第2話  再会

 一日がもうすぐ終わりを告げようとした時、ジュリから連絡を受ける。指定の場所へ向かった先は、市内に存在する豪華なホテル。雑誌やテレビなどでも度々紹介され、著名人も泊まるほどの格式高いホテルの為、泊まったことの無い一文字でも名前には心当たりがあった。黒のスーツを着て、それ相応の身なりをした一文字がホテルの中に入って、真っ先に向かったのはホテルのフロント。そこにいる受付女性に対し。



「人の紹介でやってきました。名前はジュリと言います」



 それを一文字が告げると、受付の女性は驚き、緊張した様子で手元の受話器を手に取りどこかへ連絡をする。数分も経たぬうちに、フロントに初老のホテルマンが現れる。



「お待ちしておりました、一文字様。私は当ホテル責任者の坂木と申します」



 落ち着いた口調と雰囲気。坂木と呼ばれる男性の動作には無駄がなく、洗練されているのが一文字にも分かる。「こちらへ」と、坂木は言ってゆっくりと歩き出す。その後ろを一文字はついていく。

 歩き出して直ぐにエレベーターへと入り、坂木は20階のボタンを押す。直ぐにエレベーターは動き出し、何事もなく20階に辿り着く。坂木と一緒にエレベーターから降りると、直ぐに一文字は違和感を覚えて周囲を見渡す。


「どうなされましたか? 一文字様」

「あ、いや……」


 気のせいか? と思うが何かが引っかかっていた。坂木は歩き出し、その後ろを仕方なくついていく。廊下を歩いている途中、その違和感に一文字はようやく気付く。


「坂木さん、でしたか? 少し質問してもいいですか?」

「どうぞ。私に分かる範囲であればお答えします」

「随分とこの階は静かですが、お客さんはいるのですか?」


 その問いに対して坂木は。


「いえ、おりません。この階はおろか、2階より上の階には誰も客はおりません」

「客がいない?」

「全てジュリ様のご意向です」

「何ともまぁ……そこまでする理由は?」

「それは存じません。ですが、一つだけ一文字様にお伝えしなければならない事がございます」

「何でしょうか?」

「これより先、ジュリ様と一文字様はお会いされる事になりますが、我々は一切介入をしない事を肝に銘じて置いてください」

「どういう意味で?」

「そのままの意味でございます。さて、道案内役はここで終わりになります」



 歩を止めた前には、大きな扉が待ち構えていた。

 明らかにその部屋はホテルの個室などではなく、大人数を収容できるホール会場であった。

 困惑する一文字。これが一体どういう事なのか? 何を意味するのか思慮を巡らせる。


「では、私はこれで。あとはお二人でごゆっくりとお楽しみください」

「ゆっくりと言いますが、この部屋に何があるのか教えてもらえないでしょうか」

「それは開ければ分かることにございます」


 はぐらかされ、そのままゆっくりと坂木は帰っていく。不安になる一文字ではあるが、ここまで来て帰るという選択肢はない。

 覚悟を決めて、目の前の扉をゆっくりと押し開けた。

 開けた先で見た光景は予想できないものであった。

 天井に吊るされた多数のシャンデリアから降り注ぐ多量の白色の蛍光。ホールを敷き詰める多彩な柄が刻まれた赤い絨毯。そして、もっとも目を惹いたのは、そんな広いホールの中心に、一つの円形のテーブルが置かれていた事だった。

 互いに向き合う形で二つの椅子がセッティングされ、その片方の椅子に、誰かがいるのが見えた。

 椅子は一文字に対して背を向けた格好で、誰がいるのか分からなかった。ゆっくりと、その人物に近づいていく一文字。そして、ようやく手で触れれるほどの距離になった所で、椅子に座っていた人物が立ち上がり、一文字に振り向いた。



「おひさしぶりです、ユラさん」



 微笑む赤いドレス姿の女性。透き通った声がホールに響く。

 一文字は驚く。目の前の人物が、一瞬誰なのか分からなかったからだ。

 記憶に残るジュリと、目の前に居るジュリは別人だった。

 幼さのあった顔は年が経ち、幾分大人の容姿へと変わり、体も発育が良かったのか、異性から見ても、同姓から見ても随分と魅力的な体型へと変わっていた。そして、その自信の表れなのか、肩出しの赤いドレスは露出が高いものを身に纏っていた。

 一文字は声が詰まる。色々と、何を言っていいのか分からず、ただ目の前に居るジュリと思わしき女性に見入っていた。

 完全に固まってしまっている一文字を見て、ジュリの目が細くなる。


「あの、こういう時、何か言う事は無いんですか?」

「え? ああ、本当にジュリなのか?」

「いえ、そういう言葉ではなくって……ああ、もう。はい、ジュリですけど」

「随分と見違えたね。とても綺麗になってたから誰なのか分からなかったよ」

「……とってつけたような言葉ですが、まぁ良いです。ユラさんの方はお変わりなさそうですね」

「そうかい? まぁ、君がそういうのなら、そうなんだろうね」

「ええ。では、座ってお話しましょう。語る事はお互い一杯ありますからね」


 何処か上機嫌なジュリに対し、一文字は警戒を強めていた。

 椅子に座り、お互いに向き合う形。テーブルの上では料理と栓の開いた赤ワインが置いてあり、ジュリの傍らには大量の氷が入ったバケツ型のワインクーラーに高級そうなワインが何本も入っていた。


「さて、食事も有ります、ワインも有ります。ゆっくりお話しできますね、ユラさん」

「ゆっくりする時間があるんですか?」

「ええ、勿論。そのためにわざわざこのホテルを貸し切りにしたんですから。変なイレギュラーで、この時間を潰したくありませんからね」


 ワインを手に取り、ジュリはお互いのワイングラスに注ぐ。そして、その片方を手に取り一文字の前にゆっくりと差し出す。その意図を汲んだ一文字は、自身のワインが注がれたグラスを持って同じように差し出す。


「では、ユラさんとの再会を祝して……乾杯」


 キン、とグラスが音を立てる。そして、互いにワインを口にする。ワイン自体は飲みやすく、味も好みのもので満足な一文字。


「お口に合いましたか? ユラさん」

「ええ。実に美味しいワインですね。ワインには詳しくないのですが、これはやはり年代物なのですか?」

「結構安くて、新しいワインなんです。ガッカリしましたか?」

「驚きはありますが、ガッカリはしませんね。個人的には味も美味しいですし、好みなので満足してますよ」

「良かった。私も、このワインはとても飲みやすくて美味しいので重宝してます。一般的にワインは寝かせて熟成してなければ美味しくないという先入観があります。ですが、年代物でないから美味しくない、という考えはやめてほしいですね。それはワインも人間も同じです」

「……年齢や経験と言った固定概念に囚われず、その才能に注目して欲しい、という事ですね?」



 ええ、とジュリは同意した後ワイングラスに入ったワインを一気に飲み干す。そして、もう一度ワインを注ごうとボトルに手を伸ばしたが、タッチの差で一文字がボトルを取り上げる。



「注ぎますよ」


 その一言に、ジュリは気をよくしてグラスを差し出す。一文字は空のグラスにワインを少量注ぎ、手元にワインを置く。



「こうして再びユラさんと一緒に過ごせるなんて夢のようです」

「大袈裟ですね。著名人と飲むならいざ知らず、こんなしがない探偵と飲むだけで」

「私にとってユラさんは憧れと尊敬の方ですから。どんな著名人とご一緒するよりも、嬉しい事ですよ」


 そう言って見つめてくるジュリの瞳は潤んでいた。ワインが入ってどこか頬がほんのり赤みが差し、大胆な衣装と相まって、艶めかしかった。だが、一文字は「そうですか」と、軽い反応を示す。


「とりあえず、お互いに本来の目的をこなしておきましょう。話はその後でもできますからね」

「そうですね……ですが、一つだけお聞きします」

「何でしょう?」

「目的を果たした途端、直ぐにこの場から立ち去ったりはしませんよね?」

「しませんよ」

「絶対、ぜーったいしませんよね?」

「大丈夫ですよ。だから、さっさと済ませておきましょう」



 どこか疑いの眼差しを向けながらも、納得したジュリは態勢を屈める。そして、体を起こすとその手には白いハンドバッグがあった。バッグを開け、一枚の黒いカードを取り出す。


携帯端末デバイスはお持ちですか?」

「ええ。ここに」


 懐から一文字は黒い携帯を取りだし、机の上に差し出す。その上に重ねてカードを置くと、ピッ! という電子音が一度鳴る。

 時間にすれば秒に満たないほどの短い時間。それだけすると、カードを仕舞い、一文字は携帯を再び懐にしまう。


「ロキに関する主な情報を、ユラさんの端末に移しました。足りない情報があれば私の権限で閲覧することも可能にしますが?」

「いや、それは結構です。貴女の事だ、完璧な仕事をこなしているでしょうしね」

「あら、信用しているんですね?」

「勿論。貴女が私を信用しているように、私は貴女を信用してますから」

「ふふ、そう言っていただけると嬉しいですね。そういえば知ってますか?」

「何を?」

「実はこのホール、防音設備でどんなに騒いでも聞こえないんですよ? だから、もし何かあっても誰も駆けつけてくれないんですよ?」



 悪戯っぽい笑みを浮かべて喋るジュリ。それを聞いて、一文字は先程の坂木の言葉を思い出す。


「まぁ、そうでしょうね。これだけの大人数を収容できるホールで音が漏れるような事があれば大変でしょう」

「ですから、もし仮に、私がユラさんに向けて銃を発砲しても誰も聞こえないし、助けにも来れないんですよ?」


 それは、想像しうる最悪の出来事であった。

 、それが行われるような物の言い方。周囲に人はおらず、このやり取りも本来ならば危険な行為。常人ならば間違いなく真に受けてしまうであろうジュリの言葉。

 だが、一文字は違った。


「なるほど。それは怖いですね」


 脅しにも似たジュリの言葉を歯牙にもかけず、手元にあったワインを手に取り自身のグラスに注ぐ。反応の悪さに、ジュリはムッとする。


「怖いと言いながら、そんな風に見えませんけど?」

「本気にしてませんからね」

「何故? 可能性はゼロじゃないと思いますけど?」

「ゼロですね。万に一つの可能性もありませんよ」

「理由は? まさか直感なんてユラさん言わないですよね?」

「幾つかありますよ。まず、殺す気ならこんなホテル選びませんよ。もっと人気のない場所なんて考えればいくらでもある。主導権は貴女にあるのだから、容易に私をその場所に呼び寄せる事が可能ですしね」

「…………」

「それと、アルコールを摂取した状態で拳銃を使わないでしょう。万が一ナイフなどを忍ばせていたとしても、大の男相手に一人で戦うのはリスクが高すぎます」



 完全に見抜かれて観念したのか、大きく肩を動かし溜息をつくジュリ。



「もうちょっとびっくりしてくれると思ったんですけどね。それらしい場所にすればよかったかしら?」

「どの場所でも同じですよ」

「何故?」

「殺さないと思った最大の理由は、貴女がそのような人間でないという事です。一緒に過ごした時間は少なかったかもしれませんが、それぐらい分かっています」



 笑顔で答える一文字。驚きと困惑が混じった顔をジュリはするが、直ぐに微笑む。その一文字の答えに対しての反応であった。


「あーあ、やっぱりユラさんだけだな。こんなにも理解してくれて、信用できる人」

「職場にはいないのですか?」

「疑う方が楽ですから。信用できる人間なんていませんよ」

「信じてあげることも必要ですよ。上の立場に立つ者なら尚更」


 何処か余裕すら見せる一文字の態度。それに対してジュリは口を開こうとするが、言葉を飲み込んだ。何故なら、クラウンに所属していた時の一文字が自分を信じていた事は他ならぬ自分自身が分かっていたからだ。



「……本気でロキを倒すおつもりですか?」

「何の事ですか?」

「誤魔化さなくて良いですよ、ユラさん」



 それをハッタリとは一文字は感じなかった。電話で薄々気づいていた一文字だが、面と向かってハッキリと言われて確信する。


「ちなみに、どの程度知っていますか?」

「全て把握していると受け取ってもらって結構です」

「……ええ、そのつもりです。すくなくとも彼女は」

「ハッキリ言いますが、無理です。ユラさんは倒せると思っているんですか?」

「私は倒せないと言いました。ですが、彼女はそうは思っていない」

「あの女に倒せる可能性は?」


 首を横に一文字は振る。


「だったら、何故」

「何故でしょうかねぇ……言いたくはないですが、直感ですかね」

「直感だなんて、ユラさんらしくもない」

「自分でも思います。ですが、私は彼女に賭けてみたい」

「では、賭けをしませんか? ユラさん。ロキが勝てば私の勝ち。彼女が勝てばユラさんの勝ちで」

「私が圧倒的不利ですね」

「でも、ユラさんは賭けてるんですよね? なら受けてください」

「まぁ、良いでしょう。乗り掛かった舟ですから。では、ロキが勝った場合貴女は何を望みます?」

「ユラさんのクラウン復帰を望みます」

「私の席は無いですよ」

「作ります。私には、貴方が必要です」


 本気というのが一目で分かる。だが、一文字も頼られるというのは気持ち的に悪くは無かった。今の探偵業に固執しているわけでも無い一文字は、彼女の願いを断るだけの理由が存在しなかった。


「分かりました。ロキが勝てば私は探偵を辞めて戻りましょう」

「絶対ですよ! 録音しましたからね! あと、後日契約書を作って郵送しますので、そこにサインも!」

「そこまでしなくても約束は守りますよ」

「念には念を、です」


 しつこく迫るジュリにやれやれ、と言った様子の一文字。

 その光景は昔のジュリを一文字に思い出させる。

 彼女は仕事に関し、九割間違いないと確信できる内容であっても、必ずその裏をとり限りなく百に近づける事を怠らない。

 こういう用心深さだけは変わっていない、と一文字は何処か懐かしんでいた。


「さて、もうこんな時間ですし、私は先に帰らせてもらいますよ」


 ごちそうさま、と一文字は立ち上がり、乱れた服装を直して入口の方へと歩いていく。


「ちょっと待ってください! まだ、ユラさんの方を聞いてませんよ!」

「あり得ない事を聞いても意味は無いのでは?」

「確かにそうかもしれません。ですが、そういうのはフェアじゃないと思います。万に一つ……いえ、億に一つの可能性があれば」

「そうですね……ところで、貴女は恋人はいますか?」

「いません。好きな人ならいますが」

「告白は?」

「してません。というか、さっきから何なんですか! この流れ! そんな事聞いて何になるんです!」

「では、私が勝ったら貴女はその好きな男性と付き合うという事でどうでしょうかね」



 硬直。石像のように固まり、瞬き一つ起こさないジュリ。「では」と、一文字は陽気な声でジュリに別れを告げ、入口から出ていく。しばしの間、ホールでジュリは茫然とした後、えぇー! という悲鳴に似た大声がホールに木霊した。




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