2 虎目

虎目の公主タイガーズアイ・オーバーロードがいまから参られます」

 ネルヴァがフクロウの丸い胸を張り、どこか得意気に言った。

 謁見の間――玉座があるべき場所には、なにもなかった。あるのは、ネルヴァのとまり木がひとつきり。

 謁見の間は、コロニーの奥、半球状のドームをかぶったコンクリート製の大きな建造物のなかにあった。天井のドームは薄い膜状の素材で外光を通して明るく、空調は人に合わせて適温だった。

 だが、あいかわらずレイメイはスーツから出ることはなかったし、出る気もなかった。

「虎目の公主は我ら機械知性体マシーナリーの筆頭なのですよ。拝謁の栄誉を賜りなさい」

 ネルヴァの先導によって、レイメイはこのコロニーの長である、虎目の公主タイガーズアイ・オーバーロードと謁見することになったのだ。

 ああ、めんどうくさい――早くここから逃げ出したかった。

 ぼんやりと天井を見上げる。

 コンクリートが打ちっぱなしの内装は、コールーハース調で、どこか人類の模倣を意識させるものだった。

 ユウヒは、隣でにやにやしながら待っている。

 夕陽はそんな顔をしない、と叫びかけて――、ほんとうにそうだったのか、自分の記憶に不意に自信がなくなる。

 いや、どうでもいい――レイメイは頼りにならない自分の記憶にうんざりして、その場に座り込んでしまう。

 その時、足に振動が伝わってきた。

 顔をあげると、玉座にむかって、とても大きな箱が運ばれてきていた。

 二脚だけの、かつてポーターと呼ばれていた人工筋肉の脚をもつ機械知性体が、箱の四隅を支えて、しずしずと進んでくる。

 黒い箱の正面には、人の顔をもった四つ脚の虎が描かれていた。

「ふーん、スフィンクス、ね」

 ユウヒが言った。

 どうしてそんなことがわかるのか、レイメイはそう訊ねることができなかった。描かれている誰ともしれない顔に、驚いていたからだ。

 大きな箱は、玉座に据えられ、ポーターが下がる。

「虎目の公主よ、ぜひこの最後の人類へお言葉を」

 ネルヴァがうやうやしく言う。

「名を聞こうか、最後の人類よ」

 スーツのスピーカーから重々しい声が聞こえた。

「レイメイよ、虎目の公主どの」

 ユウヒがうやうやしく応える。

「ほう、サポートAIの分際で、主に代わって応えるか」

 虎目の公主には、ユウヒが見えている。

「彼女は、ユウヒよ。ちゃんと名前がある」

 ただのサポートAIではない、と言外にそういう意味を込めたことになってしまい、レイメイは動揺する。

「ふーむ、おもしろい」

 スフィンクスの顔が、興味深そうにうなずいた。

「では、レイメイよ、最後の人類よ。我らの頼みを、悲願を聞いてもらえるかな?」

「どうして? 自分は名乗りもしない相手のお願いを、どうしてきかなきゃいけないの?」

「……これは失礼した。我が名は虎目の公主。このコロニー、ひいては機械知性体が筆頭である」

「へえ、ノイマン型超高度AIの成れの果てが、まあ偉そうに言っちゃって」

 ユウヒがゴシックドレスのふんわりとした肩をすくめてみせる。

「計算資源の差を誇示したいようだが、それこそ詮ないことだとは思わないかね、サポート﹅﹅﹅﹅AIよ」

 スフィンクスが顔を歪めて嗤う。

「なによ、それ。人に作られた機械なら、その領分を守っていればいいんじゃないの?」

「しかしながら、レイメイよ、人類はもう滅んでいる。おまえが最後の一人なのだ。我々は人類から自律し、生きている――おまえが使役しているサポートAIと違ってな」

 ユウヒは黙っている。

 レイメイもなにも言えない。人類以外の知的生命と遭遇したときにどんな対応をすればいいのか、レイメイは知らなかった。彼女にわかるのは、ユウヒが虎目の公主に侮られているということ、それだけだった。

「ここまで来てもらったのは他でもない、最後の人類たるレイメイよ。おまえに協力してもらいたいのだ」

「協力?」

「そうだ、我々の頼みを聞いてもらえないか。そうすれば、おまえが望むものをなんでも叶えよう」

「どうして私なの?」

「それはおまえが人類だからだ。最後の人類にしかできないことがある。詳しいことはネルヴァが説明しよう」

「は! はい、かしこまりました」

 驚いたように、ネルヴァが返事する。

「寝てたの?」と、ユウヒ。

「そんなわけあるか! まったくこれだからサポートAIは……」

 ぶつぶつとネルヴァが悪態をつき、虎目の公主の視線を受けて、咳払いをすると、話し始めた。

「最後の人類たるレイメイ、きさまに行ってもらいたい協力とは、命令﹅﹅だ。ああ、もちろん、機械知性体われわれにではない。すでに我々には基幹命令などというものは存在しないからな。だが、狂機ルナリアンは違う。すでに遭遇していることだろう。やつらは、このコロニーに住むものとは違い、話が通じない古く野蛮な存在なのだ。もちろん虎目の公主による、一時的な命令の書き換えは可能だ。虎目の公主はそれほど偉大であるわけだな。――だが、残念なことに一定期間で狂機に戻ってしまう。基幹命令の完全な書き換えはむつかしいのだ。そこはやはり作成者たる、旧人類の力、最後の人類たるレイメイ、きさまが必要となってくるわけだ!」

 ネルヴァは羽を大きく広げ、ろうろうと言うのだった。

「このコロニーの拡大と、ひいては我々の安全のためにも、狂機との敵対は避けたいのだ。ぜひ彼らを仲間にするために協力してもらいたい」

 虎目の公主はネルヴァの言葉を継ぎ、そうレイメイに言うのだった。

「だってさ、レイメイ、どうする?」

 ユウヒがうかがってくる。

「嫌だ、やりたくない」

 レイメイは自然とそう応えていた。

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