2 約束

 絶対また会おうね、と言って夕陽とは別れた。

 絶対を信じられる、言葉の意味などわからない幼さゆえの約束だった。

 それから少しのあいだはメールや映話などでやり取りができたのだけれど、いよいよ情報規制が強くなって、ついに別星系への播種船をめぐる戦争が始まると、夕陽と連絡が取れなくなってしまった。

 私は播種船に乗れなかった。

 だから冷凍睡眠コールドスリープに入ることになった。両親は私の境遇を嘆いたが、どちらにしろ不確かな未来に希望を託すことに変わりはないのだと、私は気がついていた。

 脳すら凍った眠りのあいだに、夢を見た。

 幸福な夢だった。

 彼女は花のような笑顔で私を待っている。

 私はこぼれてしまわないように大きなロウソクに火を灯して、そっと彼女に近づいていく。

 目があってお互いに微笑む。

 でも――、私は知っている。

 これは葬列の灯り。死者を送り出す火。

 その最後列に、私は並んでいる。

 遠くから鐘の音が聞こえる。


 アラートの音は大きく響いて、猛烈な頭痛と吐き気に襲われ、レイメイは目を覚ます。

 腕をついて身体を起こそうとして――水にすべって身体が動かせない。いやそもそも全然力が入らない。目もよく見えないのに胃のむかつきだけが、ずきずきと生きていることを教えてくれる。

 解凍されたのだ。

「おはようございます」

 機械音声が呼びかけてくる。

 反響に頭がわれそうだ。いっそこのまま殺してほしい――。

「ゆっくりで大丈夫です。ゆっくりで」

 レイメイは冷凍睡眠のタンクのなかで、全身の痛みに耐えている。この痛みがずっと続くぐらいだったら、死んでしまいたい――。

 身体を這い上がる感覚に身震いする。

 暗色のアンダースキンがみるみるうちに身体を覆っていった。ほのかに暖かく感じる。体温を適正に保ち、代謝を促進するナノマシン製の皮膚だ。アンダースキンは強化外骨格の下地となる。肉体との摩擦を軽減し、衝撃を緩和するのだ。

 冷凍睡眠のタンクがゆっくりと斜めに持ち上がり、水が流れ落ちる。

 同時に、かつての理想体重よりもずっと軽くなってしまった自重に従って身体が滑り落ち、その足元には強化外骨格スーツが口を開けて待っている。解凍されたレイメイの、リハビリと保護を目的とした強化外骨格ExoSkeletonであり、環境適応服EnvironmentSuitsだ。

 するりと飲み込まれる。

 ちょうど首元の高さまですっぽりと覆われ、頭上からおりてきたヘルメットが接合部で癒着する。

 視界が暗くなって、でも実際にはほとんど見えてないから、ただ暗くなった印象しかない。

 くぐもった音が聞こえてヘルメットの中にガスが充満し、――痛みが少し和らいだ。

 すぐにまどろむ。

 二度目の昏睡――しかし今回はすぐに覚醒する。

 短い眠り。夢は見なかった。見たとしても覚えていなかった。

「おはようございます。ご気分はいかがですか?」

 まだ頭痛は治まっていなかった。

「だれか、いないの?」

 レイメイの問いに、機械音声が答える。

「残念ながらお父様とお母様は、お亡くなりになっております。記録によりますと、冷凍睡眠に入られてから五十年ほどで。機器の故障で」

 レイメイは機械音声が告げる事実を無感動に受け止めた。反応できるほど回復していなかった、というのが正確だった。

「どれくらい、寝てたの、私?」

「ざっと二百年ほどでございます」

 笑おうとして――でも失敗した。

 乾いた咳がいくつか出て、止まらなくなり、スーツの機能か鎮静剤が投与され、どうにか治まる。

 ゆるやかな倦怠が身体を包む。懐かしさすら感じる、身体の怠さ。

 退屈さが極まった、あの日常から、逃げ出すことはできた。

 レイメイは上半身を起こし、ベッドの下に足をおろし、ふちに手を当て、立ち上がる。

 身体は重い。だけど、強化外骨格の隙間から浮きあがった鎖骨――スーツに支えられ、どうにか立っている。とてもではないが歩けそうになかった。

 ぼんやりと、寝る前に受けた訓練を思い出そうとする。無事に解凍された場合、どう行動すればいいのかを。

 しかし、すっかり抜け落ちていた。父と母の部屋がどこだったかすら、レイメイは思い出せなかった。

 そこで、ようやく部屋を見回すことができた。

 薄暗く四角い部屋。かつては清潔な病室であり、シェルターであった場所。リソースがレイメイの生命維持に投入され続けた結果、がらくたキップルばかりが積み上がりそのままになっている。

 でも、逃げ出したかったのは、こんな場所だったのだろうか――。

 不意に、なにもかもが面倒くさくなった。

 その場に座り込む。

「死にたい」

 つぶやきを受けて、ほんの数秒、バイザーにノイズが走り――、レイメイは背中を叩かれた。

 どうしてか、泣きそうになる。めちゃくちゃ懐かしい気持ちがあふれてしまう、そんな叩き方だった。

 知っている。レイメイはそう思った。

 急に意識がはっきりした。

 ふり向くと、視界のはしをゴシックドレスが走り抜けていく。

 夕陽がいた。

 黒白のコントラストも鮮やかなゴシックドレス、背中に流れる濡鴉色の髪、くびれた腰に手を当て、困ったように笑っている。

(二百年と)少し前に連絡がつかなくなってしまった、友だちの夕陽――。

「もう、そんな顔して、まだまだこれからじゃない」

 なつかしい声が、わけのわからないことを言っている。夕陽がなにを言っているのかわからない。

「会いに、行く?」

 では、ここにいるのは誰なのか。

「そう。あたしはユウヒ。レイメイ、あなたの着ている強化外骨格のAI。あたしの使命は、あなたを生かすこと。よろしくね」

「別にそんなこと、頼んでない」

 目の前にさしだされた手を、レイメイははたく。触った感覚がある――さっき背中を叩かれたときもそうだ。アンダースキンがホログラムの動きに合わせて触覚を生じさせている。

「約束、もう忘れちゃった?」

 ずるい。夕陽の顔でそんなこと言われたら――。

 忘れることなんてなかった。

 戦争が終わったらもう一度会おう、そう約束した。

 レイメイにとっては、ついこのあいだのことだ。

 でも実際は、二百年が経っている。

 そうだ、どうして誰もこの部屋に入ってこないのだ。

「ねえ、世界はどうなってるの? 本当にだれもいないの?」

 ユウヒの顔にノイズが走って、言葉を探す表情がなんだか泣きそうに見えた。

「ごめんなさい。いま調べてるけど、この部屋は完全に独立した造りになってるから――、そうね、いまのところ、どこにも有意な人類の痕跡は認められない」

 ユウヒはレイメイから目をそらさなかった。

「この階層フロアだと、レイメイ、あなたが最後の生き残りだと思う」

 父も母も死に、自分はこんな強化外骨格スーツに押し込められてまともに歩くこともできない。世界は終わっていて、目の前には夕陽のまがいもの。

「だからね、レイメイ。あたしに会いに行こう。きっと待ってるよ」

 レイメイはユウヒをにらむ。

 ユウヒは――このホログラムAIは死にたがっている自分を生かすことを目的としている。それが強化外骨格に搭載されているAIの存在意義なのだ。

 だから、夕陽を選んだのだ。地表に残してきた、かつて仲のよかった夕陽――AIはレイメイと夕陽のメールや映話のやり取り、ライフログから「ユウヒ」のホログラムアバターを作成マイニングした。なによりも誰よりも、彼女が効果的だと知っているのだ。なりふり構わず夕陽の似姿アバターで、レイメイを生かそう、そう考えたのだ。

 怒っていいのだと思う。ふだんのレイメイだったら迷わず噛みついていた。

 でも、胸が痛い。この胸の痛みは、本物だ。

 こころも身体も弱ったいまの自分には、抗えそうにない。

「じゃあ助けてくれる、ユウヒ?」

 夕陽が絶対しない、太陽のような笑顔だった。

「もちろんだよ、レイメイ。よろしくね」

 こうして彼女たちはもう一度、出会った。レイメイとユウヒの旅はここから始まった。

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