ファンタジーな水曜日の朝

 ――めんどくさい。

 目が覚めて、最初の思考はすぐ吹き飛んだ。

 ――何かがおかしい。

 反射的にそう考えたが、しかし何がおかしいのかがよくわからなかった。

 体を起こすと、自分が藁のベッドで眠っていたことに気が付いた。


「なんで藁……?」


 そこまで口に出して、なぜ藁のベッドでおかしいのか、また首をかしげる。

 僕のような低級冒険者の定宿は大抵こういう藁のベッドだ。値段が安いんだから当然だ。貴族らが泊まるよう高級宿ならシルクのシーツに包まれたベッドもあろうが、しかし、僕は生まれてこの方そんな良いベッドで寝たことはない。

 なんで僕はそれをおかしいなどと思ったのだろうか? 寝ぼけていたのだろうか?

 頭を捻りながら、ベッドから出る。冬の夜に熱を奪われて部屋は寒く、僕は身震いをした。

 部屋は真っ暗だった。

 ――朝だというのになぜ暗いのだろう?

 そう考えながら、僕は部屋に据え付けられた小さな木戸を押し開けた。すると窓からようやく朝の光と冬の寒さが差し込んだ。

 今日は一体どうしたのだろう?

 朝、部屋が暗いのは当たり前だろう。普通、夜は木戸を閉めるのだから、朝も暗くて当然だ。なんといってもガラスがないのだ。

 いや、ガラスって? 貴族の持つ芸術品とかのガラスがなぜ今関係ある?

 今日は変だ。

 体がおかしいのだろうか? もう一度寝直した方が良いだろうか?

 開けた木戸の外から、教会の朝の鐘の音が聞こえてきた。いつもより少し早く目が覚めたらしかった。

 体のあちこちを動かしてみるが、しかし違和感はない。ただ寝ぼけているだけかと思い直して、出かけることにした。

 

 鎧を着こんで、剣を腰に佩く。大きなバックパックを背負うと、朝の準備は整った。顔を洗うのを忘れたが、どうせまた汚れるのだ、必要あるまい。

 それよりも早くギルドに行くことが重要だ。

 おいしい依頼は早くいかなければ取られてしまう。ただでさえ稼げる金が少ない低級冒険者には死活問題だ。

 朝食はもちろんバナナだ。

 昨日のうちに市場で買っておいたバナナがある。

 朝食を食べるという習慣がなかった僕が、こうして毎朝バナナを食べるようになったのは、バナナを食べると魔法が増強されるということに気が付いたからだ。

 なぜバナナを食べると魔法が増強されるかは分からない。今まで冒険者たちのあいだで、バナナを食べると魔法が強まるなどという話は聞いたことがなかった。

 しかし、ある時、不眠だから眠りの魔法をかけて欲しいという変な依頼を受けた。依頼主は過度の不眠症だった。そのときにお茶菓子に出されたバナナを頬張っていたら、「早く眠りの魔法をかけてくれ」と懇願されてしまった。仕方なしにバナナを口に入れたまま、魔法を使ったところ、いつもよりも威力が強かった。眠らせた依頼人は一週間起きなかった。

 いつもと同じ魔法なのになぜだろうと原因を考えてみると、それはバナナしか思い浮かばなかった。それから何度が検証してみると、バナナを食べると魔法の威力や精密さが上がることがわかったのだ。しかも、一度、増強された魔法はバナナを食べ終えてからも、元に戻ることはない。

 それに気が付いて以来、僕は毎朝バナナを食べることにした。

 とても残念なことに低級冒険者の僕は、眠りの魔法以外に魔法を使うことが出来ない。だというのに、魔法を強めて何の意味があると言われれば、その通りなのだが、朝食を少しでもちゃんと食べることは、健康のために決して悪いことじゃないだろう。それにバナナは美味しいから、朝にバナナを食べるのは続けている。

 それに、いつの日かきっと別な魔法を――火魔法や雷魔法のような格好良い魔法だ――それを覚えてやろうと考えている。そんな日が来るかは知らないが。


 バナナを頬張るうちに、ふとコーヒーが欲しくなった。

 どうしてコーヒーなんて欲しいのだ?

 コーヒーというものの存在は、冒険者の先輩に聞いたことがあった。黒くて苦くてとても飲めたものではないらしい。僕らのような貧乏冒険者には縁がないが、貴族のあいだで好んで飲まれる飲み物らしい。

 初めてコーヒーの話を聞いたとき、どうしてそんな苦い液体を貴族は飲むのだろうと不思議に思ったことを覚えている。

 そんなコーヒーをなんで僕は今飲みたくなったのだろう?

 そうだ、テレビも見なきゃ。いや、この世界はテレビはないんだ。……あれ? テレビってなんだよ!?

 本当に一体何なんだ。

 なんでこんな変な考えばっかり頭をよぎる?

 やはり今日は宿でゆっくり寝ていた方がいいんじゃないか? いや、だめだ。僕のような低級冒険者は毎日稼がないと生きていけない。その日暮らし程度の金しか稼げないのだから仕方がない。

 僕が一日に稼げるのはせいぜい銀貨5枚。それも調子のいい日でだ。

 眠りの魔法程度しか使えず、かといって剣術に秀でているわけでもない僕ができる依頼はゴブリンの討伐程度。ゴブリンは1匹銅貨5枚だ。日に十体倒せれば良い方だろう。やつらは警戒心が強くて、簡単には見つからない。決して楽な仕事ではない。

 だが、僕のような低級冒険者が倒せるのはせいぜいゴブリン程度だ。それ以上の魔物はとても無理だ。かといってもっと安全な依頼だと、町の人たちの手伝いのようなものや薬草採取。どれも安全だが実入りが少ないし、ギルドの実績値もあまり積めない。

 早くギルドに行って、ゴブリン討伐依頼を確保しなければ。

 ふと、木戸の外を見ると宿の前の道を、一人の女冒険者が走っていくのが目に入った。

 確か彼女はこの同じ宿に泊まる冒険者だったはずだ。鎧を着こみ、大きな剣を背中に背負った姿に見覚えがある。あんな大きな剣を持った女冒険者はそうはいない。

 彼女もゴブリン討伐依頼を狙っているのだろうか?

 いや、あんなデカい剣を持っているぐらいなのだ。まさか僕より弱いということはあるまい。きっとパーティーメンバーとの待ち合わせにでも遅れそうなのだろう。

 あれ? 僕はどうして彼女が気になったのだろう? 美人だったからだろうか?

 いや、顔は良く見えなかった。宿の中で見かけたときも、さほどよく見ていないから、どんな顔立ちなのかおぼろげにしか知らない。だというのになぜ?

 ともかく彼女が行くなら、僕も急がなくては。

 なぜか知らないがそう思った。


「ともかく行こう」


 得体のしれない自分の思考を振り払うため、声を出してそう言った。

 そうして僕は木戸を閉めて戸締りをし、部屋のドアを開けて、一歩目を踏み出した。その瞬間だった。


 ――クソ! そうだ! 思い出した! 僕は繰り返しているんだ!


 すべてを思い出した。

 僕はループしている。毎日水曜日の朝を。同じ朝をループしている。

 同じ水曜日。けれども、違う世界の水曜日。僕はそれを繰り返している。

 そして、繰り返していることを忘れて、僕はただ同じ朝を過ごしてしまう。家から一歩踏み出した瞬間に僕はまた同じ“今朝”に戻ってしまう。

 ――どうにかしなくてはいけない!

 そう思ったが、後の祭りだった。

 僕が玄関から出た瞬間にループは巻き戻る。そして僕はもう一歩目を踏み出してしまった。


 また“今日”という日が始まってしまった。

 どうせまた無意味な“今日”が始まってしまった。

 そうして僕はまたしても次の朝へと足を踏み出した。

 

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