【二〇一九年六月号】

【二○一九年六月号】


石鹼玉破局一周年記念


 「早稲田暴力会」の原稿なんだからさっきの号の分みたいに真面目に書いていてもしょうがない。ストロングゼロのロング缶を飲み干したらだいぶ調子が良くなってきた。プリン体も入ってないから痛風対策にもなって最良の酒だ。

と、急に酒の話をし始めて脱線していると思った人がいるかもしれないが、酒の話もちょっとは関係してくる。別れた女はだいぶ酒に溺れている奴だったのだ。何度も救急搬送され、持病のために日ごろから睡眠薬を服用していたので、オーバードースしはしないかとひやひやしていた。それでも、結婚を考えるくらいに本気で好きだった。そんな彼女とはこの号が出るあたりで別れて一年を迎えた。別れた今でも未練はある。石鹼玉にも微量ながらアルコールが入っている(石鹼玉にアルコールがあるかは実際のところ知らない。この本の編集作業の時に、実際には石鹼玉にアルコールはない、などと赤字でバツを書かれていても俺の世界では石鹼玉にアルコールが含まれていることになっているのだから絶対に入っているはずだ)ので、ふかしながら別れた彼女のことをいっそう思い出してしまった。


揚雲雀第二志望に不合格


 地方の進学校によくあるように、俺が通っていた岩手の高校は国立大学に行くことを一番に考えていた。いわゆるMARCHに行くよりも地元の岩手大学に行く方が上。そう考えている教師もいた。俺はその国立大学信仰に薄気味悪さを感じていて、大学は私立を第一志望にし、国立大学は滑り止めに使うという天狗すぎる行動をとっていた。だが、結局天狗の鼻はへし折られ、国立大学には惨敗。第一志望の私大には受かったものの、第二志望の国立大に落ちるとは思ってもいないことだった。

この句の背景には一応こういったドラマがある。このドラマを説明してしまえばそれでこの句の内容はおしまいになってしまう。説明さえしなければ第二志望に落ちたことからいろいろと想像が膨らむ気はする。俺のくだらない話はすべて忘れて純粋に俳句だけを見てほしい。


春立つや螺子に張り付く虫の死骸


 本当にそんなことあるか? 死骸なんだろ? なんで死んでるのに張り付くんだよ。張り付く行為は意志がないと行えないはずだろうが。ということはこの俳句はメタファーの句だろうか。実際の所死んでいるのは虫ではなくて俺。そういう解釈が成り立ちはする。だが、メタファーの俳句とすると「春立つ」がいただけない。人間の習性として、春になるとみんな憂鬱になってくる。それに抗うために仕方なく×××をドラッグストアで購入して、部屋には空き瓶が積み重なっていく。そんなテンションでの日々は文字通り「死骸」でしかない。春の光景をただ描写しているにすぎなくなってくる。それが俳句らしいと言えば俳句らしいとも言えるが、通念で俺は嫌いだ。


淡雪や守つてゐれば勝つ試合


 またかよ。戦えよ。何のために冬夕焼を見ながらプロテインを飲んでたんだお前は。背泳ぎの俳句のときもだけど、この俳句を作ってる人間は闘争が好きなのか嫌いなのかはっきりしろ。勝ってる試合なら相手が立ち直れないくらいぼろぼろにしてしまえ。


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