【二〇一八年十月号】

【二○一八年十月号】


夏の富士急子供の喧嘩を囃しゐる


 救いようのない小人物の句だ。実際のところ、富士急は一回しか行ったことがなく(しかも六年前だ)、その際はこのようなことはしなかった。だから完全に想像で作った句である。想像で作ったのに子供の喧嘩を応援なんかしているのだから、小物っぽさが前面に出ている。かといって、喧嘩をなだめたりしたら「作者は良い人なんですね」で終わってしまう。良い人にみられるくらいなら悪い人に思われたほうがよっぽどましだ。そんな気持ちで作っていた。それでもやはり子供の喧嘩を応援している人間性が情けない。子供の喧嘩でなければ応援しないで逃げているはずだ。自分より弱いものだからこそ応援するとは小物でしかない。


泣く笑ふ叫ぶ顔あり夏祭


 現実が充実していない奴ほど人の顔をよく見ている。それで「人間観察が趣味なんです~」だのとのたまうから腹が立ってくる。俺のことである。泣いているのは子供で、笑っているのはカップル。そして叫んでいるのは神輿を担ぐ人間だ。俺はその輪に入れない。だからただただ俯瞰しているしかない。どうせなら夏祭の輪に入って句を詠めばいいのにその勇気もないからこんな景を読んでいる。仕方のない人間である。


背泳ぎす今全方位無防備なり


 過敏な人間の句である。なにかしら不安がある奴ほど誰かに襲われるのではないかなどとありもしない妄想を繰り広げてしまう。実際のところ、確かに背泳ぎで泳いでいるときには体の下や前進方向は無防備かもしれない。だが、首を少し持ち上げてみれば泳いできた部分、体では足先の部分は見える。それならば何か危険なものが接近してきたら泳ぎをやめて戦えばいい。こんなことはありうるはずがないのだ。戦え!


夏見舞課長と社長の字が同じ


 当時働いていた会社の従業員は俺を入れて約十五人。そんな小さい会社だから社長はいても当然課長なんていない。そもそも夏見舞なんて俺のところには届いていない。これも富士急と同じく想像で作った句だ。想像だからこんな笑いに転じた句しか作れていないのだ。そもそも、小さい会社であればこういう景もありうるかもしれないが、実際に小さい会社で働いていたのにこんなことが起きなかった。こんなのありそうだなあなどという想像は現実には勝てるはずがないのだから、自分の頭のなかをアップグレードしていくしかない。


夏期休暇転職活動再開す


 その会社はいわゆる「ブラック企業」に分類されるのかもしれない。社長がいつも全社員の目の前で誰か一人の社員を怒っていて、怒りがピークに達すると人格否定をし始める(俺は人を思いやる人間性がないと言われた)。残業代もほぼでない。当然、給料も安く、住宅手当はおろか交通費さえでない。なんで入社したのかも意味がわからない。当然転職を決意した。仕事は忙しかったとはいえ、さすがに夏期休暇前にも転職活動は行っていた。それに、実際のところは夏期休暇の期間はずっと地元に帰省していて転職活動なんかしていない。夏期休暇中に転職活動でもしていれば俳句のなかに切羽詰まった感じが出るだろうなどと考えて作った句だ。実にこざかしくて自分が嫌になってくる。そんなことを考える余裕があるならなんでブラック企業なんかに入ってしまったのだ。

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