第7話  絶望と希望

 夜風が公園に吹きつける。

 周辺の木々や芝生が風に揺れ、騒がしくなる。それはこれから起こる事を感じ取った木々達の悲鳴にも聞こえた。


 対峙するロキから向けられる殺気は、それだけで人を殺せそうな威圧感。一瞬たりとも気を抜けない九条は刀を構え、ロキの出方を窺う。

 ロキの身体がゆっくりと動く。直ぐに対処できるよう九条はその一挙手一投足に注目していると、ロキは座っていた足を組み、体全体をベンチの背もたれに預ける。それは今から命の取り合いをするに相応しいとは思えない愚行であった。



「何のつもりだ、ロキ。そのまま殺される気か」

「口先だけは達者だな。お前のような奴が今まで数限りなく俺に挑んできた。そいつらは決まって語る言葉は雄弁だが、どいつもこいつも雑兵ばかり。お前もその中の一人にすぎないというわけだ」

「その話と今のお前の態度、何の関係がある」

「分からんか? このままで十分だという事だ」

「ロキ、貴様……私を愚弄するのか!」

「やれやれ、そんなにこの格好が気に入らんか。そうなると、背中を向けるかここで寝そべるかのどちらかになるが……」



 九条の堪忍袋の緒が切れる。怒りに任せて放たれた音速の太刀筋は、的確にロキの首めがけて飛ぶ。

 だがそれは、突如ロキの足元からせり上がった黒い壁によって阻まれた。

 音もなく出てきたそれに九条は驚く。壁は九条の攻撃を阻むと、役目を終えたのか一瞬にして地面に溶けて無くなる。

 咄嗟の判断で九条は後方に跳躍し、更にロキとの距離を離す。



「どうやら、この姿勢で良さそうだな」



 ロキは姿勢を崩す気配はなく、九条との距離を詰める様子も無かった。

 先程の九条の一撃が、ロキとの戦闘開始の合図となる。九条は全神経を集中させてこの戦いに臨んでいるのが見て取れる。それとは逆に、ロキはそのまま寝てしまいそうなほど緊張感が無かった。


 この時、九条の頭の中では、一文字の事務所で読んだロキに関する情報を整理していた。

 相手は無敗を誇り、不老不死のような年月を経て生きる伝説の化物。その呼び方は様々で『悪魔ディアボロ』『凶皇エンペラー』『暴虐たる紅き王クリムゾン・キング』と世界で様々な二つ名を有する稀有な存在。

 そして、悪鬼の中でも特に厄介とされる『上位種』に当たる。

 上位種と戦うにあたって厄介なものはその『能力』であった。

 そのどれもが厄介であり、時には常識を逸脱したような能力によって辛酸をなめさせられたことも数多くあった。相手の能力がハッキリしない内は後手に回る事も多い。

 だが、その点においては要らぬ心配であった。

 九条はロキの足元に視線を向ける。



(……なるほど、資料に書いてあった通りだな)



 九条が注目したのはロキの足元にある『影』であった。ベンチの近くにある公園の照明がロキを照らしているのだが、その光源と影の位置が全く合っていなかったのだ。更に言えば、影の形は何処か歪で何かが蠢いているようにも見えた。

 ロキの能力は『影』であった。

 足元から伸びる影は伸縮自在で、それらは形を変えて襲い掛かる。どれほどの形を形成できるのかは未知数であるが、四角や丸などの単純な形に変化できるのはすでに先程九条の攻撃を防いだ壁で立証済みであった。

 最も九条が懸念している事は、あれが音を発しない事だった。見て反応するしかなく、死角から襲われれば回避する術がない。そのため、九条は視界の中にロキを入れる事を念頭にしていた。

 最初の一撃から一向に事態は動かずにいた。二人は距離を取って動かず、時間だけがゆっくりと進む。しびれを切らしたのは、ロキの方だった。



「何時まで固まっている気だ。俺の命を取るという発言は嘘だったのか?」

「そういう貴様は何時までも座っているだけではないか。殺すと言っていたわりには随分と手ぬるいな」

「……良いだろう」



 ロキが右手の指をパチンと鳴らす。足元の影から紙のように薄い帯状の黒い物体がせり上がる。


「望み通り、殺してやる」


 殺気に満ちた宣言を皮切りに、せり上がった黒い帯が勢いよく九条目掛けて伸びていく。それと同時に、九条も動きを合わせた。

 襲い掛かる影の帯に自ら突進し、それをすれ違うようにして避ける。その行動によって一気にロキとの距離を詰める事に成功する。

 回避と攻撃を両立させた九条の行動。未だ無防備なロキに対して九条はありったけの斬撃をお見舞いする。

 一度の鍔鳴りで、その斬撃の数は二十にも及ぶ抜刀術。そのいずれもが鉄骨をも切り裂くだけの威力を誇る。座ったままでそれらを回避することは不可能。



(よし! もらった!)



 勝利を確信した九条。だが、次に目にしたのは絶望だった。

 九条の斬撃がロキに届く寸前、ロキの足元から四本の影の帯が這いだし、九条の斬撃全てを受け止める。斬撃を受けた帯は切れるどころか、硬い金属音を立ててそれら全てを防ぎ切った。

 勝利を確信していた九条に、その光景は動揺を誘った。


「まさか、あの一本だけしか出せないと思っていたのか?」


 目の前の帯はまるで生き物のような動きを見せ、その矛先が全て九条に向けられる。それはさながら、蛇が獲物を見つけたような動きに見えた。

 四本の帯が九条に襲い掛かるが、それらを間一髪避ける事に成功する。再び剣を鞘に納め、抜刀の構えを取る。追撃してくるそれらに対し、九条は斬撃を放つ――が、切れない。


「――――ッ!」

 

 苦悶の声が九条から漏れる。

 それらは九条の斬撃よりも高い強度を誇っており、切り裂く事が出来なかった。四方から襲い来る影の帯。それらに対して九条は足を使って避ける事しかできなかった。

 影の帯は先端が刃物のような切れ味があり、それらは公園にある木々を軽々と切り倒すだけの威力があった。

 幸い避ける事が速さの攻撃ではあったが、それらを防ぐ方法はなく、まして先程のようにロキの懐に飛び込む事は至難の業となっていた。

 何とか態勢を立て直したい九条ではあるが、ロキの攻撃を避ける事が精一杯で体力の消耗をしているだけであった。

 そして、その攻撃だけに気を取られていた九条に更なる不運が重なる。


 避けながらもロキとの距離を一定に保つ九条。それは九条の余計なプライドでもあった。更に距離を離せば攻撃は止むかもしれない。だが、それはロキから逃げるとみられてしまうというジレンマがあった。

 そうこうしていると、九条は自身の足元が急にぬかるんだような感触を感じ、足元を見る。すると、自身の影から何かが這いだしているのが見えた。それらは蔦となり、一瞬にして九条の両手足に巻き付いていき、その場に拘束してしまった。

 蔦を引きちぎろうと力を込めるが、ビクともせず。それらは伸縮性に富んでおり、引っ張ってもゴムのように伸びるだけだった。



「まさか……他の影にも能力の影響があるのか……!」



 ギリギリと締め付けてくる蔦に苦しみながらも、九条はロキの方を睨みつける。ロキは未だ一歩たりとも動いていない。


「無様だな。所詮、この程度か」


 ロキの悪態に対し、反論しようがない九条。手足を拘束された姿では刀を振るう事も出来ずただ立つことしかできずにいた。


「餓鬼。お前はその棒きれを振り回す技術はあるかもしれんが、圧倒的に膂力が不足している。言ったはずだようにしか見えんとな」

「言わせて……おけば!」

「やめておけ。そんな非力で俺の蔦は抜けられん」


 足元から出てくる巨大な影の塊。それは先端が鋭く尖り、螺旋を纏った円錐形の物体へと変化する。高速で回転を始め、その物体は耳障りな音を発する。


「その胸板に風通しの良い穴をあけてやる。遺言があれば聞いてやる」

「くたばれ」

「潔いな。死んで悔いろ」


 指を九条に向けると、螺旋の物体は勢いよく九条の胸めがけて飛んでくる。

 万事休す。動く事も防ぐこともままならぬその状態では、九条にはどうすることもできなかった。

 その時、後方から足音が聞こえた。

 九条の背後には公園の入口がある。その足音は直ぐに大きくなり、そして突然足音が消える。その理由は、背後から迫ってきた者が九条の背丈を飛び越える為に跳躍したためだった。

 次の瞬間、それは九条の前に現れる。それが誰なのか、直ぐに九条は分かった。

 長い銀色の髪が揺れ、見慣れた大きな背中。それを見た九条は無意識に安堵の表情を浮かべてしまった。

 迫る凶刃。それを、身の丈よりも大きな武器を手にした銀髪の女は。


「どぉおおおりゃあああ!」


 咆哮にも似た雄叫びを上げ斧槍を思いっきり振りぬくと、その刃をまるで飴細工のようにあっさりと粉砕した。

 文字通り木端微塵。細かい破片となった螺旋の物体は地面に降り注いで消える。


「詐欺師!」


 白鷺は九条の方を向くと、拘束していた蔦を容易く切り裂く。自由になった九条は縛られていた手足の感覚を確かめるように、何度も手を動かしていた。



「どうやってここに?」

「アンタがうちと離れて捜しても捕まらんから、デバイスの位置情報をクラウンから聞いて辿り着いたわけや……けど、今はそんな話どうでもええ。さっさと逃げるで」

「逃げる? どういう事だ?」

「この現状見たら分かるやろ! 何でアンタがあのロキと戦ってるんや! 前に忠告したよな? あれと戦って勝てる事は無い。逃げるしかないって」

「逃げるわけにはいかない。ここで逃せばもう倒せる機会がないかもしれない」


 九条の胸倉をつかみ、必死の形相で白鷺は睨みつける。


「ドアホ! ウチが助けてなかったら死んでた人間が言えるセリフか! 何を根拠にそんな事を言えるんや」

「倒す方法は……ある。だが、時間がいる。そのために、詐欺師の協力が必要だ」

「ふざけるな! うちはこれ以上関わる気は――――」

「頼む。私に手を貸して欲しい」


 

 白鷺はこんな弱音を吐く九条を見たのは初めてであった。

 口を開けば目上の者であろうと口が悪く、全てを一人できるような物の言い方。そんな九条と一緒に過ごした中でこれほどの弱音を吐く姿、真摯に助けを求めてきたことは一度として無かった。それだけ相手の強さを認めていたのだ。

 本音を言えば白鷺は戦いたく無かった。アレの強さは身に染みて分かっている。

 しかも、こちらはたった二人。

 勝てない。

 冷静に考えれば勝てる筈がないというのに、何故か九条を見ていると白鷺の胸中に勝てるような気持ちが湧いてくる。その穢れのない真っすぐな瞳が白鷺に訴えてくるのだ。

 九条の胸倉を掴んでいた手を離す白鷺。


「……焼肉やで、九条ちゃん」

「焼肉?」

「こんな割にあわん仕事させられるんや、終わったら焼肉奢ってもらうからな?」

「……詐欺師!」

「ま、しゃーないな。困っている妹を助けるのは姉して当然の事やからな。それで、うちはどうすればいいんや?」

「時間を稼いでほしい。そして、奴の視線をそっちに向けておいてくれ」

「りょーかい、っと。あ、そうそう」


 白鷺はトントン、と胸を突く。すると、そこから黒猫がスポッと顔を覗かせスルリと外へ出てくる。


「アンタはでとき。死なれたら大変やからな」


 黒猫は白鷺の言葉に返事をするように一度鳴き声を放つ。そして、邪魔にならぬよう九条の背後に回って座り込む。

 そんな九条達のやり取りを、ロキは攻撃を仕掛けることなく静観していた。

 猫を避難させた後、白鷺はぐるりとロキの方へと向き直る


「お・ま・た・せ。こっから先はうちがデートの相手させてもらうわ」

「飛び入り参加は歓迎しよう。お前はこのパーティーを少しは盛り上げてくれるのか?」

「うーん、残念やけどそれは無理やな」


 そう言って斧槍を構えて戦闘態勢に入る白鷺。


「だってうち、パーティーぶっ壊す方が慣れてるからな」







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