4 落下
「――――」
浮遊感に、レイメイは声にならない悲鳴をあげる。
ユウヒが笑っている。心の底から楽しそうに。本当に、嫌になるほど笑い方までそっくりだ。
ああ、そうだ。前にも、こんなふうに笑いあった――あれは夕陽の部屋で
これが、走馬灯なのだろうか。
一瞬、そんな考えがよぎった。
いや、違う。こんなのは、ただの記憶のフラッシュバックだ。死ぬ直前に見る夢はもっと甘くてなつかしくてそのまま身を委ねたくなる、そういうのじゃないとだめだ。これは、そんな大層なものじゃない。
そうだ、こんなことじゃあ死ねない。慣れてしまえば
「でも、ほんといいアイデア!」
ユウヒが叫ぶ。返事はできない。しゃべると舌を噛みそうだ。
「塔のなかと違って
どこか楽しそうな声音。ユウヒは軌道エレベーターのことをただ「塔」と呼んでいた。それは夕陽も同じだった。彼女は彼女が使っていた
外壁から飛び降りれば早く死ねる。とレイメイは確かに言った。
それをユウヒが採用した。もちろん、採用したのは飛び降りるという部分だけで、移動距離の短縮と、塔の外に出ることでもうひとつメリットがあるという。むしろこちらの理由でユウヒは「いいアイデアだ」と実践したがっていた。
ゆっくりと落下が減速し始める。ただレイメイには目視で距離を測る方法がはるか足元にある地表しかないので、スーツのディスプレイに映る数字だけが頼りだった。
スーツの両肩からドラムワイアーが、ユウヒの調整によってゆっくりと速度を落として――最大まで伸び切ったところで、がくんとレイメイは外壁に着地する。
両手足のマグネットがレイメイの身体をしっかりと固定すると、ユウヒはアンカーヘッドを通電して切断すると、ワイアーを巻き上げ始める。
「じゃあちょっと休憩ね」
レイメイは荒い呼吸の中で、助かったことに安堵していることに気がついた。羞恥で顔が熱くなる。
一方ユウヒはそんな彼女に構うことなく生命維持を率先して行っていく。強化外骨格の背中がうすく開く。格納されているソーラー発電シートが、ふわふわと拡がり展開していく。ワイアーを巻き上げるまでのあいだに、充電しようというのだ。
移動中に充電もできる。ワイアーを使って「塔」を降りる案にユウヒが賛成したのは、このためだった。
ただ不安もあった。かつての地図情報では、保守点検用のハッチの場所は明記されていないのだ。スーツの酸素が尽きる前に塔のなかに戻るためのハッチが見つからなければ――呼吸困難からの意識の消失――甘美な死が待っている。
そのときだった。
「おお〜、こんなとこでなんしょんなあ?」
突然の音声通信に、レイメイは飛び跳ねようとして――両手足のマグネットで身動きがとれない。
ということはつまり、ユウヒは危険とは、
ゆっくりと外壁を黒色の六角形が這い寄ってくる。平面に近い躯体からは八本の多関節の脚が生えており、レイメイはその姿からスパイダーと呼んでいた。ただ外壁を泳ぐように飛び進む姿は、かつて海にいたというエイに近い。
「おお〜い、ほんまに大丈夫なんかあ?」
少し待ってもユウヒのアドバイスは、なかった。
レイメイの判断に任せられている。
こういうときの補助AIじゃないの――レイメイは胸中で毒づく。
「いや、ええっと、そう! ちょっと充電が切れ《動けなくな》ちゃって」
「あーそうなんかあ。じゃあ、そんな非効率なところで充電せんとウチに来りゃあええがあ」
スパイダーはぐるぐるとレイメイのまわりを飛び続けている。
おそらくこんな旧式な二足歩行機械が珍しいのだろう。なにせ二百年前のデザインだ。
ここ数日で遭遇した狂機を含めた機械たちの外観は、レイメイに不思議と生物的な印象を与えるものが多かった。その意味で言えば、レイメイのスーツは、きっとヒトを模したものに見えるだろう。
それに、きっと大丈夫だ。
ユウヒが用意したこの
レイメイは一度、深呼吸する。
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えてお邪魔しようかと」
「おーう、ええでええで、困ったときはお互い様よう」
そう言うとスパイダーは回遊をやめ、頭部から細長い触覚のような端子をさしだしてくる。
レイメイはユウヒにうながされるまま手を伸ばし、――つながる。
相互認証による情報交換が行われ、晴れてレイメイは、このスパイダー・ユーズリィが暮らす工業コロニーへの訪問権を獲得した。
「ほんじゃあ、レイメイさん、行きましょか」
レイメイはうなずくと、すいすいと泳ぎゆくユーズリィのあとを、ついていくのだった。
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