第2話 転校生
夜が明ける。
あれだけ続いた長い雨は、ようやく終わりを告げた。
今までのあれは夢だったのか? と錯覚するほどこの日は抜けるような青空が一面に広がり、休みが続いたことを挽回するかのように、容赦ない陽光が降りそそぐ。
季節は初夏。
暑くなってくる季節ではあるが、この日に限っては初夏というには生易しい。
それほどの気温の高さであった。
早朝から活発な太陽に触発されるかのように、高校を訪れる生徒の表情は明るい。
今までの雨に比べれば、この天気は彼らにとって活力剤となっていた。
それは杉山も同じであった。
いや、杉山はそれ以上に元気な姿を見せていた。
終始上機嫌の杉山は学校に来て、自分のクラスへと向かう。
クラスの中は既にほとんどの人間が来ており、少人数のグループを作って各自それぞれの話題で持ち切りであった。
教室の中で一番奥の隅に当たる場所に杉山の机がある。
席に着くや否や、一人の男子生徒が近づいてくる。
角刈りをしたそばかすの男子生徒。気さくな笑顔をしながら杉山の隣に立つ。
「よう! 今日の宿題やってきたか?」
「それはこっちのセリフだろ一良(かずよし)また見せて欲しいのか」
杉山は鞄の中から一冊の青いノートを一良に差し出す。
すると、おお! という歓声を上げてノートを両手でしっかりと受け取り、手を合わせて杉山を拝む。
「いやぁ、ありがたい! ほんと、杉山さまさま!」
「相変わらず調子がいいな、一良は」
杉山と一良は仲の良いクラスメイトだ。
お互いに心の内を打ち明けあえる仲であり、どちらかが困っていれば必ず支える。
一良は貰ったノートをパラパラとめくり、その場でノートを写す。
黙々と一良が作業をしている間、杉山はクラスの中をぐるりと、観察する。
とある席で杉山の視線が止まる。
クラスのど真ん中にある席。その席には誰もおらず、机の中には教科書類も入っていなかった。
まだ朝の登校時間まで余裕がある為、まだ来ていないだけかもしれない。
ただ、その席に関しては別だった。
「なぁ、一良。今日”も”藤原さん休みなのか?」
杉山のそれに対し、一良のペンがピタリと止まる。
キョロキョロと左右を見て誰も近くに居ない事を確認して、こっそり杉山に耳打ちをする。
「ここだけの話だぞ? どうやら”神隠し”にあったみたいだぞ」
遠慮しがちな声でそう伝える一良。
――――神隠し。
それは杉山の住むS県で起こっている正体不明の怪奇事件である。
最初のそれは神隠しなどと呼ばれるものではなかった。
発端はある一人の女性の行方不明事件からだ。
よくある話だ。
”娘が夜になっても帰ってこない”という両親の届け出。
最初警察も事件性はないと判断し、捜査に乗り気ではなかった。
しかし、数日経っても帰ってこない為、ようやく本腰を挙げて捜査に乗り出す。
多数の目撃者、最後に別れた人間、情報はあっという間に出揃う。
だが、見つからない。
ある程度捜査が進展すると、そこからパッタリと情報が無くなってしまう。
結末だけくりぬかれたような物語のように。
警察が捜査であぐねいていると、それを嘲笑うかのように次の事件が起きる。
行方不明の事件が今年に入って既に十件。
そのどれもが未解決で、行方不明者の安否すら不明という状況。
全国ニュースにも取り上げられ、今やこの地域を震撼させる事件とされている。
人の成せる業ではなく、姿を忽然と消す事件から神隠しと呼ばれるようになった。
藤原と呼ばれるクラスメイトの女性も、学校側の説明では当初は『風邪』であった。
しかし、すでに一週間もクラスに復帰する目処は無く、薄々クラスの人間もそうではないのか、と勘づいていた。
「実はさ、俺、藤原さんの両親と先生が話してる所を職員室で聞いてさ。やっぱり風邪というのは嘘で、神隠しだったらしいぜ」
ぼそぼそと話す一良。
学校側も風評被害を恐れて、そういう話であったらしいが、流石に隠し通すのは難しいと判断したのだろう。
「なるほどね。何となく、そうじゃないかとは思ってたけど、実際身近で起こると怖いな」
「ああ。でもさ、今の所狙われてるのは女性ばかりだから俺たちはまだいい方だろ」
「今の所は、だろ? 用心するに越した事ないよ」
不意に、杉山の視界が何かに奪われる。
目の前が突然の闇に覆われ、何も見えなくなる。だが、目のあたりに生暖かい感触がある。
「だーれだ?」
可愛らしい女性の声。
それを聞いて杉山は安心したような微笑を零す。
「早紀だろ? この声は」
答えと共に、視界が良好になる。
あったり~、と弾んだ声が後ろから聞こえ、その人物が机の前へと回ってくる。
肩の辺りまで伸びた茶髪で、その先端が少しカールした髪型。
目元がパッチリとしており、笑った顔は花のように美しい。
細身であるが、異性同姓問わず、目を奪うようなスタイルの良さがある。
彼女は杉山の顔を見て、笑顔を振りまく。
「今日はやけに機嫌がよさそうだね、早紀」
「彰人の顔が見れたからね」
「そう言われると悪い気はしないね」
「何よ、そこは嬉しいとか言うんじゃないの?」
仲睦まじいやり取りをする杉山と早紀。
二人の仲の良さは周知の事実であり、実際彼らは付き合っている。
相手に対する好意の高さは圧倒的に早紀と呼ばれた女性の方であり、彼女の告白から杉山との交際が始まった。
今では学校であろうと、外であろうと、その仲の良さを隠す気もない。
どちらも他の異性が狙っていたが、二人の間に割り込む隙間もなく、諦めていったのが現状に至る。
「ねぇ、実は良いイタリア料理の店が見つかったの。彰人、今度一緒に行かない?」
「そうだね、時間があれば行ってみたいね」
そんな他愛の無いやり取りを繰り返す間に、始業の鐘が鳴り響く。
「それじゃあ彰人、またね」
去り際に手を振り、自分の席へと戻っていく早紀。
黙々と作業をしていた一良も、杉山にノートを返して自分の席に戻る。
軍隊のようにキッチリ整列された生徒達。そこに、引き戸が開く音がする。
入ってきたのは中年の男性。腹が少し出ており、グレーのスーツを着用している。
起立! の声と共に教室の生徒が立ち上がり、礼、着席と一連の流れ。
おなじみの様式美を終えた後、担任と思わしき、中年の男性は何処か重たそうに口を開く。
「えー、皆さん。今日は二つ、話すことがあります。まず、一つ目ですが、皆さんも知っての通り長い間欠席されていた藤原さんですが、ご両親からのご意向もあり、事実を打ち明ける事になった。藤原さんは……神隠しされた可能性が高いです」
その担任から出た言葉に周囲がざわつきだす。
神隠しの単語は強力で、周りの生徒は動揺し、畏怖していた。
「先生! どうして今頃言うんですか! 遅くないですか!」
声の発生元は一良。周囲の生徒もそれに乗る形で、担任に野次が飛ぶ。
騒ぎ出した生徒をなだめる姿勢をとる担任。
「この件については学校から後で詳しい説明がある。それから、もう一つの話についてだが……今日、転校生がこのクラスに来る」
周囲が再び騒がしくなる。今度は先ほどと違い、色めき立っていた。
担任は入ってきた引き戸の前に立ち、廊下に向けて手招きをする。
中に転校生が入ってくると、瞬時に杉山の眼の色が変わる。
「九条さん!」
椅子から立ち上がり、その転校生の名を思わず大声で叫ぶ。
そう、転校生という名目で現れたのは、昨日杉山が出会った九条だった。
本来、注目を一身に浴びる筈の転校生であるが、その役割は杉山になっていた。
クラス一同のありとあらゆる眼差しを受け、杉山はただ静かに椅子に座る。
「杉山、九条さんと知り合いか?」
担任からの追い打ち。脊髄反射で反応してしまったことを後悔する杉山。
今はそっとしておいて欲しい、と願うがそれも叶わない。
「昨日会ったばかりだ。まさか、こんな直ぐ会えるとは思わなかった」
更なる追い打ち。
九条の発言は、周囲に余計な想像を働かせるスパイスとして十分な発言であった。
肩身が一層狭くなるのを感じる杉山。
それから担任が黒板に『九条 綾』の名を書き記す。
「えー、九条綾さんだ。九条さん、何か一言言ってもらえるかな」
「九条綾だ。よろしく頼む」
雑な印象しか受けない九条の挨拶だったが、万雷の拍手で迎えられる。
「では、九条さんの席は、その空いている席で」
担任が指示した席は、藤原と呼ばれる生徒が座っていた席。
今まで使っていた席が、直ぐに違う人間に変わる事に多少抵抗があったのか、生徒から戸惑う声がちらほら挙がる。
だが、当の本人はそんな声など気にせず、言われた通りの席に座る。
「それでは、朝のホームルームはこれで終わりだ。各自、次の授業に備えろよ」
それだけ言うと担任は教室からさっさと出ていく。
担任が出て行ったのを確認した生徒たちは、一斉に動き出す。
目的は勿論、転校生……なのだが。
他の生徒が動く前から、九条は何時の間にやら席から離れ、後方にいる杉山の席の前に立っていた。
その様子を面白おかしく周りは見ていた。
「何か僕に用かな? 九条さん」
「話がある。場所を変えよう」
教室の出口にくいっ、と顔をやる九条。
反対する事もなく、杉山はそれに応じる姿勢を見せる。
だが。
「ちょっとあなた、なんでいきなり彰人に話しかけてるの!」
九条に対してくってかかる早紀の姿があった。
先程のやり取りを見て、他の生徒は面白い反応を見せていたが、早紀だけはそれとは反対の反応を示していた。
苛立ちを見せる早紀だが、九条はまるで意に介さない。
「なんだ、話しかけてはいけなかったのか?」
「あれだけ悪目立ちしておいて、よく言うわね貴女。彰人が困ってるじゃない」
「困っているのか?」
「僕は大丈夫だよ」
「嘘! どうしてそんな嘘を――」
「早紀、僕は本当に大丈夫だから。また後で話そう」
早紀はまだ言い足りない様子であったが、それを無視するように杉山と九条は教室から出ていく。残された早紀は、その場で地団駄を踏む。
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