【二〇一九年八月号】

【二○一九年八月号】


海栗の殻びりびり剝す初デート


 このあたりの時期に俺は久しぶりに恋人を作った。無職時代に暇で暇で仕方ないから夜な夜なほっつき歩いていたときに一緒に遊び回っていた女の子だ。このご時世、ストレートに書くといろいろとうるさい人がつっかかってきそうだからラーメン二郎に例えて書くと、味はそこそこでも接客が小うるさいラーメン二郎目黒店(これはこれでジロリアンがつっかかってきそうな気もするが、俺自身がジロリアンなので大目に見てほしい)のような女の子だった。そんな子だったから付き合い始めの頃こそ楽しかったものの、日が経つにつれてなぜこの子と一緒にいないといけないのかと思うようになり始めた。しまいにはデート中に彼女の会話を受け流して頭のなかでひたすら俳句を作る始末。初デートで海栗の殻をびりびり剝しまくっていた俺は人としてどうかと思うが、振り返ってみるとどことなく将来のことを暗示していたかのように思えてくる。今度恋人を作るときには味は少し劣っていても接客がパーフェクトなラーメン二郎小滝橋店のような人がいい。


夏帽のぶつかりさうな写真展


 両親が美術に興味があり、母親にいたっては美術館で働いている関係でよく展覧会に連れて行ってもらっていた。そのたびに展覧会に来る人の中にどうしてあそこまで気取った人たちがいるのかと訝しがっていたものだ。俺みたいにジャージ姿で現れる人はまずいない。屋内だというのに帽子をかぶっているのも正直意味がわからない。口には絶対に出さないけども、お前の帽子のせいでこっちは展示品が見えないじゃないかと文句を言いたくなってくる。

 そんな内容の句だが、「夏帽」が微妙なところだ。「春帽」ならキャペリンのようなつばの広い帽子が想起できる。一方、「夏帽」だと単に暑さ対策で被っているような普通の帽子が見えてくる。つばの広い帽子が想起できるかは微妙なところだ。つばの広くない普通の帽子だと「ぶつかりさう」だということはないだろう。人が密集でもしていればありうる話だが、国立美術館でやってるような大っぴらな美術展ではなく、あくまでも「写真展」なので人もあまりいなさそうだ。はたして本当にこのままでいいのかは再考の余地に満ちている。


登山地図眺むカノンを流しつつ


 無職になったとき、時間は膨大にあったので月に十五回くらいのペースでいろいろな句会に参加していると「いつき組」の神山刻さんに出会った。その後、いろいろとあって毎月一回「真芝句会」という句会を一緒に主催することになった。この句会では即吟を何度か行い、そのうちの一回は神山さんが持ってくる「変な季語」で即吟が行われる。そのときの題が「登山地図」だった。この回の参加者には結社「南風」の金城果音さんがいたから、挨拶句としてカノンを取り入れた。自分で言うと気持ち悪いが、挨拶句としては成功しているようには思える。だが、ここに「リアル」があるかというとないように思う。こんなに優雅に登山地図を眺めるアルピニストがいるだろうか。浮浪者みたいな人生を生きている俺ならもっと身近な歌を書けるはずなのに。



※この号はほかに三句掲載がありましたが、ウェブ掲載にあたり、カットさせていただきました。

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