3 孤身

 鐘の音アラートが聞こえる。

 目が覚めて、レイメイは思った。

 そっか、まだ死ねてないんだ。

 ユウヒが指示したの行き先は、外壁の保守点検用ハッチだった。その薄暗いエアロック内でレイメイは気絶するように眠っていた。

 変な格好で寝そべっていたせいか、腰が痛い。いや、そもそも全身が痛いままだった。

 でもきっとユウヒは鎮痛剤を使うのを嫌がるだろう。

 苦痛を伝えても、ユウヒは安易な使用を拒んだ。耐性ができてしまうことを懸念しているのだろうか。

 別に長生きしたいわけでもないのだ。いまこのときの苦痛ぐらい減らしてほしかった。

「まーたそんな暗い顔して」

 ユウヒが言った。

「あたしのおかげで助かったんだから感謝してもいいんだよ?」

「そうね、ありがと」

 身体を起こして、ぐったりと座り込む。

 ユウヒがびっくりしたように口を開けて、それからすごくいい笑顔で言った。

「レイメイが! お礼を!」

「茶化すのはやめて」

「ふふ〜ん」

「今日はどうするの?」

 レイメイは小さくつぶやく。実際は動きたくなかった。このまま座っていたかった。でもきっとそれはユウヒが許さない。目的のあるホログラムAIは、人に厳しいのだ。

「元の道に戻る?」

「いいね、いいね〜、やる気じゃん!」

 なんだかバカにされている気分になる。

「ねえそれで、今日の目標、どうするの?」

 一日の目標――ユウヒが二百年前の地図データをもとに経路を算出するために必要な、朝の日課。レイメイの体力の回復具合を考慮した行動計画、その立案だ。

「うーん、きょうはちょっとね。やっておきたいことがあるの」

 ユウヒはそう言うと、入ってきた方とは反対のハッチを指さす。

「外?」

「そう」

「これ、強化外骨格ExoSkeletonって、大丈夫なの?」

「大丈夫よ、環境適応服EnvironmentSuitsでもあるんだから」

 えへん、とユウヒがゴシックドレスの胸をはる。

「わかった。じゃあそれで」

 そうしてレイメイは気怠げに立ちあがって、重い、重い一歩目を踏み出す。

 この階層は確か〇・八Gだったはずだが、レイメイの快復しきっていない足腰では辛いことに変わりはなかった。

 ユウヒの指示に従って、気圧ハッチの操作パネルに電力が供給されているかを確認する。

 うん、まだ生きている。

 気圧ハッチに身体からぶつかるように取りついて、ハンドルを回す。スーツのアシストで難なく開く。

 中に入ってハッチを閉めて、操作パネルで減圧を開始する。

 耳に痛いアラート音が鳴って、空気がなくなり、視界がぎらりと輝く。

 外に出るための、ハッチを開ける。音がなくなってレイメイに聞こえるのは自分の息遣いだけだ。

 なぜかユウヒはこんなとき何も言ってくれない――そんなふうに思ってしまう。そう思うのなら自分から声をかければいいのに、と気がついてもいる。

 私達が子供の頃は、こんな壁なんか簡単に飛び越えられたのに。なんだか、つかえてとれないトゲのようだ。

 ぐいと身体を押し出して、外に出た。

 暗い、真っ暗だ――ほとんど何も見えない。

 レイメイが現れて、こつこつとフェイスシールドを叩く。

 すると遮光膜が解けて――目がくらんで手でかばう。

 指のすきまから、視界いっぱいに青い星が輝いている。

 目が痛い。涙が出る。

 背後で重い音が響いて、ハッチが閉まった。

 ユウヒに手を引かれて、ぐるりと足元の位置が変わる。スーツの足裏が軌道エレベーターの外壁に吸着して地球と、地表と平行に立っている。

 ぐらり、と落ちていきそうな感覚に襲われて、レイメイは手をついて、震えだす。

 泣きながら笑っていた。

 地球は青く透き通っていて、とてもきれいだった。明るさに目がくらんで、涙が止まらない。

 おかしいな、たぶん何度も見ていたはずなのに――レイメイは思い出せなかった。二百年前のことだ。

 そうか、あの頃は地上のことなんて気にしてなかったんだ。

 ああ、怖い、いまはひとりだ。目も痛い。身体だって痛い。もう嫌だ、死んでしまいたい。

 ぐう、と喉が鳴る。泣きすぎて苦しい。苦しいのは誰のせいだ。ユウヒだ。ユウヒのせいだ。彼女が会いに行こうなんて言わなければ――。

 とんとん、と背中を叩かれる。あやすようにユウヒがそばにいる。でも彼女はホログラムAIだ。人ではない。

 だから、レイメイはほんとうの夕陽に会いに行くのだ。

 そう、自分は人類最後の生き残りじゃない、そう思っているし、そう思っていたかった。

 でも――こんなにきれいな地球で、ああそうだ、遠くに見える影の中に――夜に光がない。都市の、街の、人の営みの光が見えなかった。

 怖かった。レイメイはただひとり、ここにいる。身体の底から震えが来る。

 するとゆっくりと足元から温かくなっていく。スーツがレイメイの変調を感じ取って、体温を一定に保つためにヒーターが動き出す。

 なぜ自分だけがこんな目にあうのか。レイメイはいまになってようやく自分の置かれた状況が染み入るようにわかってきた。

 ああ、でも、地球は美しい。レイメイの気持ちとは関係なく、ただそこにあって美しかった。地球が美しいことを、レイメイは知った。

「大丈夫だよ、ゆっくり行こ」

 ユウヒのやさしく甘い言葉と、スーツの温かさで、徐々にレイメイは落ち着いてきた。

「ごめんね、レイメイ。なんかびっくりさせちゃったよね」

「でも、これを見せたかったんでしょ」

 きっとユウヒは倦んでいたレイメイに、地球を見せて元気づけたかったのだろう。

「てゆーか、外に出て充電したかったのよね。坑道に入ってから長かったでしょ、何日経ったっけ……。だから正直に言えばこんなに驚くとは思ってなくて」

 ほんとうにごめん、とユウヒが謝る。

 レイメイは二の句が続けられない。結局自分の勘違い、ひとりで勝手にショックを受けていただけなのだ。

 なんだか拍子抜けして、急に腹が立ってきた。

 なにもかもユウヒのせいだ。

 レイメイは言う。

「ここから飛び降りたら、かんたんに死ねるよね」

「それは――」

 どうだ、とレイメイは思った。言ってやったぞ。ただの強がりだじゃない、やってやる――。

「いいアイデアね」

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