第5話 血の狼煙
「血の臭い? こんな通りで?」
九条の発言に疑問を呈する白鷺だが、それも致し方ない事だった。
今いる場所は人が行き交う歩道。夜とはいえ、未だに人の流れは多く、九条達の横を何人もの人間が素通りしていく。また、様々な匂いが漂う中で、血の臭いを嗅ぎ分けるのは難しいと言わざるを得ない。実際、白鷺も言われて臭いを嗅ぐが、血のような臭いは全く感じなかった。
「全然せえへんな。気のせいやろ」
「いや、確かに感じた」
「はいはい、きっと魚の生臭さか何かやて。さっさと帰ろうや」
白鷺は率先して歩き出す。九条も後ろ髪を引かれる思いはあったものの、血の臭いだけでその場に留まる気持ちにはならず、白鷺の後ろについていこうとした瞬間。
その横を、男がすれ違う。
黒の帽子を目深にかぶり、白髭を蓄えた年配者。黒スーツに身を包み、手には旅行用の大型キャリーバッグを引きながら歩く男。
九条の横を男が通りすぎた瞬間、濃い血の臭いが鮮明に浮かび上がる。
すぐさま九条は振り返り、足早に消えようとする男の背中を追う。
人の波を掻き分け、九条はその男に追いつくと、躊躇いなくその腕を掴んだ。
「おっ……と?」
男性にとってこれは全く予期していなかった事らしく、掴まれた途端にその体が後ろに倒れそうになる。転びそうになるのを何とかこらえ、後ろにいる九条を見た。
年配者は歳の割に肌艶はよく、人相の良い顔をしていた。
「これはこれは……お嬢さん、私に何か用ですかね?」
「話がある」
「はなし? 君のような可愛いお嬢さんから話とは、嬉しいですね。こんな老いぼれでもまだまだ捨てたものでは――」
「人を、殺しているな」
その言葉に終始笑顔を見せていた老人の目の色に変化があった。
「まさか初対面の子に、そんな冗談を言われるとは、ね。傷つきますね」
「だったら上着を脱いでみろ。その服から血の臭いがする」
指摘を受けた老人の表情は明らかに驚いていた。この目の前に居る少女は、決して冗談でもハッタリでもない。完全に気づいていることに。
「まさか……こんな少女が? 神はなんと非情な……」
掠れた小さな声が老人の口から漏れる。あまりにも小さい為、九条にはそれらを聴きとる事は出来なかった。
「何を言っている?」
「これは失礼……良ければ一緒に歩きませんか? そちらの方が都合がよいでしょう、お互いにとって、ね」
老人の目は通行人に向けられていた。その意図を汲んだ九条は静かに頷き、老人と肩を並べて歩く。ただし、その距離は人一人分空いていた。それは咄嗟の出来事に対処できるようにするためであった。
「九条さん、と言いましたか? 今日はおひとりでここに?」
そこで九条は白鷺の気配が近くに無い事に気づく。老人を追いかける場面ではぐれてしまったのだろうと理解する。
「それがどうした?」
「そう警戒しなくても良いですよ。自己紹介がまだでしたね、私の名は「ハロルド=モーガン」今年で60になるご老人です」
「さっきから思っていたが、随分と日本語が流暢だな」
「職業上、他国言語の習得は必須ですからね。おかげで海外旅行で困った事はありませんよ」
「何の仕事だ」
「貿易関係の仕事……と言ったら信じますか?」
「笑いを取りたいのか?」
「失礼。歳をとるとこういう冗談を交えたくなるものでして……お嬢さんも気づいているかもしれませんが「殺し屋」ですよ」
「殺し屋だと?」
「おや? その反応からすると、違う見方をされていたようですね」
「人を食ったりはしないのか?」
それをきいたモーガンは、口元に手を当てて可笑しそうに笑った。
「人なんて食べませんよ。それが何か?」
自分の早とちりを九条は嘆いた。
目の前の老人から感じる血の臭いはかなりのものだった為、何人か食い散らかした後だと思い込んでいた。
よくよく見れば目の色は茶色がかっており、悪鬼特有の朱い瞳ではない。キリを呼べばモーガンの中身を確定させる事もできるが、そこまでする必要は無いと九条は感じていた。
「殺し屋か……では今日も殺したのか」
「ええ、今日は五人。歳のせいか、仕事が上手く行かず相手の返り血を多少浴びてしまったのがよくありませんでした。昔ならもっと上手く殺せたのですがね……歳は取りたくないですね」
人の命を奪ったというのに、涼しい顔で言ってのけるモーガン。
「随分と口が軽いんだな。その様子だと、聞いた私も殺す気か」
「お嬢さんを殺す? いえいえ、しませんよ。誤解を招いたのなら申し訳ない。それに、私はこれでも殺しに関しては拘りがありまして。金を貰えば誰でも殺すというような人間ではないので」
「人を殺しておいてよく言う」
「否定はしません。私が殺す相手は、法で裁けないような権力者や卑劣な裏の人間達とだけと決めているので。無論、殺人者の言う事ですから、信じる信じないは貴女次第ですが」
「お前の殺しに対する流儀や趣向が何であろうとどうでもいい。ただ、確かなのはお前が人を殺したという事実だけだ」
「これは手厳しい」
突然、九条は足を止めた。
これ以上、この老人と一緒に居る理由が無いと判断したためだった。
相手が殺し屋であろうと、それが悪鬼でないのであれば、関与する必要が無い。
「おや? どうされましたか?」
「邪魔して悪かった。これからも殺しに励んでくれ。これ以上、お前と一緒に居る理由が無くなった」
踵を返して立ち去ろうとする九条。だが。
「お待ちなさい」
何故かモーガンが強い口調で九条を呼び止める。
「何だ? 何か用か?」
「ええ。申し訳ないが、お嬢さんには一緒に居ていただかないと困ります」
「成程、やはり口封じか」
一戦交えるのも止むなし、と臨戦態勢を取ろうとする九条。だが、モーガンがとった次の行動は思いがけないものであった。
突然、その場で両膝を折り、手を地面につけて深々と額を地面にこすりつけた。これには流石の九条も目を丸くした。
「お願いします……どうか! どうか私と一緒に来ていただきたい!」
人の往来がある通りのど真ん中で、あろうことかモーガンは恥を忍んで土下座を敢行した。当然、周囲からは好奇の視線がモーガンに集まる。
呆気にとられる九条。その行動の真意を測りかねていた。
「何故そんな事をする。元々私がちょっかいを掛けただけの事だったはずだ」
「一緒に来ていただけるなら、その理由を説明しましょう」
「分かったからとりあえず顔を上げて立て。人の迷惑になる」
言われてモーガンは直ぐに立ち上がり、手や服についた砂を払い落とす。
「ありがとうございます。では、その理由を説明するにあたって、歩きながらお話をしましょう」
二人は再び歩き出す。彼等は人の多い街中の通りを抜け、郊外にある通りへと差し掛かる。
そこは等間隔に外灯が立ち並ぶ二車線の通り。通りには何分かおきに車が数台通るだけで、店や建物は無いため、歩道を歩く人間は九条とモーガンの姿以外見受けられなかった。
「お嬢さんは運命を信じますか?」
「運命だと?」
「ええ。人間の意志を超えて、幸福や不幸、喜びや悲しみをもたらす神の所業。その 巡り合わせの事です」
「運命には抗えない。さしずめ、全ての流れは運命で決まっているという奴か」
「その通りです。お嬢さんはどうお考えで?」
「そんなものがあってたまるか。自分の道は自分で切り開く。そこに運命など存在はしない」
下らない、と一笑する九条。
「その考え、同意しますよ。ですが、私は今回、その運命とやらに頼るしかないのです」
「どういう意味だ」
「私がこの国に来た理由は殺しではありません。それはあくまでついででありまして、本当の目的は知人と会う事にあります」
「知人だと?」
「ええ。その知人は昔に会ったきり、音信不通でして。彼はその所在を転々とし、接触を計ろうにも不可能でした。その知人と会う事だけに私はこの人生を費やしてきました。そして今回そのチャンスが巡ってきたのです」
「チャンス?」
「はい。仕事をしながら知人を探して、もうこの年齢にきました。最早会う事が叶わないと思った時、ある情報が私の下に飛び込んできました。それはロンドンにいる占い師の話です」
「まさか……そんな占いを信じてここに来たのか?」
「言いたいことは分かります。私も、目に見えないモノは信じない性分でしたので。だが、どれだけ手を尽くしてもその足取りすらつかめない状況だった私は、藁にも縋る思いだったのです。その占い師の占いは予言と言えるほどピタリと当てる事で有名で、私はその占い師に知人と会うにはどうすればいいか聞きました」
「馬鹿みたいな話だな。何と言われたんだ」
「その占い師の話によると、私は知人と巡り合う運命ではないらしいので、出会う事は叶わないそうです。ですが、条件付きで私はその知人と出会う事が出来ると教えられました」
「随分とまぁ簡単なんだな。運命なんて大それた事を言っておいて聞いてあきれる」
「その条件は――私の命」
歩みが止まる。
二人にあった和やかな雰囲気と空気が一気に引き締まる。
「……何だと?」
「会う方法は、この日本。ここに、知人と巡り合う強い運命の人が居ると言われました。そして、私はその人を導く水先案内人。その人を利用すれば、会う事が出来る。ただし、運命というのは曲げる事を許さない。本来歩くべき道を少しでも外れるという事は、それ相応の代償と引き換えにするということらしいです」
「一応、聞いておく。その運命の人間というのは心当たりがあるのか?」
「占い師は言いました。その人間と出会う運命に私はある、と。そして、一目見てそれが誰なのか、貴方も直ぐに分かると」
それが誰を指すのか、直ぐに九条は察した。
「そこまでして会う知人なのか? 自分の命を賭してまで会うべき相手なのか」
「会うべき相手です。会えずに未練を残したまま余生を過ごすよりも、会って後悔の無いまま死んだ方が良い。無論、私は死ぬ気などありませんがね」
「馬鹿げている」
「お嬢さんはそう思うでしょう。ですが、それで会えるというのであれば、喜んで私は身を捧げましょう」
「今からでも
モーガンは首を横に振る。目には並々ならぬ決意が秘められていた。
これ以上の説得は不毛と判断した九条は、小さな舌打ちと共に黙り込んでしまう。
再び歩み始めた二人。だが、その旅は直ぐに終わる。
通りを過ぎて二人が立ち止まった場所は『陸橋公園』と呼ばれる公園であった。
県内でも有名な広い公園。昔、大きな旅館施設が立っていたが、不況の煽りを受けて倒産。その広大な敷地面積を利用して造られたのがこの陸橋公園である。
公園に置かれているような遊具は無く、芝生の広場と樹林だけが占める。日中ではピクニックの親子や、犬の散歩連れ、屋外球技をする団体などで賑わいを見せる。だが、今は既に夜も深い時間に差し掛かり、不気味なほど静まり返っていた。
モーガンは頻りに公園の名称と、自分が手にしたメモを見比べて確認をする。
「どうやら、ここですね」
「ここは公園だぞ? こんな時間、それにこんな場所にいるのか?」
「そこは信じるしかありませんね。運命とやらを」
静まり返った公園の中へと進んでいく二人。
公園の中は一面芝生が敷き詰められ、所々に点在する頼りない照明が公園を照らす。
どんどん公園の奥へと向かい、二人が公園の中心部に差し掛かった時だった。
――――その男は、そこに居た。
まるで待ち合わせをしたかのように、男は黙って二本の足でそこに立っていた。
照明に照らされて男の姿は遠目でも見てハッキリと分かるものだった。
その男とは初対面であった。だが、九条は男を知っていた。
地球という広大な場所に置いて、その人物と出くわすというのはどれほどの確率だろうか? 時と場所、それらが一致するのは天文学的な数字になるだろう。
今、目の前にある出来事に九条は言葉を失っていた。
テレビドラマや小説のような劇的な出会いを九条は想像していた。だが、実際蓋を開ければそんなものありはしなかった。
驚くほど呆気なく、拍子抜けするほどあっさりとしていた。
鬣のような長い黒髪を備え、上下を黒に統一した服装。そこに赤い外套が無いだけで、その顔は昼間見た資料と全く一緒のものだった。
「ろ、ロキ……」
喉の奥から絞り出したような震える声が九条の口から漏れた。
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