第6話  一触即発

 思わぬ遭遇であった。

 不測の事態に、九条は頭の中を整理する事に必死であった。

 ひょっとしたら人違い? などと淡い期待が一瞬九条の頭をよぎるが、そんな下らない願望を抱いた自分に嫌悪した。


 目の前にいるを見てよくそんな事を考えたものだと。


 遠目から見ているだけでも伝わってくる威圧感。決して資料などでは伝わらない、本物の迫力がそこにある。心を強く保っていなければ、今すぐにでも大声で叫んで逃げ出したい衝動に駆られていた。

 顔はこちらを見ているが、向こうが補足しているかどうかは不明であった。近づく気配も無ければ、動く気配すらない。

 息を殺し、ゆっくりと身を低くして一歩下がろうとした時だった。あろうことか、隣に居たモーガンが、ふらふらとロキの方へと近づいていく。ロキに気を取られて反応が遅れた九条は、モーガンの腕を掴む事が出来ず、向かうのを止められなかった。



「クソッ! なんて馬鹿な事を!」



 苛立ちと焦りの混じった声だった。こうなってしまった以上、九条も覚悟を決めてロキの方へと向かう。

 公園を照らす照明の下にモーガンと九条の姿が露わになる。モーガンとロキの距離は二メートル程度で、前に数歩出るだけで手が届くほどの近い距離。対して九条はと言うと、モーガンから更に倍ほどの距離を離して立っていた。その傍らに、白い犬を交えて。

 本来ならばモーガンの隣にいるのが望ましいだろう。だが、それは流石に迂闊という他無かった。相手の間合いを見誤れば、それは即、自分の死に繋がるからだ。

 距離を詰めたおかげで、九条はロキの姿をハッキリと視認できるようになる。


 ――――その姿は、寒気がするぐらいに凛々しかった。


 見た目は成人男性の二十代前半。眉目秀麗で、皺とは無縁の色気のある白い肌。目は吸い込まれそうなほど鮮やかな朱い瞳。目があえば、一瞬で骨抜きにされて虜にしてしまう魅力がそこにある。女形のような美しい顔立ちを持ちながら、その荒々しい鬣のような長髪が妙に噛み合う。

 遠目から見れば華奢と思われた体格だったが、それは誤解であった。

 黒いシャツの上からでもわかるほど鍛え抜かれた肉体。全ての無駄を省いた理想の形がそこにあった。

 非の打ち所がない容貌は最早造形の域に達する。

 理想を具現化した存在。それがここに居た。

 

 何も知らぬ一般人なれば、ただその男の姿に見惚れるだけであろう。だが、今まで数多くの死線を潜り抜けてきた九条には、目の前に居る男がそんな風には見えていなかった。

 その偽りの姿の下にある、どす黒い威圧感と重圧を放つ本当の姿を見抜いていた。

 こうして目の前に九条とモーガンが現れたというのに、ロキは未だに動かない。それどころか、その瞳は焦点があっておらず何処か虚空をさまよっているようにも見えた。

 目の前に居る九条達を認識しているのかどうかすら定かではない状態。これを好機と捉えるかどうか判断に迷っていた九条だが。


「長かった……本当に長かった。貴様を探し、早四十年。もう会えないかと思っていたが、こうして出会えた事を神に感謝したい気分だ」


 モーガンが語り始める。

 その声は震えていた。だがそれは恐怖ではなく、歓喜であった。


「四十年。四十年前の私の事を貴様は覚えていまい。だが、私はお前を忘れた事は無かった! 両親を私の目の前で殺し、そして人生を狂わせた貴様を! 四十年の時を経たというのに、貴様は何も変わっていないあの頃のまま……それに私は感謝している。あの日の貴様をこの手で葬り去る事が出来るのだからな!」


 モーガンの問いかけに対し、未だ沈黙を守ったままのロキ。ここまで反応が無いと、まるで人形のようだった。

 手にしていたキャリーバッグを開けるモーガン。そこには分解された銃のパーツが隠されており、それらを一瞬で組み立て上げる。

 組み上げたものはM16と呼ばれるアサルトライフル。その殺傷能力の高い銃は、警官などが手にしている拳銃とは訳が違う。一般的な悪鬼でも、ライフルの弾を受ければその強固な皮膚をもってしても流石にタダでは済まない。加えて、モーガンが手にしているのは通常のM16ライフルではなく、彼なりのカスタムを加えられた物である事。弾も従来のものより威力の高い大型の弾を使用している。

 その銃口をロキに向け、モーガンは何の躊躇いもなく引き金を引いた。

 銃口から撃ちだされる無数の銃弾は、的確にロキの身体に命中した。当たった事を確認していながらも、その引き金を引き続けるモーガン。夜の公園に、小刻みな音が絶えず鳴り続け、銃から大量の薬莢が排出されてモーガンの足元に転がる。


 立ち込める硝煙の臭い。弾を撃ち尽くした銃からはカチカチと引き金の音だけが虚しく鳴るだけで、その役目を終えていた。全弾をまともに受け続けたロキは文字通り蜂の巣となる……筈であった。



「ば、か……な?」



 目の前で起こっている事を現実として受け止め切れていないモーガン。

 そう、ロキは依然としてそこに健在していた。

 銃弾の雨をまともに受け続けたというのに、その身体は傷はおろか銃弾の跡すら残っていなかった。ロキの足元に、先端が潰れた弾の残骸が散らばっているのがなによりの証拠であった。

 ようやくロキと自分との間に埋められないほどの戦力差がある事に気づいたのか、モーガンの身体は震え上がり、顔には脂汗が滲み出る。恐怖から歯をガタガタと震わせながらも、モーガンは親の敵討ちという復讐の念に駆られ、スーツの内に忍ばせていた拳銃を手にして向けようとした時。



「逃げろ! そんな玩具が通用する相手じゃない!」



 背後から九条の叱咤が飛ぶ。そこで我に返ったモーガンは全てを捨てて、無様にロキに背中を見せて逃げる。

 だが、それは決して許されなかった。

 背中を向けて逃げようと、一歩踏み出した瞬間にモーガンの身体が三度震え、その眼が大きく見開く。

 九条の視点からは何が起こったのか分からなかった。ロキは一歩も動く事をしなかったが、モーガンの口から赤い飛沫が出た後、流れ出る多量の血液が全てを教えてくれる。

 モーガンの眼の焦点が九条に向けられ、声も出すことができない唇が九条に『ニ、ゲ、テ』と内容を伝える。

 グラリと大きく身体が揺れ、公園の芝生の上に倒れこむモーガン。その背中には三つの大きな穴が出来ていた。

 出血量からして助からない事が九条には直ぐに分かった。短い間とはいえ、一緒に居た仲の人間。本当ならば、モーガンの遺体に寄り添う事もしてやりたい九条ではあったが、目の前に居る存在を無視してそれは出来なかった。


 再びロキの方へと視線を向けると、そこに変化があった。

 焦点の虚空をさまよっていた目の焦点に火が点り、剥き出しの刃物のような鋭さがそこに宿っていた。その眼が息絶えて倒れたモーガンに向いており、まるでゴミをみるような冷ややかな視線が向けられていた。

 それから視線を九条へと移す。九条は自分に視線が向いている事に気づいて、咄嗟に印を結ぶ構えを取る。モーガンの隣にいた自分を敵として認識されている筈、そう考えていたからである。

 だが、九条の心配は杞憂に終わる。


 一瞬九条へ向いた視線は外れ、ゆっくりとロキは動き出す。だが、それは九条の方へではなく、近くに設置してある公園のベンチにであった。そこに腰かけ、ズボンのポケットに手をやると何故かサイコロが二つ出てくる。一から六の一般的なサイコロ。それを片方の手の中でコロコロと遊ばせ、何か物思いに耽っていた。


 よくわからない行動を起こすロキに対して、九条は理解に苦しんでいた。

 残された九条はひとまずモーガンの側により、その見開かれた瞳をそっと閉じる。そして、これからどうするかを考えた。

 選択は二つ。

 ロキと戦うか、逃げるか。そのどちらかであった。

 ならば、九条がとる選択は一つしかなかった。もう、この機会を逃したならば、ロキと出会う時など無いと思ったからである。



 警戒しながらベンチに座るロキへゆっくりと近づく九条。そして、少し離れた場所で立ち止まる。



「一つ、訊いておきたい。お前はロキなのか?」



 声掛けに、ロキは無言であった。九条の存在自体が空気のようにその視線は前を向いたままであった。無視されている事に、九条は苛立つ。


「おい! 聞いているのか? お前はロキなのかと訊いているんだ!」

「……久しいな。その言葉を聞くのは何年振りか」


 ロキの口から漏れる声。そこには静かな迫力があった。


「喋れるのか? だったら、返事をしろ。お前はロキなのか?」

「ロキというのは貴様らが勝手につけたものだろ。俺に名称など無い」

「名前が無いだと?」

「分かったらそこのゴミを片付けて消えろ」


 ゴミが何を指しているのか、明白であった。その一言は、僅かであれ九条の闘志に火を灯した。彼もまた、九条と似た者同士であったからだ。


「ロキ、私と戦え。私はお前を殺しに来た」


 宣戦布告をする九条。それを聞いたロキは、微かに肩を震わせくぐもった笑いを上げる。



「殺しに来た、だと? それはあれか? 俺を笑い殺しにするという意味か」

「実力行使に決まっているだろ。貴様の命をもらい受ける」

「下らん戯言だな。とっとと失せろ、俺の気が変わらん内にな」


 九条の方を一向に見向きもしないロキ。それは全く相手にしていないという意思表示でもある。


「良いだろう。なら、これを見た後でも同じ口をきけるか?」


 静かにそっと目を閉じる九条。胸元で九条は印を結ぶ。



 ”――――人とあらば、人を斬り。鬼とあらば、鬼を斬る。”



 唱換を行う九条。その声色は先程までとは打って変わり、澄んだ音色のよう。

 それを聞いたロキは、手の中で遊ばせていたサイコロを止め、初めて瞳が九条の方へと向く。


 

 ”――――悪鬼羅刹の如く”



 全てを紡ぎ、双眸が開かれる。

 愛刀を手にし、九条は直ぐさまロキに向けて構えを取り、その柄に手を掛けた。

 途端に変わる空気の質。今にも一触即発の状態を作り出した九条の唱換。これには流石のロキも無視はできない筈、と九条は踏んでいた。

 ロキの瞳は九条を捉え続ける。だが、その瞳は興味を無くしたように九条から外れ、手の中のサイコロを再び回し始めた。



「失せろ。お前の遊びに付き合う気は無い」

「遊び……だと? これを見て尚遊びと言うのか」

「子供が玩具を手にして構って欲しいようにしか見えんが?」

「言ってくれる! ならば、遊びかどうか試してみろ! 構えろロキ!」



 抜刀の態勢に入る九条。だが、ロキの方はというとベンチから立ち上がる素振りすら見せないままでいた。



「くだらん……なら、これで決めてやる」



 気怠そうにロキは手に持っていたサイコロを九条の方に向けて見せる。



「この二つある賽の目の合計が六より下ならとっとと失せろ。六より上なら。いくぞ」



 親指でサイコロを真上に弾く。ゆっくりと回転をしながら上空に舞い上がったサイコロはやがて浮力を失い重力の影響で落下を始める。サイコロの高度が九条の視線辺りにやってきた時。

 一度、鍔鳴りの音が鳴る。

 サイコロが地面に落ちる前に、九条はその冴えたる剣の技でサイコロを刀の上に乗せ、取り上げたのだった。

 目にもとまらぬ音速の太刀。だが、ロキには見えていたのか、その視線はサイコロを回収した方の手に注がれていた。



「貴様、何の真似だ?」

「それはこっちのセリフだ。こんな下らない事で私との戦いを決められるなど不本意でしかない。ロキよ、お前がとる選択はただ一つ、私と戦う事だけだ!」

「――――クソ餓鬼が」


初めて感情を露わにしたロキの声が響いた。















 



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