第7話  悪鬼羅刹の如く

 九条達が通う高校から一キロ程度離れた場所に工場がある。

 昔、鉄工所として盛んに働き続けていたものの、やがて衰退する。

 それは中心部での成長の煽りを受け、続々と参入してきた大企業に太刀打ちできなかった中小企業が、その生活を手放すことを余儀なくされた成れの果て。

 工場を解体する資金もなく、そのまま放置されてしまう。

 劣悪な環境にまみれたそこは、外観から見るに堪えないものとなっていた。

 工場は赤錆にまみれ、壁の所々は穴が空き、周辺は雑草が生い茂る。



 そんな工場に設置されている倉庫の中へ二つの人影が入っていく。

 だが、既に置くものが無かったのか、はたまた全て金目の物は取られた後なのか。倉庫にしてはあまりにも寂しいぐらいに何も無かった。

 あるのは屋根が崩れて剥きだしになっている鉄骨の張りぐらい。そこの倉庫は球技ができるぐらい広い空間を確保されていた。

 進んで倉庫の奥に進んでいく九条とキリ。その後ろを杉山が続いていく。

 中は屋根が崩れているため、月明かりが差し込んで何とか視認できる光量があった。

 倉庫中心の位置にまで進むと、九条は杉山の方に向き直る。

 杉山は倉庫の入口を塞ぐ形で立つ。



「デートで良い所って聞いたけど、ここなの?」



 ぐるりと倉庫の中を見渡す杉山。



「ああ、それなら今から連れていく所だ」

「今から? ここから何処に?」



 杉山の疑問に、九条の眼に鋭さが増す。


「地獄だ」


 ハッキリと言い放つ。それを聞いた杉山は肩をすくめ、やれやれといった様子。



「中々、冗談が面白いね九条さん」

「……『悪鬼』というものを知っているか?」

「あっき?」

「悪い鬼と書いて悪鬼。こいつらは昔から世界に存在しており、人を食い物として生きている。その個体種は様々だが、ある共通点がある」

「共通点?」

「必ず人間の形を模していると言う事だ。たちが悪いとおもわんか? 人に紛れ、その血肉を食らう」

「へぇ、それは酷いね。もしかして、今回の失踪事件も?」

「まず、間違いない」



 不穏な空気が漂う。

 何故それを今になって九条は言うのか。それが意味する理由は当然

 杉山も理解できていた。



「誰の仕業なのかなぁ、僕には全然わからないよ」

「さっきをしてきたお前に言い訳は通用しない」

「何を根拠に?」

「歯に女の髪の毛が引っかかってるぞ、間抜け」



 口元を無意識に手で押さえる杉山。

 直後、謀られた事を直ぐに悟ると、見たこともない狡猾な笑みを浮かべる。

 今までの杉山を考えれば、別人と言っても過言ではなかった。



「いやぁ、汚い。汚いねえ九条さん。そんな引っ掛けしてくるなんて」

「お前に言われる筋合いはないな」

「何時から気付いてたの?」

「最初からだ。言っただろ? キリは普段そういう行為をしないとな」



 横にいるキリはどこか誇ったような笑みを見せる。

 チッ、と杉山から舌打ちが聞こえる。



「僕に興味があるって言ってくれたのは? 好意じゃないの?」

「好意? 反吐が出るな。興味があったのはお前の悪鬼としての存在、そしてどのように女を篭絡しているかという手段だ」

「篭絡なんて言い方は酷いな。せめて付き合い方って言ってもらいたいよ」

「調べたぞ。随分と多数の女性と交友関係にあったからな。その手際を見せてもらいたかった」

「ガッカリだった? 普通すぎて。でも、あれで良いんだよ、ここが良い男は」



 自分の顔を指さす杉山。

 その自信満々な態度は、数多の女性を手玉に取った裏付けがあったからだ。


「彼女は美味かったか?」


 即答ではなかった。

 杉山は腕を組み、うーんと悩んでいた。



「あの子は最後に食べようと思ってたんだよな。僕に好意を寄せてくれてたし」

「なんだ、悪鬼に好きという感情があるのか」

「まさか。あの子は何時でも食べれるって意味だよ。まぁ、味はまぁまぁだったかな」



 腹部をさすり、と触る杉山。

 先程の食事を思い出したのか、舌が唇を這う。



「何故食べた?」

「付き合うのが面倒になったから。あれをこれからずっと味わうのなら、もういっそここで食べた方がいいやってなったんだよ」

「最後の晩餐が彼女でよかったな」

「いやいや。夕食ディナーが終わって、デザートだよ」



 にたり、と嫌らしい笑みを浮かべる杉山。



「そうか。地獄にデザートがあればいいな」

「僕ね、九条さんみたいな子が大好きなんだ。成長途中の小鹿のようなそんな綺麗な肌と肉が」



 杉山の視線が九条の体を嘗め回す。

 腕から足へ流れてくびれを見る。そして首へと至り、顔を見る。

 興奮が冷めぬのか、口端から白い液が床に滴り落ちる。



「クソみたいな告白どうも。お前を野放しにすぎたのがよくなかった。即刻地獄へ送ってやる」



 それは九条の本心であった。

 既に悪鬼と分かっているのであれば、それを退治するべきだった。

 だが、九条の目的とする事に関わっている可能性があった。

 少し泳がせて、その事実を確認してからという判断。だが、思わぬ事態が今日起こってしまった。

 まさか、彼女が強硬手段に出てしまうとは思っていなかったのだ。



「僕を殺すの? どうやって?」



 挑発じみた言い方をする杉山。

 見たところ九条は徒手空拳。制服一つで鞄も無し。

 現実的にありそうな考えと言えば、制服かポケットの中に凶器を忍ばせている。

 だが、良くて包丁サイズ。

 日本という国で中々あり得ないが、一番の殺傷武器であれば拳銃がある。


 だが――せいぜいその程度。


 そう、杉山は高をくくる。

 最も厄介な拳銃でさえ、その程度、と割り切れるほどの強さが悪鬼にはあるのだ。

 現在杉山は人間として活動しているが、悪鬼として活動を開始したなら人間など餌にしかならない。

 鋼鉄のような皮膚強度に、人間の四肢を平気で引きちぎる怪力。それが悪鬼。



 杉山は周辺をさっと目配せする。

 一番警戒すべきは、この倉庫が九条によって誘われた場所だという点。

 であれば、何らかの罠か、武器が存在している可能性もあった。

 だが、それも杞憂にすぎない。

 こんな場所では隠すことはおろか、罠を設置することも不可能。



「まさかとは思うけど、そこの犬が僕の喉元をガブリ? こわいこわい」



 キリを指さし、失笑をする杉山。

 実際、あるとすればそんなものだった。だが。



「その通りだ。その見立ての良さには感服するぞ」



 冗談で言った杉山の言動を九条は肯定する。

 一瞬の静寂。

 ふは、と杉山が声を漏らすと、堰を切ったように大きく笑い出す。

 腹を抱え、本当に面白おかしく笑っていた。



「これは面白い! 九条さんは本当に冗談が上手い!」

「お前はその冗談に殺されるのだ」

「笑い死にさせるってことですか? まぁ、いいや。おかげで確定しましたよ」

「何がだ?」

「貴女が死ぬのが」



 杉山の目の色が朱く染まり、歯牙がメキメキと鋭く尖る。

 身体が一回り大きくなり、着ている制服が膨張し、破裂しそうなほど。

 その非現実的な変身を見て、キリが唸り声をあげる。

 掛けている眼鏡を外し、肩を鳴らす杉山。



「さぁ、どうします? わざわざこんな逃げ場のない所に僕を連れてきたのは

 間違いだったですね」



 既に勝ち誇ったような笑みを浮かべる杉山。

 もう杉山の中では九条をどう料理するか、どこから食べるかという選定を行っていた。

 化け物になった杉山を見て、九条は臆するどころか、飽き飽きしている様子。



「冥土の土産だ。お前に良いものを見せてやろう」

「良いもの?」

「なに見物料は要らん。それは三途の川の渡し賃にでも取っておけ」



 両の足の踵を九条はしっかりとつけ、足を閉じる。

 胸元で両手を組み合わせ、印を結ぶ。

 静かに目を閉じると、場の空気が一変する。



 ”――――――人とあらば、人を斬り。”



 紡ぐ。その声は静かにそして恐ろしいほど冷たく、響き渡る。



 ”――――――鬼とあらば、鬼を斬る。”



 脳に直接響くその言葉は、この世のモノとは思えぬ美しさ。



 ”――――――悪鬼羅刹の如く”



 紡がれた言葉と同時に、その双眸が開く九条。

 強烈な光が九条から放たれる。いや、その横に居たキリの体が眩い光を放っていた。

 その身体は煙と化し、犬の原型が崩れていく。

 やがて煙は奔流となって九条の目の前を漂い、一ヵ所に固まる。



「キリと言うのは犬での名。我が九条代々伝わる「式神」の仮の姿」



 煙は何らかの形を成していく。それは細く、長いものへと変わっていく。



いぬ、ではなく、けん。そう、剣こそ本来あるべき姿」



 実体化したそれは、見事な一振りの白い刀身を持った鍔付きの刀と、朱い鞘が現れる。



「名は『羽々はばきり』貴様ら悪鬼を葬る一刀だ」



 目を疑う光景に、杉山はただ、傍観していた。

 未だに脳内での理解が追い付かない様子。

 九条は目の前に現れた鞘と刀を手に取ると、あろうことか納刀してしまう。

 腰の辺りに刀を差し、腰を落として半身の構えで杉山と対峙する。

 そこでようやく杉山の思考が働き始める。



「まさか、そんな手品があるなんて。でも、そんな刀一本で何ができるの?」

「……なんだ? 怯えているのか? 足が震えているぞ」



 何を馬鹿な、と自身の足を見れば、確かに震えていた。

 知らず知らずの内に杉山は感じていた。刀を手にした九条から感じる圧倒的な威圧感を。

 ただの餌でしかなかったそれは、既に別物へと変貌していた。


 ――そんな筈はない。


 訳の分からないちゃちなトリックから、刀が一本出てきただけ。

 ただ、それだけの事で自分を殺せるような力を持てるなど、あるわけがない。

 そう、言い聞かせるしか他に無かった。

 震える足を奮い立たせ、胸にある勇気を振り絞り九条めがけて飛び込もうとする。

 密着できれば後は力のあるこちらが有利。そう、考えていたからだ。


 だが、そんな安い考えは当然、九条も見抜いていた。


 九条の手が納刀してある柄に手をかける。

 ただ、それだけのなんて事の無い動作。


 ――だというのに、倉庫の中は異様な寒さに襲われる。


 背筋が凍る。

 ひりつく空気。身の毛もよだつ恐怖が場を支配する。

 極限まで張り詰めた糸のような緊張感が一瞬で生まれてしまった。

 息をするのも絶え絶え。この緊張感に耐えれず、心の臓が破裂しそうな錯覚すら

 杉山は感じていた。


 杉山は理解していた。不用意に動けば、自分が死ぬことを。

 それは予想などではなく、確定事項。

 目の前にいるのを少女と思うな。猛獣などという表現では生易しい化け物だ。

 それを必死に自分に言い聞かせ、踏みとどまる。

 もう、とうの昔に杉山は少女を食らうことなど考えていなかった。

 どうすれば逃げられるか、それだけに思考を巡らせていた。



「どうした、来ないのか?」



 ぞくり、と杉山の全身の毛が逆立った。

 何か言えば、それをキッカケに終わってしまいそうで、無言を貫く。



「そうか。なら、こっちから行くぞ」



 来る。

 そう、直感した瞬間、大きくその場から後方に跳ぶ杉山。

 同時に、九条の刀から鍔鳴りの音がした。


 大きく一度。


 杉山の跳躍は人間では考えられない高さで、倉庫の天井に頭をこすりそうなぐらい高く跳び、入口付近で着地すると膝をつく。

 見れば杉山の胸元に大きな一文字の切傷が刻まれていた。


 ――まるで見えなかった。


 相手が抜くのを見て跳んでいたら上下に体が分かれていただろう。

 恐ろしく速い斬撃。

 だが、杉山はほくそ笑む。なんにせよ、事態が好転したからだ。

 相手との距離は離れ、自分は既に入口前に立っている。どんなに強くても追っては来れない。

 そう、確信していた。


 構えをとっていた九条は、突然その姿勢を崩す。

 あり得ない行動。戦いを放棄したようにも取れる。



「どうしたんですか? 諦めたのですか?」



 軽い口調が杉山に戻る。それを聞いた九条は、肩を小さく震わせ、可笑しく笑う。



「これはすまない。分かっていなかったのか」

「何を?」

「もう終わった」



 ゆっくりと杉山の方へと寄ってくる九条。

 無防備に近づいてくる九条に混乱するものの、絶好のチャンスと考える。

 そのまま九条は歩む早さを緩めることなく進み、杉山とは目と鼻の先にくる。

 当然、杉山は九条の喉元めがけて右腕を突き出す。

 瞬間。

 腕を動かしたと同時にそれはつぎはぎの肉片となって床に落ちていく。



「―――はぁ! はぁあ?」



 情けない声が杉山の口から漏れる。それも致し方ない事だった。

 痛みが無かったのだ。

 突然の出来事に脳がようやく気付いたのか、右腕消失の痛みが込みあがる。

 傷口を押さえようとしたら、体の至る所から血が噴き出す。


 一体何時斬られたのか? 

 大きく一度刀が鞘に収まる音を聞いた。ただ、その一瞬で、ここまでされたのか?

 それ以上の杉山の思慮は全身を巡る激痛にかき消される。



「動かない方が良いぞ。うごけば微塵になる」

「たすけ、助けて! 助けて九条さん!」

「そうした人間をお前はどうしたか覚えているな?」



 それ以上、杉山は口を言えなくなった。

 横を悠々と通り過ぎて倉庫から出ていく九条は、振り返ることなく人差し指を立てる。



「一つ、言い忘れていた。ついでに墓も作っておいたから安心して眠れ」



 去っていく九条の背中。

 それを理解するのは直ぐだった。

 ガラン、と天井の鉄骨が一つおちてくる。それは鋭利な刃物で切断されたような切り口を持っていた。

 まさか、と杉山が上を見上げれば、そこには大量の鉄骨が容赦なく杉山の上に降り注いだ。

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