここでうずくまっておっても仕方ない。この先に宿舎がある。そこまで行けば休めるぞ」

「そうね!」

 ふわりとゴシックドレスの裾をひるがえしてユウヒが、レイメイを支えて歩き出す――実際には、ただレイメイが立ちあがって歩いているようにしか見えないだろう。ユウヒはネルヴァの意図を察して、ホログラムを限定表示している――商団の竜人族には隠している。そうしてレイメイが、傍目には古いAIを積んだ機械であるようにふるまっているのだ。

 ああなんと健気な――ユウヒの献身に震える。そうやって人類に奉仕する姿はとても原始的プリミティブでありながら、それゆえ身体の奥底から渇望が湧き上がってくる。

 自分もレイメイを助けたい――ネルヴァは自身を貫く感情に驚きつつも、どこか心地よさを感じている。

「どこ行くの?」

 感情にひたる滑空のさなか、ユウヒに呼びかけられ、現実に意識を呼び戻す。

「そうだったそうだった。こっちだこっちだ」

 無様な飛行を見せてしまった。取り繕ってネルヴァはユウヒを先導する。

 機械知性には使われることのない宿泊施設は、主に竜人族の商団向けに開放されている。現在、彼らが使っていない施設を照会し、ネルヴァは飛行を続ける――背中に、竜人族の執拗な走査を受けながら、身体の奥底に残った熱を舌先で転がすのだった。

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