第2話 交渉

 九条と白鷺が一文字の探偵事務所を訪ねたのは、翌日の昼だった。

 手渡された名刺の記載されている住所へ向かうと、そこには五階建ての狭いビルがあった。

 外観が少し汚れている所を見る限り、そんな最近に建てられたビルではなく、各階に何があるのかという看板がビルの側面に付けられていた。

 看板を見ると、目的の探偵事務所は2階にあった。


 二人は狭い階段を上り「一文字探偵事務所」というネームが書かれた扉をノックする。奥から「どうぞ」という声が扉越しに聞こえてくる。

 了解を得た九条達は遠慮なくその扉をあけ、建物内へと入っていく。

 部屋の中は小綺麗な感じで纏まっており、部屋の中央に硝子テーブル、それを挟んで対面に革張りのソファーが置かれている。その更に奥を見ると、部屋の主の如く置かれた鮮やかな朱色をしたオフィスデスクがあった。

 そのデスクに、目的の一文字がいた。


 一文字は九条達を見ると立ち上がり、どうぞ、とソファーの方へと手招きする。

 九条達は遠慮することもなく、勧められたソファーの方へと向かい座る。そして、その対面に一文字が座る。



「ようこそ、私の探偵事務所へ。九条さんに、白鷺さん」


 二人は表情に変化をつけず、心中だけで驚く。

 あの時こちらからは名前を名乗っていない。だというのに、この人間は私たちの名前を知っている。それがどういう事か、二人が出した答えは。


「昨夜接触してきたのは、最初から私たちが目的か?」


 九条が間髪入れずに踏み込む。

 でなければ話が噛み合わない。偶然で片付けるには重なりすぎている、と。それは隣にいる白鷺も同意見であった。


「鋭いですね。流石クラウンが認める異能者ハンターと言った所でしょうか」


 自慢げに語る一文字。

 それは自身の調査力を相手に知らしめる行為で「私はあなた達の事をここまで知っている」と。秘密を知っている者はつい、相手に喋りたくなるものだ。私は優秀です、と。


 だが、今回に限りそれは自惚れであった。

 一文字の言葉を終えたと同時に、動きが早かったのは白鷺だった。

 何処からともなく、弧を描く刃が先端についた長い柄が出てくる。刃が一文字の喉元にピタリ、と押し当てられる。

 全く反応できなかった一文字。刃を突きつける白鷺の顔は笑顔であった。


「あかんなぁ……これは。流石に知りすぎじゃない? ねぇ、九条ちゃん」

「殺すなら後にしろ。何も聞いて無いぞ」

「ま、待ってください……これには訳がありまして」


 ひー、ひー、と荒い呼吸の音が一文字から聞こえる。

 彼女らは本気である。それは一文字も分かっていた。


「私は、元クラウン所属だったんです」

「ほぅ? 嘘ならどうなるか分かっているのか?」

「当然です。これを見てもらえれば」


 ゆっくりと胸元から取り出したのは黒いカードだった。

 名前はおろか、文字すら書かれていない黒いカード。それはどこか不気味に思えた。

 それを九条は手に取り、持っていた携帯を起動させてカードを重ねる。

 ピッ、という電子音が鳴ると、どういう仕組みか黒いカードは途端に色を持ち、鮮やかな身分証明証へと早変わりする。


「本物だ。クラウンに所属していたというのは間違いないな」


 それを聞いて白鷺は構えていた得物を下ろすと、それは雲散霧消して消えていく。

 刃が無くなって緊張が解けたのか、大きくため息をつく一文字。

 持っていたカードを投げ捨てるように九条は一文字に返す。

 

 

「いやぁ、生きた心地がしませんでしたね……今のは」

「あんたが喋りすぎや。次から気をつけんと、ほんまに死ぬで?」

「肝に銘じておきます。という事で、お二人の事は事前に知っておりまして、無論、昨夜の事も偶然ではありません」

「何故私たちに接触してきた」

「単刀直入に言わせていただきます。貴女方が探しているソフィアさんは『悪鬼』になった可能性が非常に高い」


 二人は互いに顔を見合わせ、白鷺が首を横に振る。

 それはつまり、そんな情報は聞いていないという合図である。


「証拠はあるのか?」

「残念ながらありません。ですが、状況から見て確かなことはあります」

「どういう事だ?」

「私が依頼を受け、もう一人の捜査員とソフィアさんを一緒に捜索をしていました。当時、私は別の件で仕事を全てもう一人の捜査員に任せていた。そして、居場所を突き止めた捜査員から私に電話が入りまして……」

「どういう連絡だ?」

「ひどく慌てた様子でした。言葉にならず、叫び声だけで、何とか聞き取れた単語が……食い殺される、というものでした。ただ事ではない事を感じた私は、直ぐに捜査員の場所をGPSで確認し、向かった時には……捜査員の変わり果てた姿でした」


 当時を思い出したのか、ぐっ、と歯ぎしりする音が聞こえる。

 かける言葉は二人に見つからず、ただ黙っていた。


「それで、それがどうなったら悪鬼と結びつくっていうさかい?」

「捜査員の腕と足が一本ずつ、無くなっていたのです。まるで千切られたように」

「食料として取られた、と?」

「私はそう判断してますよ。もう、この捜査は私の手に負える物ではない。ですから、お二人に頼む以外方法は無いと判断しました」

「なるほどなぁ~、せやったら、もううちと九条ちゃんでソフィアちゃん捕まえに行くしかないってことやな」

「そうなります。居場所は突き留めていますので、是非お願いします」

「しゃーないな、じゃあこの依頼受けるしか……」

「断る」


 それだけ九条は言うとおもむろに立ち上がり、部屋から出ようとする。


「ちょ、ちょっと! 何で? 悪鬼関係ならうちらの仕事や」

「生憎だが、私は外させてもらうぞ」

「どういう事?」

「悪鬼と分かったのなら取るべき行動はひとつ。葬り去るだけだ。生け捕りする気などわたしは毛頭ない。それが理由だ」


 忌むべき存在。

 それを何故生け捕りなどという事ができようか?

 九条の気持ちは十分に理解している白鷺は、それ以上引き留める事ができない。

 そして部屋から出ていこうと踵を返した時。


「私は、別に生け捕りにして欲しいなどと言ってはいませんよ?」


 九条の足が止まる。

 顔を一文字の方へ向けると、一文字は何食わぬ顔をして九条を見ていた。


「良いのか? お前の目的は目標を親の元に届けるのが目的だったはず」

「そうですね。契約に生死の判断は入っていないので、何ら問題はありませんよ」

「普通に考えれば生け捕りではないのか?」

「普通に考えれば……ですね。そうそう、言い忘れてましたね」

「何をだ?」

「殺された捜査員、私の恋人なんですよ」


 その一言を聞いた九条は、なるほど、と納得した。

 合点がいく。九条がとった行動が非情な判断であっても彼は顔色一つ変えず、依頼人に嘘八百を並べ立てるであろう。何故なら、それこそが彼の望んだ結末なのだから。


「だから私に話を持ち掛けてきたか。あえて、反吐が出る程の悪鬼嫌いな私に」

「ご理解いただけたようで」

「わざわざクラウンがこんな迷子の依頼を押し付けてきたのも、さてはお前の仕業か」

「そこはご想像にお任せしますよ」

「良いだろう。悪鬼ならば容赦なく。だが、人ならば別だ。いいな?」

「それで結構です。依頼料金は依頼主から私が本来得る筈だった料金の半分でよろしいですか?」

「異論ない。こっちも情報を貰うんだ、それでいい」

「では、連絡先と場所などは追って知らせます」


 分かった、と告げて九条は出ていく。

 ぽつん、と一人残された白鷺は蚊帳の外にされた事に腹を立てつつも、九条の後を追って部屋から出ていくしかなかった。

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