第6話 争奪
「とぼけないで!」
昼下がりの学校で響く怒声。
声の出所は女子トイレ。そこに二人の女性が立っていた。
一人は九条。そしてもう一人は早紀であった。
突如早紀に呼び出され、付いていった先がこの女子トイレ。
まぁ、早紀に呼び出された時点で、九条の方も何となく察しはついていた。
平然としている九条に対して、早紀は明らかに怒りを露わにしているのが見て取れる。
女子トイレの狭い空間で、九条は壁を背に追い詰められて逃げ場のない格好。
ただ、九条はその状況に置いて全く焦る様子も、怖がる様子もない。
むしろ、目の前に居る女性に対して憐憫すら感じられる表情。
その態度が猶更早紀の神経を逆なでする。
「一体、何をしたの彰人に?」
鬼気迫る様子で九条を問い詰める早紀。
原因は日曜日を過ぎた翌日から、明らかに態度が変わった杉山だった。
早紀が話をしていても、平気で他の女の名前を連呼する。
口を開けば、九条、九条、くじょう。
何処かうわのそら。早紀に対しての風当たりが目に見えて悪くなる。
そうなると、早紀のフラストレーションは溜まる一方。
「さあな、直接本人に聞けばいいだろう」
それが出来るなら、当然早紀もそうしている。
だが、彼女はそれを聞くことで、自分が考えうる最悪の事態が起こってしまうのではないかと危惧していた。
それだけは決して許されなかった。
「この際だから言っておく。私、貴女が大嫌いなの」
「それは杉山が私に好意を寄せているからか?」
一層苛立ちを募らせた表情を見せる早紀。
九条の顔面横の壁を、思いっきりたたきつける。
「ええ、そうよ! 私は彼が好き。この世で一番好き。突然出てきたどこぞの野良猫に好き勝手されて良く思うわけないでしょ!」
その恐喝じみたセリフに、九条は馬鹿にしたようにハッ、と鼻で笑う。
平然と九条は早紀の地雷を踏みぬいた。
その結果、早紀の右掌が九条の片方の頬を容赦なく叩いた。
廊下にまで聞こえるのではないかという、大きく乾いた音。
九条の顔が勢い余って横を向く。そんな九条を、早紀は得意げな顔で見ていた。
これに懲りて詫びの一言でもあって、杉山に近づかないようにできれば万々歳。
まだ何か言うのであれば、もう一発を考える早紀。
なんてことを考えている早紀の眼に、九条の顔がゆっくりと早紀を見据える。
ひっ! と小さな悲鳴を上げる早紀。
剣呑な目つきをした九条。それは見るもの全てを震撼させる目であった。
その視線に射抜かれるや否や、早紀の体は震え上がり、顔は蒼白。
狩る側が、いつの間にか狩られる側になった瞬間であった。
今にも逃げ出したい衝動を抑えて立っているのは、純粋な杉山への好意の為か。
「やめておけ」
ポツリと九条は告げる。
「あれはろくでもない奴だ。貴女にはもっと良い男がふさわしい」
「な、何を言って――」
「あれは私が貰ってやる」
それは早紀にとって最も聞きたくないセリフだった。
立ち尽くす早紀の横を通り過ぎてトイレを後にする九条。
一人残された早紀は、悲鳴に似た雄たけびを上げていた。
――許さない。
――許されるわけがない。
――あんな何の取り柄も、魅力もない女に彰人を取られるのが。
焦燥と不安と嫉妬。それが彼女を突き動かす。
★★ ★★
行動に出たのは放課後だった。
何食わぬ顔で早紀は杉山の横までやってくると。
「彰人、先生が呼んでたよ」
そう言われれば、杉山も従わざるを得ない。
仕方ない、と杉山は観念したかのように早紀と一緒に教室を出ていく。
その際、彼女は九条に視線を送る。
――絶対に私は譲らない。そんな意思を感じる視線を。
早紀に連れられ、使われていない教室へと足を運ぶ。
中には使われていない机と椅子が無造作に隅に固められており、当然誰もいない。
あれ? と戸惑う杉山が部屋の中央まで行くと、早紀は教室にカギを掛けた。
そこでようやく不信に思った杉山であったが、もう遅い。
杉山が振り返ると、早紀が胸に思いっきり飛び込んでくる。
突然の早紀の行動に狼狽する杉山。どうした? と尋ねる。
「好き、好きなの。絶対に離したくない!」
上目遣いで訴える早紀。その眼にはうっすら涙が見える。
「どうしたんだよ、急に」
「ねぇ……あの子と、私。どっちが好き?」
その言葉に、杉山は沈黙する。
杉山の胸倉の服をつかんだ早紀の手に一層の力がこもる。
「どうして! どうしてそこで私って言ってくれないの!」
杉山の胸板を強く、何度もたたく。留めていた涙が早紀の頬を伝うのが見える。
「勿論、早紀が好きだよ」
「嘘! だったら、どうして黙ったのよ!」
裏切られたような気持ちを感じていた。
付き合う以前から、早紀は杉山に対して好意を寄せていた。
杉山に色々な女の噂が飛び交っていた時でも、彼女は一途に思い続けた。
そして、ようやくここまでの関係を手に入れた。
なのに、突然現れた転校生に全て壊されそうになる。
早紀にとって耐えがたい屈辱だった。
「あの子おかしいの! 絶対ヤバイのに! 彰人はどうしてわかってくれないの!」
「いや、九条さんはそんな……」
「どうしたら、どうしたらずっと私だけ見てくれるの?」
「早紀……」
「彰人の為ならどんなことでもする。死んでも良い」
杉山の表情が一瞬強張る。
そして笑みを零す。
「早紀、ごめんな。今まで苦労かけて」
「彰人……?」
「僕と一緒になってくれるか?」
告白ともとれるその発言に、早紀は歓喜の表情。
お互い背中に腕を回し、抱き合う。そこには愛を感じる。
教室の窓から覗く落陽。その光に照らされながら、二人は見つめ合う。
早紀は静かに目を閉じる。
それに応えるよう、杉山は早紀の顔にゆっくりと顔を近づけると。
――首筋に、かぶりついた。
♦♦ ♦♦
下弦の月が闇を照らす。
時計の針は既に夜半を越えた所。
虫の音すら聞こえぬ静かな夜は、夏の熱気で蒸していた。
肌に纏わりつくそれは、すがりつく亡者の手のよう。
そんな夜に学校の校舎から出てくる生徒の人影一つ。
それは何処か満ち足りた様子の笑みを零しながら、口元を袖で拭う。
これから遊びにでも行きそうな程、軽快な足取り。
歌を口ずさみながらそれは、堂々と正面にある校門から出ていこうとする。
ふと、それは気づく。
閉じてある筈の校門が解放されていることに。
そして、そこに一人の少女が待っていた。
――――いや、待ち構えていた。
見知った顔だった。この時間だというのに、制服を着ており
傍らには何時かの愛犬を連れて。
「こんな時間にどうしたんですか? 九条さん」
「いや、何。お前をデートに誘うために待っていたんだ……杉山」
へぇ、と杉山はつぶやく。
彼女がどうして自分を待っていたのか。それの理由は分からないでいた。
だが、この時間は好都合であった。
「こんな時間にデートですか?」
「ああ。深夜のデートも乙だぞ」
「それは冗談ではなく、本気で?」
「無論だ。乗るか?」
「女性の誘いを無下にはできませんからね。いいですよ」
杉山は微かに舌をなめずりまわす。
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